●歌は、「つぎねふ山背道を人夫の馬より行くに己夫し徒歩より行けば見るごとに・・・(長歌)」である。
●歌をみていこう。
◆次嶺経 山背道乎 人都末乃 馬従行尓 己夫之 歩従行者 毎見 哭耳之所泣 曽許思尓 心之痛之 垂乳根乃 母之形見跡 吾持有 真十見鏡尓 蜻領巾 負並持而 馬替吾背
(作者未詳 巻十三 三三一四)
≪書き下し≫つぎねふ 山背道(やましろぢ)を 人夫(ひとづま)の 馬より行くに 己夫(おのづま)し 徒歩(かち)より行けば 見るごとに 音(ね)のみし泣かゆ そこ思(おも)ふに 心し痛し たらちねの 母が形見(かたみ)と 我(わ)が持てる まそみ鏡に 蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ) 負(お)ひ並(な)め持ちて 馬買(か)へ我(わ)が背
(訳)つぎふね山背道 山背へ行くその道を、よその夫は馬でさっさと行くのに、私の夫はとぼとぼと足で行くので、そのさまを見るたびに泣けてくる。そのことを思うと心が痛む。母さんの形見として私がたいせつにしている、まそ鏡に蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ)、これを品々に添えて負い持って行き、馬を買って下さい。あなた。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)つぎねふ 分類枕詞:地名「山城(やましろ)」にかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)より 格助詞《接続》体言や体言に準ずる語に付く。①〔起点〕…から。…以来。②〔経由点〕…を通って。…を。③〔動作の手段・方法〕…で。④〔比較の基準〕…より。⑤〔範囲を限定〕…以外。…より。▽多く下に「ほか」「のち」などを伴って。⑥〔原因・理由〕…ために。…ので。…(に)よって。⑦〔即時〕…やいなや。…するとすぐに。
※参考(1)⑥⑦については、接続助詞とする説もある。(2)上代、「より」と類似の意味の格助詞に「よ」「ゆ」「ゆり」があったが、中古以降は用いられなくなり、「より」のみが残った。(学研) ここでは③の意。
(注)まそみかがみ 【真澄鏡】名詞:よく澄んで、くもりのない鏡。◆「ますみのかがみ」の変化した語。中古以後の語で、古くは「まそかがみ」。
(注)蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ):トンボの羽のように透き通った上等な領布
「つぎね」が詠まれているのは、この一首のみである。現在の植物名は、ヒトリシズカともフタリシズカと言われている。また、植物の名ではないという説もある。
◆泉川 渡瀬深見 吾世古我 旅行衣 蒙沾鴨
(作者未詳 巻十三 三三一五)
≪書き下し≫泉川(いづみがわ)渡り瀬(ぜ)深み我(わ)が背子(せこ)が旅行(たびゆ)き衣(ごろも)ひづちなむかも
(訳)泉川、あの川は渡り瀬が深いので、あなたの旅衣がびしょ濡れになってしまうのではなかろうか。(同上)
(注)泉川:今の木津川
(注)ひづつ【漬つ】自動詞:ぬれる。泥でよごれる。
続いて、「或本反歌曰」<或る本の反歌に曰はく>をみてみよう。
◆清鏡 雖持吾者 記無 君之歩行 名積去見者
(作者未詳 巻十三 三三一六)
≪書き下し≫まそ鏡持てれど我(わ)れは験(しるし)なし君が徒歩(かち)よりなづみ行く見れば
(訳)まそ鏡、こんな鏡など持っていても、私には何の甲斐(かい)もありません。あなたが徒歩で難儀しながらいらっしゃるのを見ると。(同上)
◆馬替者 妹歩行将有 縦恵八子 石者雖履 吾二行
(作者未詳 巻十三 三三一七)
≪書き下し≫馬買はば妹(いも)徒歩(かち)ならむよしゑやし石(いし)は踏(ふ)むとも我(わ)はふたり行かむ
(訳)私が馬を買ったら、あなたはひとりか弱い足に頼らなければならなくなろう。かまうものか、川瀬の石を踏んで難儀しようとも、われらは二人で行こう。(同上)
「或本反歌曰」は三三一六歌のことをさしている。三三一七歌は、夫の旅を案ずる妻に対して、二人の旅を想定して答えた歌である。
夫婦お互いが相手を思いやる歌である。「問答歌」になっており、なんとも仲睦まじい夫婦の問答である。
今日は令和二年一月一日である。今年も「恕」の心、すなわち、相手のことを思いやる気持ちをベースに頑張っていきたい。
本年もよろしくお願い申し上げます。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」