万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1111)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(71)―万葉集 巻十一 二七七一

●歌は、「我妹子が袖を頼みて真野の浦の小菅の笠を着ずて来にけり」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(71)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(71)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾妹子之 袖乎憑而 真野浦之 小菅乃笠乎 不著而来二来有

                  (作者未詳 巻十一 二七七一)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が袖(そで)を頼みて真野(まの)の浦の小菅(こすげ)の笠を着ずて来にけり

 

(訳)かわいいお前さんの袖をあてにして、真野の浦の小菅で編んだよい笠があるのに、かぶりもしないで一目散にやって来たんだよ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)袖を頼みて:袖を枕に共寝をする意をこめる。

(注)真野:兵庫県内と思われる

 

 「真野」を追って、みよう。

 

二七七二歌も「真野の池の小菅」と詠んでいるのでこちらもみてみよう。

 

◆真野池之 小菅乎笠尓 不縫為而 人之遠名乎 可立物可

                 (作者未詳 巻十一 二七七二)

 

≪書き下し≫真野の池の小菅(こすげ)を笠に縫(ぬ)はずして人の遠名(とほな)を立つべきものか

 

(訳)真野の池の小菅、その小菅を笠に編み上げもしないように、まだ関係が成り立ってもいないうちから、人の浮名を遠くまで広げるなんていうことがあってよいものか。(同上)

(注)縫う:契ることの譬え

(注)とほな【遠名】〘名〙:広く世間に知れわたっている名。遠くまで広まっている評判。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

「真野」については、高市黒人の二八〇歌ならびに黒人の妻の二八一歌に見られる。

 

 題詞は、「高市連黒人歌二首」<高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が歌二首>である。

 

◆去来兒等 倭部早 白菅乃 真野乃榛原 手折而将歸

               (高市黒人 巻三 二八〇)

 

≪書き下し≫いざ子ども大和(やまと)へ早く白菅(しらすげ)の真野(まの)の榛原(はりはら)手折(たお)りて行かむ

 

(訳)さあ皆の者よ、大和へ早く帰ろう。白菅の生い茂る真野の、この榛(はんのき)の林の小枝を手折って行こう。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)いざこども…:「さあ、諸君。」 ※「子ども」は従者や舟子、場に居合わせた者らをさす。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典+加筆)

(注)しらすげの【白菅の】分類枕詞:白菅(=草の名)の名所であることから地名「真野(まの)」にかかる。(学研)

(注の注)しらすげ【白菅】:カヤツリグサ科の多年草。湿った林に生え、高さ30〜60センチ。地上茎は三角柱で、白みを帯びた葉をつける。夏、茎の頂に淡緑色の雄花の穂を、その下に数個の雌花の穂をつける。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

二八一歌の題詞は、「黒人妻答歌一首」<黒人が妻(め)の答ふる歌一首>である。この歌もみてみよう。

 

◆白菅乃 真野之榛原 徃左来左 君社見良目 真野乃榛原

                (黒人妻 巻三 二八一)

 

≪書き下し≫白菅の真野の榛原行(ゆ)くさ来(く)さ君こそ見らめ真野の榛原

 

(訳)白菅の生い茂る真野の榛の林、この林をあなたは往(ゆ)き来(き)にいつもご覧になっておられるのでしょう。けれど、私は初めてです、この美しい真野の榛原は。(同上)

(注)ゆくさくさ【行くさ来さ】分類連語:行くときと来るとき。往復。 ※「さ」は接尾語。(学研)

 

 この歌ならびに「白菅の真野の榛原」を詠んだ一三五四歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その788)」に紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 地名「真野」を特定していくべく検索するもファインチューニングができない。

 

「地図に載らない文学館 ネットミュージアム兵庫文学館」のHPの「文学マップ 古典紹介」コンテンツ「万葉集」に、「兵庫県との関係」として下記の地名が次のようにあげられている。

「巻一に『印南国原』、巻三に『真野の榛原(はりはら)』『敏馬(みぬめ)』『敏馬の崎(みぬめのさき)』『猪名野(いなの)』『名次山(なすきやま)』『角の松原(つののまつばら)』『須磨の海人(あま)』『縄(那波)の浦』『藤江の浦』『印南の海』『淡路島』『明石の門(あかしのと)』『明石大門(あかしおおと)』『飼飯の海(けひのうみ)』『淡路の野島の崎』、巻四に『真野の浦』『真野の榛原』、巻六に『敏馬(みぬめ)の浦』『大輪田』『明石潟』『藤江の浦』『名寸隅(なきすみ)』『淡路島』『松帆の浦』「野島」、巻七に『猪名野』『印南野』『有馬山』『飾磨江』『日笠の浦』『明石の水門(あかしのみと)』『淡路島』、巻九に『菟原処女(うばらおとめ)』『芦屋処女(あしやおとめ)』『芦屋菟原処女(あしやのうばらのおとめ)』、巻十に『有馬菅(ありますげ)』、巻十一に『真野の浦』『真野の池』、巻十二に『淡路島』『松帆の浦』『名寸隅(なきすみ)』『船瀬の山』『室の浦』『鳴島(なきしま)』『飼飯(けひ)の浦』、巻十五に『印南つま』『飾磨川』、巻十六に『猪名川(ゐながは)』、巻十七に『須磨人(すまひと)』『淡路島門(しまと)』『角の松原』、巻二十『印南野』、などが見える。」

 

 「真野」は兵庫県内であることは間違いないようである。

 

 巻四 四九〇歌に「真野の浦」が詠まれている。こちらをみてみよう。

 

 

題詞は、「吹芡刀自歌二首」<吹芡刀自(ふきのとじ)が歌二首>である。

 

◆真野之浦乃 与騰乃継橋 情由毛 思哉妹之 伊目尓之所見

                 (吹芡刀自 巻四 四九〇)

 

≪書き下し≫真野(まの)の浦の淀(よど)の継橋(つぎはし)心ゆも思へや妹(いも)が夢(いめ)にし見ゆる

 

(訳)真野の浦の淀みにかかる継橋、その橋に切れ目がないように、切れ目なく心底私のことを思ってくださっているからなのか、あなたの顔が夢に見えます。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「継ぎて」の意を下三句に及ぼす。

(注)真野の浦:神戸市長田区の海岸

(注)つぎはし【継ぎ橋】名詞:水中に柱を立て、板を何枚か継いで渡した橋。(学研)

四九一歌もみてみよう。

 

◆河上乃 伊都藻之花乃 何時ゝゝ 来益我背子 時自異目八方

                  (吹芡刀自 巻四 四九一)

 

≪書き下し≫川の上(うへ)のいつ藻(も)の花のいつもいつも来ませ我が背子時じけめやも

 

(訳)川の水面に咲く厳藻(いつも)の花の名のように、夢といわず現実(うつつ)にいつもいつもおいでくださいな、あなた。私の方に折りが悪いなどということがあるものですか。(同上)

(注)上二句は序。同音で「いつも」を起こす。

(注)いつ藻:「イツ」讃美の接頭語。

(注)ときじ【時じ】形容詞:①時節外れだ。その時ではない。②時節にかかわりない。常にある。絶え間ない。 ⇒参考 上代語。「じ」は形容詞を作る接尾語で、打消の意味を持つ。(学研)

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒なりたち 推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 「真野」は、今の兵庫県神戸市長田区真野町であろう。

いろいろ検索しているうちに、先達のブログに、平成二十二年三月に真野地区ゆかりの万葉歌碑として、高市黒人の二八〇歌の歌碑が、長田区東尻池町 尻池街園に建てられたと書かれているのを見つけた。

 機会を見つけて訪ねて行きたいものである。

 

 吹芡刀自の歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その38改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「万葉名『すげ・すが』は『すがすがしい』が語源となったらしく、スゲ属の総称で種類も50種類を超える。現在では今日のスゲ属に当たるものかどうか、又、そのものも特定できないようだが、ある歌の中に『小菅(コスゲ)の笠』とあるので、笠に編まれる『笠菅(カサスゲ)』を代表として開設する。『笠菅(カサスゲ)』は水辺や湿地に群生する多年草で、昔は需要が多かったので水田でも栽培された。『蓑菅(ミノスゲ)』とも呼ばれる。茎は三角柱状でざらつき、1メートル程の高さになる。花は5~6月に茎の先に雄花穂が付きその下に雌花穂が2~3個斜めに付く。(後略)」と書かれている。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「文学マップ 古典紹介」コンテンツ「万葉集」 (地図に載らない文学館 ネットミュージアム兵庫文学館HP)