万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その325)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(66)―

●歌は、「初春の初子の今日の玉箒手に取るからに揺らぐ玉の緒」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(66)(大伴家持

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(66)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆始春乃 波都祢乃家布能 多麻婆波伎 手尓等流可良尓 由良久多麻能乎

                (大伴家持 巻二十 四四九三)

 

≪書き下し≫初春(はつはる)の初子(はつね)の今日(けふ)の玉箒(たまばはき)手に取るからに揺(ゆ)らぐ玉の緒

 

(訳)春先駆けての、この初春の初子の今日の玉箒、ああ手に取るやいなやゆらゆらと音をたてる、この玉の緒よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

題詞は、「二年春正月三日召侍従竪子王臣等令侍於内裏之東屋垣下即賜玉箒肆宴 于時内相藤原朝臣奉勅宣 諸王卿等随堪任意作歌并賦詩 仍應 詔旨各陳心緒作歌賦詩  未得諸人之賦詩并作歌也」<二年の春の正月の三日に、侍従、豎子(じゆし)、王臣等(ら)を召し、内裏(うち)の東(ひがし)の屋(や)の垣下(かきもと)に侍(さもら)はしめ、すなわち玉箒(たまばはき)を賜ひて肆宴(しえん)したまふ。時に、内相藤原朝臣、勅(みことのり)を奉じ宣(の)りたまはく、「諸王(しよわう)卿(きやう)等(ら)、堪(かん)のまにま意のまにまに歌を作り、并(あは)せて詩を賦(ふ)せ」とのりたまふ。よりて詔旨(みことのり)に応え、おのもおのも心緒(おもひ)を陳(の)べ、歌を作り詩を賦(ふ)す。  いまだ諸人の賦したる詩、并せて作れる歌を得ず>

(注)二年:天平宝字二年(758年)

(注)じじゅう【侍従】名詞:天皇に近侍し、補佐および雑務に奉仕する官。「中務省(なかつかさしやう)」に所属し、定員八名。そのうち三名は少納言の兼任。のちには数が増える。中国風に「拾遺(しふゐ)」ともいう。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)じゅし【豎子・孺子】①未熟者。青二才。②子供。わらべ。:未冠の少年で宮廷に奉仕する者。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)かきもと【垣下】名詞:宮中や公卿(くぎよう)の家で催される饗宴(きようえん)で、正客の相手として、ともにもてなしを受ける人。また、その人の座る席。相伴(しようばん)をする人。「かいもと」とも。(学研)

(注)たまばはき【玉箒】名詞:①ほうきにする木・草。今の高野箒(こうやぼうき)とも、箒草(ほうきぐさ)ともいう。②正月の初子(はつね)の日に、蚕室(さんしつ)を掃くのに用いた、玉を飾った儀礼用のほうき。(学研)

(注)まにま【随・随意】名詞:他の人の意志や、物事の成り行きに従うこと。まま。※形式名詞と考えられる。連体修飾語を受けて副詞的に用いられる。(学研)

 

左注は、「右一首右中辨大伴宿祢家持作 但依大蔵政不堪奏之也」<右の一首は、右中弁大伴宿禰家持作る。ただし、大蔵の政(めつりごと)によりて、奏し堪(あ)へず>

 

玉箒(たまばはき)は、メドハギ、ホウキグサなどの説があるがコウヤボウキが定説。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)