●歌は、「婦負の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日し悲しく思ほゆ」である。
●歌をみていこう。
題詞は、「高市連黑人歌一首 年月不審」<高市連黒人が歌一首 年月審らかにあらず>である。
◆賣比能野能 須ゝ吉於之奈倍 布流由伎尓 夜度加流家敷之 可奈之久於毛倍遊
(高市黒人 巻十七 四〇一六)
≪書き下し≫婦負(めひ)の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日(けふ)し悲しく思ほゆ
(訳)婦負(めひ)の野のすすきを押し靡かせて降り積もる雪、この雪の中で一夜の宿を借りる今日は、ひとしお悲しく思われる。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)婦負(めひ)の野:富山市から、その南にかけての野。(伊藤脚注)
左注は、「右傳誦此歌三國真人五百國是也」<右、この歌を伝誦するは、三国真人五百国(みくにのまひといほくに)ぞ>である。
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1096)」で紹介している。
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この歌に関して、伊藤 博氏は脚注において「四〇一一~四〇一五の披露された場で、鷹を失った家持の悲しみに応じて唱ったものか。」と書いておられる。
(注)四〇一一~四〇一五歌の題詞は、「放免(のが)れたる鷹を思ひて夢見(いめみ)、感悦(よろこ)びて作る歌一首 幷(あは)せて短歌」である。
四〇一一~四〇一五歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1867)」で紹介している。
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富山市茶屋町 峠茶屋交差点ロータリーの中の島に歌碑は立てられている。三角錐状の2面に額縁上のものがあり、その中に歌が書かれていたと思われる。近づいて眺めてみても文字の痕跡すら見当たらない。表面劣化というより歌碑プレートのようなものが剥がれ落ちたのかもしれない。
確認すべく、高岡市万葉歴史館HPの「富山県内の主な万葉歌碑」を検索してみる。次のように書かれている。
「【茶屋町】
バス停三差路
賣比能野能須須伎於之奈倍布流由伎爾
夜度加流家敷之可奈之久於毛保遊
(高市黒人・巻17-4016)」
さらに同HPには歌碑の写真も次のように掲載されている。
形状から見ても歌碑であることに間違いはないと思うが、残念ながら歌は確認できなかったのである。
この後、富山城址公園にある家持の巻十九 四一三九歌の歌碑を探すべく公園内を散策した。
結局見つけることができなかったので、公園内の「まちなか観光案内所」に飛び込んだ。
そして、「まちなか観光マップ」と「松川べり散策 越中万葉歌碑&歌石板めぐり」のパンフレットをいただいたのである。
パンフレットをよく見てみると、ノーチェックであった歌碑三基と歌石板十五枚の地図と歌の説明が載っている。宝探しの地図を手に入れたような興奮である。
散策をほどほどに切り上げホテルに戻ることにした。明日の歌碑巡りの作戦変更である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「高岡市万葉歴史館HP」