万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1095)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(55)―万葉集 巻三 四三四

●歌は、「風早の美穂の浦みの白つつじ見れどもさぶしなき人思へば」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(55)万葉歌碑<プレート>(河辺宮人)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(55)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「和銅四年辛亥河邊宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首」<和銅四年辛亥(かのとゐ)に、河辺宮人(かはへのみやひと)、姫島(ひめしま)の松原の美人(をとめ)の屍(しかばね)を見て、哀慟(かな)しびて作る歌四首>である。

(注)和銅四年:711年

(注)姫島:ここは、紀伊三穂の浦付近の島

 

◆加座皤夜能 美保乃浦廻之 白管仕 見十方不怜 無人念者 <或云見者悲霜 無人思丹>

               (河辺宮人 巻三 四三四)

 

≪書き下し≫風早(かざはや)の美穂(みほ)の浦みの白(しら)つつじ見れどもさぶしなき人思へば <或いは「見れば悲しもなき人思ふに」といふ>

 

(訳)風早の三穂(みほ)の海辺に咲き匂う白つつじ、このつつじは、いくら見ても心がなごまない。亡き人のことを思うと。<見れば見るほどせつない。亡き人を思うにつけて>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)かざはや【風早】:風が激しく吹くこと。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)三穂:和歌山県日高郡美浜町三尾

 

 この歌ならびに、他の三首についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その707)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

河辺宮人の名前は、巻二 二二八、二二九歌にも見られる。

河辺宮人と云うのは伝未詳であるが、伊藤氏は脚注で「物語上の作者名か」と書かれている。

 

標題は、「寧樂宮」であり、題詞は、「和銅四年歳次辛亥河邊宮人姫嶋松原見嬢子屍悲嘆作歌二首」<和銅四年歳次(さいし)辛亥(かのとゐ)に、河辺宮人(かはへのみやひと)姫島(ひめしま)の松原にして娘子(をとめ)の屍(しかばね)を見て悲嘆(かな)しびて作る歌二首>である。

(注)和銅四年:711年

(注)さいじ【歳次】:《古くは「さいし」。「歳」は歳星すなわち木星、「次」は宿りの意。昔、中国で、木星が12年で天を1周すると考えられていたところから》としまわり。とし。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)姫島:淀川河口の島の名か。

 

 

◆妹之名者 千代尓将流 姫嶋之 子松之末尓 蘿生萬代尓

                 (河辺宮人 巻二 二二八)

 

≪書き下し≫妹(いも)が名は千代(ちよ)に流れむ姫島の小松(こまつ)がうれに蘿生(こけむす)すまでに

 

(訳)このいとしいお方の名は、千代(ちよ)万代(よろずよ)に流れ伝わるであろう。娘子にふさわしい名の姫島の小松が成長してその梢(こずえ)に蘿(こけ)が生(む)すまでいついつまでも。(同上)

(注)千代に流れむ:漢籍に「名ハ世ニ流ル」などがある。その影響を受けた表現。

 

 

◆難波方 塩干勿有曽祢 沈之 妹之光儀乎 見巻苦流思母

                (河辺宮人 巻二 二二九)

 

≪書き下し≫難波潟(なにはがた)潮干(しほひ)なありそね沈みにし妹が姿を見まく苦しも

                                         

(訳)難波潟(なにわがた)よ、引き潮などあってくれるな。ここに沈んだいとしいお方のみじめな姿を見るのはつらいことだから。(同上)

(注)難波潟:干満の差が激しく干潟が多いことで有名。

(注)沈みにし:入水した。失恋ゆえか。

 

 

 標題「寧樂宮」について、巻二の部立「挽歌」の標題(天皇代標示)をみてみると、

近江大津宮御宇天皇代(九一から一〇二歌)、明日香清御原御宇天皇代(一〇三から一〇四歌)、藤原宮御宇天皇代(一〇五から一四〇歌)、後岡本宮御宇天皇代(一四一から一四六歌)、近江大津宮御宇天皇代(一四七から一五五歌)、明日香清御原御宇天皇代(一五六から一六二歌)、藤原宮御宇天皇代(一六三から二二七歌)、寧樂宮(二二八から二三四歌)となっている。

神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)の中で、伊藤 博氏の「寧樂宮」の標題とそのもとにある歌は追補されたものだとし、「『御宇天皇代』という表現によってこれらの標題はすべて過去視されたものであるということができる。『寧樂宮』はそれ一つだけが現代的呼称だということである。」との考えを支持し、「『寧樂宮』は、『―宮御宇天皇代』と違って閉じ込められていないのだと、伊藤の言をうけとめたいと思います。巻三、四は巻一、二と重ねながらその先に『寧樂宮』を延伸してゆくのですが、巻六において、やはり、そのひらかれた『寧樂宮』を展開していって閉じるのだと、巻末部をこれと対応させて見るべきだと考えるのです。」と書かれている。

 万葉集を歴史の時間軸で捉えつつその時間軸上の意味合いについても考察することの重要性を課題として与えられたような気がする。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉)」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」