万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2295)―

●歌は、「今日のためと思ひて標めしあしひきの峰の上の桜かく咲きにけり」である。

石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持) 
20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「三日守大伴宿祢家持之舘宴歌三首」<三日に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)にして宴(うたげ)する歌三首>である。

(注)三日:三月三日上巳の宴。(伊藤脚注)

(注の注)じやうし【上巳】:五節句の一。陰暦3月の最初の巳(み)の日。のちに3月3日。古く、宮中ではこの日に曲水の宴が行われた。また、民間では女児の祝い日としてひな祭りをするようになった。桃の節句。ひなの節句。重三ちょうさん。じょうみ。《季 春》(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

 

 

今日之為等 思標之 足引乃 峯上之櫻 如此開尓家里

       (大伴家持 巻十九 四一五一)

 

≪書き下し≫今日(けふ)のためと思ひて標(し)めしあしひきの峰(を)の上(うえ)の桜かく咲きにけり

 

(訳)今日の宴のためと思って私が特に押さえておいた山の峰の桜、その桜は、こんなに見事に咲きました。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)しるす【標す】他動詞:目印とする。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

宴席から桜が見えるのでこのように詠ったのであろう。

 

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四一五一から四一五三歌の三首にはすべて「今日(けふ)」が詠み込まれている。改めて他の二首もみてみよう。

 

◆奥山之 八峯乃海石榴 都婆良可尓 今日者久良佐祢 大夫之徒

       (大伴家持 巻十九 四一五二)

 

≪書き下し≫奥山の八(や)つ峰(を)の椿(つばき)つばらかに今日は暮らさねますらをの伴(とも)

 

(訳)奥山のあちこちの峰に咲く椿、その名のようにつばらかに心ゆくまで、今日一日は過ごしてください。お集まりのますらおたちよ。(同上)

(注)上二句は序。「つばらかに」を起す。(伊藤脚注)

(注)やつを【八つ峰】名詞:多くの峰。重なりあった山々。(学研)

(注)つばらかなり 「か」は接尾語>つばらなり【委曲なり】形容動詞:詳しい。十分だ。存分だ。(学研)

 

 

漢人毛 筏浮而 遊云 今日曽和我勢故 花縵世奈

       (大伴家持 巻十九 四一五三)

 

≪書き下し≫漢人(からひと)も筏(いかだ)浮かべて遊ぶといふ今日ぞ我が背子(せこ)花(はな)かづらせな

 

(訳)唐の国の人も筏を浮かべて遊ぶという今日この日なのです。さあ皆さん、花縵(はなかずら)をかざして楽しく遊ぼうではありませんか。(同上)

(注)前二首の「花」を縵にして上巳の宴を楽しむことを述べる、結びの歌。(伊藤脚注)

 

 四一五一~四一五三歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その827)」で紹介している。

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 巻十九の巻頭歌は、「春の園紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(おとめ)」(大伴家持 巻十九 四一三九)である。この題詞は、「天平勝宝(てんぴやうしようほう)二年の三月の一日の暮(ゆふへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺矚(なが)めて作る歌二首」である。そして上述の題詞「三日に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)にして宴(うたげ)する歌三首」でもって、三月一日から三日の間に、十五首も作っているのである。

このような、気持ちが乗っている背景に、翌年には都に帰れるという気持ちと天平勝宝元年(749年)六月から同二年二月中旬の間のある時期に、妻が越中にやってきたことで心の充実感が相乗効果となって、「苦労や苦悩というものとは全く別の世界の美のピークを作り出した(犬養孝 著「万葉の人びと(新潮文庫)」のである。

四一一三歌の「・・・なでしこがその花妻にさ百合花ゆりも逢はむと慰むる心しなくは天離る鄙に一日もあるべくもあれや」と詠った荒れた心境と真逆の気持が迸っているのである。

 

 四一一三から四一一五歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その357)」で紹介している。

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 四一五一から四一五三歌の三首に詠われている「今日」は、三月三日の「まさに今日この日」と「今日の」「今日は」「今日ぞ」とスポットライトを当てて詠いあげているのである。

 

 万葉集に収録されている「今日」はどのような今日か、を幾つかの歌から見てみよう。

 

 すぐに頭に浮かんでくるのは、依羅娘子の歌である。

◆且今日ゝゝゝ 吾待君者 石水之 貝尓 <一云 谷尓> 交而 有登不言八方

       (依羅娘子 巻二 二二四)

 

≪書き下し≫今日今日(けふけふ)と我(あ)が待つ君は石川(いしかは)の峽(かひ)に <一には「谷に」といふ> 交(まじ)りてありといはずやも

 

(訳)今日か今日かと私が待ち焦がれているお方は、石川の山峡に<谷間(たにあい)に>迷いこんでしまっているというではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)石川:石見の川の名。所在未詳。諸国に分布し、「鴨」の地名と組みになっていることが多い。

(注)まじる【交じる・雑じる・混じる】自動詞:①入りまじる。まざる。②(山野などに)分け入る。入り込む。③仲間に入る。つきあう。交わる。宮仕えする。④〔多く否定の表現を伴って〕じゃまをされる。(学研)ここでは②の意

(注)やも [係助]《係助詞「や」+係助詞「も」から。上代語》:(文中用法)名詞、活用語の已然形に付く。①詠嘆を込めた反語の意を表す。②詠嘆を込めた疑問の意を表す。 (文末用法) ①已然形に付いて、詠嘆を込めた反語の意を表す。…だろうか(いや、そうではない)。②已然形・終止形に付いて、詠嘆を込めた疑問の意を表す。…かまあ。→めやも [補説] 「も」は、一説に間投助詞ともいわれる。中古以降には「やは」がこれに代わった。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 「今日であって欲しい」という切なる期待を裏切られた絶望の「今日」である。

 

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 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1267)」で紹介している。

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 次に、狭野弟上娘子(さののおとかみのをとめ)も三七七一歌をみてみよう。

◆宮人能 夜須伊毛祢受弖 家布ゝゝ等 麻都良武毛能乎 美要奴君可聞

       (狭野弟上娘子 巻十五 三七七一)

 

≪書き下し≫宮人(みやひと)の安寐(やすい)も寝(ね)ずて今日今日(けふけふ)と待つらむものを見えぬ君かも

 

(訳)宮仕えの人びとが安眠もしないで、今日こそ今日こそと、思う人のお帰りをしきりに待っているであろうに、私の待つあなたはお見えになる気配がない。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)みやびと【宮人】名詞:①宮中に仕える人。「大宮人(おほみやびと)」とも。[反対語] 里人(さとびと)。②神に仕える人。神官。 ※古くは「みやひと」。(学研)ここでは①の意。

(注の注)宮人:宮仕えの女たち。これは思う人が配所から帰ってくるのを期待できる人々。(伊藤脚注)

(注)待つらむものを見えぬ君かも:思う人の帰りを待っているだろうにあなたはお見えになる気配がない。天平十二年六月の大赦を背景にする表現。(伊藤脚注)

 

 宮人たちの「今日こそ今日こそと」希望が実現できる「今日」を前面に押し出し、逆に自分にはそういった希望すら見いだせない絶望感を詠いあげているのである。

 

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 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1402)」で紹介している。

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 一六八〇、一六八一歌をみてみよう。

題詞は、「後人歌二首」<後人(こうじん)の歌二首>である。

(注)後人:旅に出ず残った人。待つ妻。(伊藤脚注)

 

◆朝裳吉 木方徃君我 信土山 越濫今日曽 雨莫零根

       (作者未詳 巻九 一六八〇)

 

≪書き下し≫あさもよし紀伊(き)へ行く君が真土山(まつちやま)越ゆらむ今日(けふ)ぞ雨な降りそね

 

(訳)紀伊の国に向けて旅立たれたあの方が、真土山、あの山を越えるのは今日なのだ。雨よ、降らないでおくれ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あさもよし【麻裳よし】分類枕詞:麻で作った裳の産地であったことから、地名「紀(き)」に、また、同音を含む地名「城上(きのへ)」にかかる。(学研)

(注)まつちやま【真土山】:奈良県五條市和歌山県橋本市との境にある山。吉野川(紀ノ川)北岸にある。[歌枕](コトバンク デジタル大辞泉

 

 

◆後居而 吾戀居者 白雲 棚引山乎 今日香越濫

         (作者未詳 巻九 一六八一)

 

≪書き下し≫後(おく)れ居(ゐ)て我(あ)が恋ひ居(を)れば白雲(しらくも)のたなびく山を今日(けふ)か越ゆらむ

 

(訳)あとに残されて私が恋しく思っているのに、あの方は白雲のたなびく遠い国境の山を、今日あたり越えておられるのだろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 都と紀伊、空間軸の隔たりがあるが、時間軸では同じ「今日」、あの人を思いやるせつない「今日」なのである。

 

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 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1418)で紹介している。

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◆百傳 磐余池尓 鳴鴨乎 今日耳見 雲隠去牟

      (大津皇子 巻三 四一六)

 

≪書き下し≫百伝(ももづた)ふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日(けふ)のみ見てや雲隠りなむ

 

(訳)百(もも)に伝い行く五十(い)、ああその磐余の池に鳴く鴨、この鴨を見るのも今日を限りとして、私は雲の彼方に去って行くのか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ももづたふ【百伝ふ】分類枕詞:①数を数えていって百に達するの意から「八十(やそ)」や、「五十(い)」と同音の「い」を含む地名「磐余(いはれ)」にかかる。②多くの地を伝って遠隔の地へ行くの意から遠隔地である「角鹿(つぬが)(=敦賀(つるが))」「度逢(わたらひ)」に、また、遠くへ行く駅馬が鈴をつけていたことから「鐸(ぬて)(=大鈴)」にかかる。(学研)ここでは①の意

(注)くもがくる【雲隠る】自動詞:①雲に隠れる。②亡くなる。死去する。▽「死ぬ」の婉曲(えんきよく)的な表現。多く、貴人の死にいう。 ※上代語。(学研)ここでは②の意

 

 題詞は、「大津皇子被死之時磐余池陂流涕御作歌一首」<大津皇子(おほつのみこ)、死を被(たまは)りし時に、磐余の池の堤(つつみ)にして涙を流して作らす歌一首>、

 

 左注は、「右藤原宮朱鳥元年冬十月」≪右、藤原の宮の朱鳥(あかみとり)の元年の冬の十月>とある。

 

 大津皇子にとってここに詠われている「今日」は、人生最後の「今日」なのである。しかも冤罪によって処刑される「今日」である。

 鴨を見ている「今日」がある。しかし間もなくその瞬間的な「今日」だけでなく全てが終わる「今日」を迎えるのである。

 これほどまでに残酷な、重い重い「今日」ってあるのだろうか。

 

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その118改)」で紹介している。

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 「今日」と詠われている歌は、ざっとピックアップしただけでも、二二四、四一六、七三九、一〇一四、一一〇三、一六八〇、一六八一、一七五四、一九一四、二八四一、三一二二、三六八八、三七七一、四〇七九、四一五一、四二五四、四二五五、四四九三、四五一六などがある。

 様々な人にとって様々な思いの「今日」がある。

 いずれ機会をみて「今日」を改めて取り上げてみたいものである。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉