●歌は、「春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(13)にある。
●歌をみていこう。
◆春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹
(柿本朝臣人麿歌集 巻十 一八九五)
≪書き下し≫春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)
(訳)春になると、まっさきに咲くさいぐさの名のように、命さえさいわいであるならば、せめてのちにでも逢うことができよう。そんなに恋い焦がれないでおくれ、お前さん。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造になっている。
(注)そ 終助詞:《接続》動詞および助動詞「る」「らる」「す」「さす」「しむ」の連用形に付く。ただし、カ変・サ変動詞には未然形に付く。:①〔穏やかな禁止〕(どうか)…してくれるな。しないでくれ。▽副詞「な」と呼応した「な…そ」の形で。②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。
参考(1)禁止の終助詞「な」を用いた禁止表現よりも、禁止の副詞「な」と呼応した「な…そ」の方がやわらかく穏やかなニュアンスがある。(2)上代では「な…そね」という形も併存したが、中古では「な…そ」が多用される。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
一八九五歌の上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造、「二重の序」になっている。
「二重の序」を有する歌をいくつかみてみよう。
◆橡之 衣解洗 又打山 古人尓者 猶不如家利
(作者未詳 巻十二 三〇〇九)
≪書き下し≫橡(つるはみ)の衣(きぬ)解(と)き洗ひ真土山(まつちやま)本(もと)つ人にはなほ及(し)かずけり
(訳)橡(つるばみ)染めの地味な衣を解いて洗って、また打つという、真土(まつち)山のような、本つ人―古馴染の女房には、やっぱりどの女も及ばなかったわい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)もとつひと【元つ人】名詞:昔なじみの人。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。(学研)
(注)真土山(読み)マツチヤマ:奈良県五條市と和歌山県橋本市との境にある山。吉野川(紀ノ川)北岸にある。[枕]同音の「待つ」にかかる。(コトバンク デジタル大辞泉)
「橡(つるはみ)の衣(きぬ)解(と)き洗ひ」は、マタ打ツ意で「真土」を起こす序。上三句「橡(つるはみ)の衣(きぬ)解(と)き洗ひ真土山(まつちやま)」はマツチと類音で「本つ」を起こす、「二重の序」になっている。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その703)」で紹介している。
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少し脱線するが、「橡(つるはみ)の衣」を古女房に喩え、越中時代部下の不倫を諭した大伴家持の歌(四一〇九歌)も、この歌を参考にしたのかもしれない。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その123改)」で紹介している。
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◆未通女等之 袖振山之 水垣之 久時従 憶寸吾者
(柿本朝臣人麻呂 巻四 五〇一)
≪書き下し≫ 未通女(をとめ)らが袖(そで)布留山(そでふるやま)の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひき我(わ)れは
(訳)おとめが袖を振る、その布留山の瑞々しい垣根が大昔からあるように、ずっとずっと前から久しいこと、あの人のことを思ってきた、この私は。(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)
(注)ふるやま【布留山】:石上神宮の東方にある円錐形の山、標高266m。
「未通女らが袖」までが「布留」を、上三句が「久しき」を起こす二重の序になっている。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その50改)」で紹介している。
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類歌として、二四一五歌がある。こちらもみてみよう。
◆娘子(をとめ)らを袖(そで)布留山(そでふるやま)の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひけり我(わ)れは
(作者未詳 巻十一 二四一五)
(訳)娘子に向かって袖を振るという、その布留山の瑞垣が大昔からあるように、ずっと久しい年月を思いに思ってきたのだ、この私は。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
「娘子らを袖」までが「布留」を、上三句が「久しき」を起こす二重の序になっている。
◆妹(いも)が髪上(あ)げ竹葉野(たかはの)の放(はな)ち駒(ごま)荒びにけらし逢はなく思へば
(訳)あの子の神を掻き上げてたくという竹葉野放ち飼いの馬、その馬のように、あの子の気持ちはすっかり荒れすさんで離れてしまったらしい。逢ってくれないことを思うと。(同上)
「妹が髪上げ」までは「竹」を、上三句は「荒び」を起こす二重の序になっている。
◆我妹子(わぎもこ)を聞き都賀野辺(つがのへ)のしなひ合歓木(ねぶ)我(あ)は忍びえず間(ま)なくし思へば
(作者未詳 巻十一 二七五二
(訳)あの子の噂を聞き継ぎたい、その都賀野の野辺にしなっている合歓木(ねむ)のように、私はしのびこらえることができない。ひっきりなしに思っているので。(同上)
「我妹子(わぎもこ)を聞き」までが「都賀」を、上三句は「忍び」を起こす二重の序になっている。
◆妹(いも)が目を見まく堀江(ほりえ)のさざれ波しきて恋ひつつありと告げこそ
(作者未詳 巻十二 三〇二四)
(訳)あの子に逢いたいと欲り願う、その堀江に絶え間なく立つさざ波、その波のように、繰り返し焦がれていると、あの子に伝えておくれ。(同上)
「妹(いも)が目を見まく」までは「堀江」を、上三句は「しきて」を起こす二重の序になっている。
◆我妹子(わぎもこ)にまたも近江(あふみ)の安(やす)の川(かは)安寐(やすい)も寝(ね)ずに恋ひわたるかも。
(訳)いとしいあの子にまたも逢うという、近江の安の川、その川の名ではないが、安らかな眠りさえできずに。あの子に恋いつづけている。(同上)
「我妹子(わぎもこ)にまたも」までは「近江」を、上三句は「安寐(やすい)」を起こす二重の序になっている。
◆吉美尓餘里 吾名波須泥尓 多都多山 絶多流孤悲乃 之氣吉許呂可母
(平群氏女郎 巻十七 三九三一)
≪書き下し≫君により我が名はすでに竜田山(たつたやま)絶えたる恋の繁(しげ)きころかも
(訳)我が君のせいで私の浮名はとっくに立ってしまったという名の竜田山(たつたやま)、その名のように断ち切ったはずの恋心が、しきりにつのるこのごろです。「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より
(注)「孤悲」と表記しているのは、書き手の遊び心であろう。
上二句「君により我が名はすでに」が「竜田山」を、上三句が「絶ち」を起こす二重の序になっている。
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その841)」で紹介している。
➡ こちら841
◆我妹子(わぎもこ)に衣(ころも)春日(かすが)の宜寸川(よしきがは)よしもあらぬか妹(いも)が目を見む
(作者未詳 巻十二 三〇一一)
(訳)いとしい子に衣を貸すという、春日の宜寸川、その名のように何かよしでもないものか。あの子と逢いたくて仕方がない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
「我妹子(わぎもこ)に衣(ころも)」までは貸す意で「春日」を、上三句は同音で「よし」を起こす二重の序になっている。
◆との曇(ぐも)り雨布留川(ふるかは)のさざれ波間(ま)なくも君は思ほゆるかも
(作者未詳 巻十二 三〇一二)
(訳)一面にかき曇って雨が降る、その布留川のさざ波のように、絶え間なくしきりに、あなたは恋しく思われてなりません。(同上)
(注)とのぐもる【との曇る】自動詞:空一面に曇る。 ※「との」は接頭語。(学研)
「との曇(ぐも)り雨」までは「布留川」を、上三句は「間なく」を起こす二重の序になっている。
相聞歌、物に喩えた歌に多く見られる。歌の技巧を凝らしたというよりも、原点は民謡にあると思われる。平群氏女郎の三九三一歌などは古歌を参考にしたのであろう。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」