●歌は、「たらちねの母がその業る桑すらに願へば衣に着るといふものを」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(12)にある。
●歌をみていこう。
◆足乳根乃 母之其業 桑尚 願者衣尓 著常云物乎
(作者未詳 巻七 一三五七)
≪書き下し≫たらちねの母がその業(な)る桑(くは)すらに願(ねが)へば衣(きぬ)に着るといふものを。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(訳)母が生業(なりわい)として育てている桑の木でさえ、ひたすらお願いすれば着物として着られるというのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)母の反対がゆえにかなえられない恋を嘆く女心を詠っている。
万葉集には、「桑」が詠み込まれているのは三首である。うち一首は「桑子(くわこ)」となっており、植物でなく「蚕」のことを詠っているのである。
この歌ならびに、三三五〇歌(桑)、三〇八六歌(蚕)については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その517)」で紹介している。
➡
春日大社神苑萬葉植物園の植物説明板によると、「クワ」の名の由来は、「蚕が食う葉」・「蚕葉(こは)」が転じたものとある。
養蚕は、今から5,6千年前に、中国の黄河や揚子江流域で野生の桑子(くわこ)を使って営んだのがはじまりといわれている。
漢の時代(紀元前200年くらい)になると西域との貿易が始まり、絹の魅力は、中近東へ、そして、ローマまで広まっていき、やがて、この交易ルートが「シルクロード」(絹の道)といわれた。
日本に養蚕技術が伝わったのも紀元前200年くらい、稲作といっしょに中国から伝えられたといわれている。さらに西陣織工業組合HPによると、「西陣織の源流は、遠く古墳時代にまで求められます。5、6世紀頃、大陸からの渡来人である秦氏の一族が山城の国、つまり今の京都・太秦あたりに住みついて、養蚕と絹織物の技術を伝えたのです。」とある。
一三五七歌の「願へば衣に」という表現には、高価でなかなか手に入らないという含みがある。絹製品が高級で、高価で、なかなか手に入らないものであるからかかる歌が詠まれたのであろう。
その価値を推し量るものとして次の歌がある。これをみてみよう。
◆次嶺経 山背道乎 人都末乃 馬従行尓 己夫之 歩従行者 毎見 哭耳之所泣 曽許思尓 心之痛之 垂乳根乃 母之形見跡 吾持有 真十見鏡尓 蜻領巾 負並持而 馬替吾背
(作者未詳 巻十三 三三一四)
≪書き下し≫つぎねふ 山背道(やましろぢ)を 人夫(ひとづま)の 馬より行くに 己夫(おのづま)し 徒歩(かち)より行けば 見るごとに 音(ね)のみし泣かゆ そこ思(おも)ふに 心し痛し たらちねの 母が形見(かたみ)と 我(わ)が持てる まそみ鏡に 蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ) 負(お)ひ並(な)め持ちて 馬買(か)へ我(わ)が背
(訳)つぎふね山背道 山背へ行くその道を、よその夫は馬でさっさと行くのに、私の夫はとぼとぼと足で行くので、そのさまを見るたびに泣けてくる。そのことを思うと心が痛む。母さんの形見として私がたいせつにしている、まそ鏡に蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ)、これを品々に添えて負い持って行き、馬を買って下さい。あなた。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)つぎねふ 分類枕詞:地名「山城(やましろ)」にかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)より 格助詞《接続》体言や体言に準ずる語に付く。①〔起点〕…から。…以来。②〔経由点〕…を通って。…を。③〔動作の手段・方法〕…で。④〔比較の基準〕…より。⑤〔範囲を限定〕…以外。…より。▽多く下に「ほか」「のち」などを伴って。⑥〔原因・理由〕…ために。…ので。…(に)よって。⑦〔即時〕…やいなや。…するとすぐに。
※参考(1)⑥⑦については、接続助詞とする説もある。(2)上代、「より」と類似の意味の格助詞に「よ」「ゆ」「ゆり」があったが、中古以降は用いられなくなり、「より」のみが残った。(学研) ここでは③の意。
(注)まそみかがみ 【真澄鏡】名詞:よく澄んで、くもりのない鏡。 ※「ますみのかがみ」の変化した語。中古以後の語で、古くは「まそかがみ」。(学研)
(注)あきづひれ【蜻蛉領巾】名詞:とんぼの羽のように薄く美しい細長い布。上代の婦人の装身具。(学研)
「真澄鏡」とおそらく高級な絹織物の「蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ)」で馬一頭が買えたようである。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その326)」で紹介している
➡
市で、高価な絹を買ったが目利きができず商いで損を出してしまったと嘆く歌がある。こちらもみてみよう。
◆西市尓 但獨出而 眼不並 買師絹之 商自許里鴨
(作者未詳 巻七 一二六四)
≪書き下し≫西(にし)の市(いち)にただ一人出(い)でて目並(めなら)べず買ひてし絹(きぬ)の商(あき)じこりかも
(訳)西の市にたったひとりで出かけて、見比べもせずに買ってしまった絹、その絹はたいへんな買い損ないであったよ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)めならぶ【目並ぶ】他動詞:並べて見比べる。一説に、多くの人の目を経る。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)商(あき)じこり:買い損ない
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その384)」で紹介している。
➡
平城京には、東市と西市があり、東市に関する歌碑は、杏町辰市神社境内にあり、歌は「東の市の植木の木足るまで逢はず久しみうべ恋ひにけり」(門部王 巻三 三一〇)である。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その23改)で紹介している。((初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)
➡
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「大日本蚕糸会HP」
★「西陣織工業組合HP」