万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1267)―島根県益田市 県立万葉公園(11)―万葉集 巻二 二二四

●歌は、「今日今日と我が待つ君は石川の峡に交りてありとはいはずやも」である。

f:id:tom101010:20211206110511j:plain

島根県益田市 県立万葉公園(11)万葉歌碑(依羅娘子)

●歌碑は、島根県益田市 県立万葉公園(11)にある。

 

●歌を見てみよう。

 

 題詞は、「柿本朝臣人麻呂死時妻依羅娘子作歌二首」<柿本朝臣人麻呂が死にし時に、妻依羅娘子(よさみのをとめ)が作る歌二首>である。

 

◆且今日ゝゝゝ 吾待君者 石水之 貝尓 <一云 谷尓> 交而 有登不言八方

       (依羅娘子 巻二 二二四)

 

≪書き下し≫今日今日(けふけふ)と我(あ)が待つ君は石川(いしかは)の峽(かひ)に <一には「谷に」といふ> 交(まじ)りてありといはずやも

 

(訳)今日か今日かと私が待ち焦がれているお方は、石川の山峡に<谷間(たにあい)に>迷いこんでしまっているというではないか。(同上)

(注)石川:石見の川の名。所在未詳。諸国に分布し、「鴨」の地名と組みになっていることが多い。

(注)まじる【交じる・雑じる・混じる】自動詞:①入りまじる。まざる。②(山野などに)分け入る。入り込む。③仲間に入る。つきあう。交わる。宮仕えする。④〔多く否定の表現を伴って〕じゃまをされる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは②の意

(注)やも [係助]《係助詞「や」+係助詞「も」から。上代語》:(文中用法)名詞、活用語の已然形に付く。①詠嘆を込めた反語の意を表す。②詠嘆を込めた疑問の意を表す。 (文末用法) ①已然形に付いて、詠嘆を込めた反語の意を表す。…だろうか(いや、そうではない)。②已然形・終止形に付いて、詠嘆を込めた疑問の意を表す。…かまあ。→めやも [補説] 「も」は、一説に間投助詞ともいわれる。中古以降には「やは」がこれに代わった。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 原文の「石水之 貝尓」の読み方には諸説がある。「石川の貝」、「石見山の峽(かひ)」、「石川の峽」などである。この解釈如何で、人麻呂が亡くなったのは、水辺か山間かに分かれる。

 

 もう一度人麻呂の二二三歌に戻ってみよう。

題詞は、「柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国に在りて死に臨む時に、自(みづか)ら傷(いた)みて作る歌一首>である。

伊藤 博氏は、この題詞の脚注で、巻二の「『相聞』は人麻呂の恋の歌で閉じ、『挽歌』は人麻呂の死の歌で閉じる。双方に依羅娘子が登場する。」と書かれている。

「挽歌」の場合、梅原 猛氏は、その著「水底の歌(上)」の中で、「『自傷』という言葉が使われているが、この同じ言葉が詞書につかわれているのは、同じこの巻の挽歌の最初の歌のみである。」と書かれている。有間皇子の歌である。

題詞は、「有間皇子、自(みづか)ら傷(いた)みて松が枝(え)を結ぶ歌二首」である。

この歌については、有間皇子結松記念碑とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1193、岩代番外)」で紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 さらに「・・・非業の死をとげた有間皇子の歌の詞書と同じ表現である点に、その死が尋常な死でないことを感じさせる。『自傷』とは、どういうことか。自らの死を傷むとは、どういう場合にありうることか。死とは予期しがたく、実際にその死がきたときには、人間は意識を失っているはずである。それゆえ、自らの死が確実であるという意識が必要であろう。」と書かれている。

 

 二二三歌を改めてみてみよう。

 

◆鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有

       (柿本人麻呂 巻二 二二三)

 

≪書き下し≫鴨山(かもやま)の岩根(いはね)しまける我(わ)れをかも知らにと妹(いも)が待ちつつあるらむ

 

そして依羅娘子の二二四歌をならべてみよう。

 

◆且今日ゝゝゝ 吾待君者 石水之 貝尓 <一云 谷尓> 交而 有登不言八方

       (依羅娘子 巻二 二二四)

 

≪書き下し≫今日今日(けふけふ)と我(あ)が待つ君は石川(いしかは)の峽(かひ)に <一には「谷に」といふ> 交(まじ)りてありといはずやも

 

 死を覚悟したうえで妻依羅娘子への思いを秘めた、死後にこの歌が伝わることを意識し愛を、思いを伝えようとした歌であり、依羅娘子も人麻呂の死を覚悟していたかのような、ある意味淡々とした中に人麻呂の気持ちを受けて詠った歌と見えてくる。挽歌とされているが、相聞以上の相聞歌ではないだろうか。

 

梅原 猛氏は、その著「水底の歌 柿本人麿論 上」(新潮文庫)の中で原文通り「貝に交って」と解釈し、水死であり、非業の死であるとされている。

 

 有間皇子は、謀られたとはいえ、「謀反」の罪で処刑されている。この有間皇子悲劇は後の世に伝えられ同情と共感をよんだ。挽歌の最初の歌として収録されており、長忌寸意吉麻呂(一四三、一四四歌)、山上憶良(一四五歌)、柿本人麻呂(一四六歌)といった同情歌が収録されている。

 中西 進氏は、その著「古代史で楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)の中で、「大化以後はまことに古代史における一大転換の時であった。それなりに新時代の誕生は輝かしくはあったけれども、一面それは血と非情を代価として得た輝きであった。その非情の歴史の中から、まず最初の万葉歌が生まれて来る。非情の中に非情たり得ないのが人間だからである。この人間にささえられて、万葉歌は生まれた。」と書かれている。

 

有間皇子の死に関しては、日本書紀がどちらかと言えば同情的記述を載せている。

 一方柿本人麻呂については、まったく謎である。

 しかし、万葉集にはそれなりの位置づけで、妻依羅娘子の歌や丹比真人の「人麻呂が意に擬(なずら)へて報(こた)ふる歌」や「或る本の歌」をも収録しているのである。

 万葉集という、とてつもない大きな存在が目の前にある。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「水底の歌 柿本人麿論 上」 梅原 猛 著 (新潮文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉