●歌は、「港葦に交れる草のしり草の人皆知りぬ我が下思ひは」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(70)にある。
●歌をみていこう。
◆湖葦 交在草 知草 人皆知 吾裏念
(作者未詳 巻十一 二四六八)
≪書き下し≫港葦(みなとあし)に交(まじ)れる草のしり草の人皆知りぬ我(あ)が下思(したも)ひは
(訳)河口の葦に交じっている草のしり草の名のように、人がみんな知りつくしてしまった。私のこのひそかな思いは。(伊藤 博 著 「万葉集三」 角川ソフィア文庫より)
(注)しりくさ【知り草・尻草】名詞:湿地に自生する三角藺(さんかくい)の別名。また、灯心草の別名ともいう(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)上三句が序。「知り」をおこす。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その278)」で紹介している。
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その278のブログを書いたとき、「知り草」なる名前を初めて知りましたが、この歌が万葉集に収録されているということは、万葉時代の人々は「知り草」を知っていたということになる。自然のなかの題材をもとに、このような歌をつくるセンスの良さにあらためて感動をおぼえる。
この歌は、巻十一の柿本人麻呂歌集にある「寄物陳思」(二四一五~二五〇七歌)の一首である。
「寄物陳思」とは、景物に寄せて思いを述べるという意味であるが、歌の前段において景物を例示し、その景物に寄せて人事内容を詠う「序詞」を持つ歌のことである。
二四六八歌でみてみると、「『港葦(みなとあし)に交(まじ)れる草のしり草の』人皆知りぬ我(あ)が下思(したも)ひは」の歌の前段で「河口の葦に交じっている草のしり草の名のように、」と「葦に交っているしり草」に寄せて、後段で「人がみんな知りつくしてしまった。私のこのひそかな思いは。」と人事内容をより際立たせる効果を有するある種のテクニックといってもよいだろう。
このような序詞を使った歌は、「相聞歌」に多い。その源流は、歌垣における真剣勝負にあったとみてよいだろう。ある意味、知的感動を与えることで、意中の相手の心を得るために培われた手法であったといっても過言ではないだろう。
歌垣が人を鍛え、歌の力も培われていったと言っても過言ではない。
(注)歌垣 分類文芸:古代、春か秋かに特定の地に男女が集まり、歌を詠み交わしたり踊ったりした交歓の行事。若い男女の求愛・求婚の機会ともなった。もとは豊作を祈願する宗教的行事の一面もあったが、のちには、風流な遊びとして宮廷行事にも取り入れられた。「うたがき」は筑紫(つくし)(=九州の古名)地方の言葉で、東国では「かがい(嬥歌)」といわれ、筑波(つくば)山のものが名高い。(学研)
二四七七歌をみてみよう。
◆足引 名負山菅 押伏 君結 不相有哉
(作者未詳 巻十一 二四七七)
≪書き下し≫あしひきの名負(なお)ふ山菅(やますげ)押し伏せて君し結ばば逢はずあらめやも
(訳)足を引っ張るという名を持つ山菅、その荒々しい菅をなぎ倒すように、私を押し伏せてあなたが契りを結ばれるのでしたら、お逢いしないこともありませんよ。(同上)
(注)上二句は序。「押し伏せて」を起こす。
結構激しい歌である。掛け合いで問いかけに対し答えているから、男性側の歌を見てみたいものである。受け手の女性の歌からも相当激しく、しかも知的に響く歌だったと想像できる。歌垣の参加者が思わず息をのんで、一瞬静まり返った次の瞬間の返しの歌であるように思える。
序詞の効果を最大限発揮するかのように、三句目で間を置き、「押し伏せて」とまた間を置く。どうする、どうなる、といった期待的想像力がめぐらされる。そして一気に結句に向かう。当事者はもちろん参加者全員がこの二人を別格に祭り上げたのはいうまでもないだろう。
こういったテクニックもさらに進化を見せる。いわゆる「二重の序」である。主に近畿の歌謡で見られるという。このことも歌垣等が歌のレベルを上げていった好例であろう。
二重の序についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1053)」で紹介している。
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春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、『『しりくさ』は尻に敷く草の意味らしく、池や川辺の泥(デイ)湿地に群生する多年草で、別名を『三角菅(サンカクスゲ)』、『灯心草(トウシングサ)』・『鷺(サギ)尻草』と言うが、単に『尻草(知り草)』とも称した。一般的に『三角藺(サンカクイ)』と言われているが、これによく似た『七島(シチトウ)』や『害枯藺(カンガレイ)』も候補に挙がる。
『三角藺(サンカクイ)』は茎が三角形で、藺草(イグサ)によく似ているためこの名が付く。茎の先がとがっているため『鷺の尻刺し』・『鷺の尻剣』の異名が付いているが、鷺(サギ)の尾を刺すのでという説と、鷺(サギ)の尾の形に見立てた説がある。(後略)」と書かれている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」