●歌は、「風早の美穂の浦みの白つつじ見れどもさぶしなき人思へば」である。
●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「和銅四年辛亥河邊宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首」<和銅四年辛亥(かのとゐ)に、河辺宮人(かはへのみやひと)、姫島(ひめしま)の松原の美人(をとめ)の屍(しかばね)を見て、哀慟(かな)しびて作る歌四首>である。
(注)和銅四年:711年
(注)姫島:ここは、紀伊三穂の浦付近の島(伊藤脚注)
◆加座皤夜能 美保乃浦廻之 白管仕 見十方不怜 無人念者 <或云見者悲霜 無人思丹>
(河辺宮人 巻三 四三四)
≪書き下し≫風早(かざはや)の美穂(みほ)の浦みの白(しら)つつじ見れどもさぶしなき人思へば <或いは「見れば悲しもなき人思ふに」といふ>
(訳)風早の三穂(みほ)の海辺に咲き匂う白つつじ、このつつじは、いくら見ても心がなごまない。亡き人のことを思うと。<見れば見るほどせつない。亡き人を思うにつけて>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)風早の:風の激しい意の枕詞的用法。(伊藤脚注)
(注の注)かざはや【風早】:風が激しく吹くこと。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
(注)白つつじ:娘子が死んで白つつじと化したという伝説に基づくらしい。(伊藤脚注)
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この歌ならびに四三五から四三七歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その707)」で紹介している。
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河辺宮人の名は、巻二の二二八、二二九にもみられる。
こちらの題詞は、「和銅四年歳次辛亥河邊宮人姫嶋松原見嬢子屍悲嘆作歌二首」<和銅四年歳次(さいし)辛亥(かのとゐ)に、河辺宮人(かはへのみやひと)、姫島(ひめしま)の松原の娘子(をとめ)の屍(しかばね)を見て、悲嘆(かな)しびて作る歌二首>である。
(注)さいじ【歳次】:《古くは「さいし」。「歳」は歳星すなわち木星、「次」は宿りの意。昔、中国で、木星が12年で天を1周すると考えられていたところから》としまわり。とし。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)河辺宮人:伝未詳。物語上の作者名か。(伊藤脚注)
(注)姫島:淀川河口の島の名か。(伊藤脚注)
(注)見て:想い見て。娘子の死は伝説であったらしい。
こちらの歌もみてみよう。
◆妹之名者 千代尓将流 姫嶋之 子松之末尓 蘿生萬代尓
(河辺宮人 巻二 二二八)
≪書き下し≫妹(いも)が名は千代(ちよ)に流れむ姫島の小松(こまつ)がうれに蘿生(こけむす)すまでに
(訳)このいとしいお方の名は、千代(ちよ)万代(よろずよ)に流れ伝わるであろう。娘子にふさわしい名の姫島の小松が成長してその梢(こずえ)に蘿(こけ)が生(む)すまでいついつまでも。(同上)
(注)千代に流れむ:漢籍に「名ハ世ニ流ル」などがある。その影響を受けた表現。(伊藤脚注)
(注)うれ【末】名詞:草木の枝や葉の先端。「うら」とも。(学研)
二二九歌もみてみよう
(河辺宮人 巻二 二二九)
≪書き下し≫難波潟(なにはがた)潮干(しほひ)なありそね沈みにし妹が姿を見まく苦しも
(訳)難波潟(なにわがた)よ、引き潮などあってくれるな。ここに沈んだいとしいお方のみじめな姿を見るのはつらいことだから。(同上)
(注)難波潟:干満の差が激しく干潟が多いことで有名。(伊藤脚注)
(注)沈みにし:入水した。失恋ゆえか。(伊藤脚注)
(注)見まく苦しも:前歌の幻想が破れることへの嘆き。(伊藤脚注)
二二八・二二九歌については、大阪市西淀川区姫島 姫嶋神社の歌碑と共に、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2111)」で紹介している。
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先の四三四から四三七歌の四三五歌に「久米の若子(くめのわくご)」の名前が出て来るが、博通法師の三〇七から三〇九歌にも歌われている。
こちらもみてみよう。
題詞は、「博通法師徃紀伊國見三穂石室作歌三首」<博通法師(はくつうほふし)、紀伊の国(きのくに)に徃き、三穂(みほ)の石室(いはや)を見て作る歌三首>である。
◆皮為酢寸 久米能若子我 伊座家留 <一云 家牟> 三穂乃石室者 雖見不飽鴨 <一云 安礼尓家留可毛>
(博通法師 巻三 三〇七)
≪書き下し≫はだ薄(すすき)久米の若子(わくご)がいましける<一には「けむ」といふ>三穂(みほ)の石室(いはや)は見れど飽(あ)かぬかも<一には「荒れにけるかも」といふ>
(訳)久米の若子がその昔おられたという三穂の岩屋、この岩屋は、見ても見ても見飽きることがない。<今やまったく人気がなくなってしまった>(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注) はだすすき【はだ薄】分類枕詞:すすきの穂の意から「穂」「末(うれ)(=穂の先)」「うら」にかかる。(学研)
(注の注)ここでは久米に懸っている。穂が隠(こも)る意か。
(注)久米の若子:伝説上の人物。
(注)います【坐す・在す】自動詞:①いらっしゃる。おいでになる。▽「あり」の尊敬語。②おでかけになる。おいでになる。▽「行く」「来(く)」の尊敬語。(学研)ここでは①の意
◆常磐成 石室者今毛 安里家礼騰 住家類人曽 常無里家留
(博通法師 巻三 三〇八)
≪書き下し≫常磐(ときは)なす石室(いはや)は今もありけれど住みける人ぞ常なかりける
(訳)岩屋は、常盤のように常に変わらず今もあり続けているけれども、ここに住んでいたという人は常住不変ではあり得なかった。(同上)
(注)住みける人:久米の若子のこと。
◆石室戸尓 立在松樹 汝乎見者 昔人乎 相見如之
(博通法師 巻三 三〇九)
≪書き下し≫石室戸(いはやと)に立てる松の木汝(な)を見れば昔の人を相見(あひみ)るごとし
(訳)岩屋の戸口に立っている松の木よ、お前を見ると、ここに住んでいた昔の人と向かい合っているような気がする。(同上)
(注)昔の人:久米の若子のこと。
三〇七から三〇九歌については、日高郡美浜町三尾海岸にある、巨大な岩石の歌碑とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1197)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」