●歌は、「道の辺の尾花が下の思ひ草今さらさらに何をか思はむ」である。
●歌をみていこう。
◆道邊之 乎花我下之 思草 今更尓 何物可将念
(作者未詳 巻十 二二七〇)
≪書き下し≫道の辺(へ)の尾花(をばな)が下(した)の思(おも)ひ草(ぐさ)今さらさらに何をか思はむ
(訳)道のほとりに茂る尾花の下蔭の思い草、その草のように、今さらうちしおれて何を一人思いわずらったりするものか。((伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)思ひ草:すすきの根元に寄生するナンバンギセルのこと。チガヤ、ミョウガ、サトウキビなどにも寄生する。
◇◇◇大和郡山市の万葉歌碑(平城京西市跡ならびに郡山大橋東詰め近くの佐保川堤防)を巡ってきました◇◇◇
12月28日、年末近くのバタバタのなか、大和郡山市の万葉歌碑を検索していたら、平城西市跡と郡山大橋の東詰あたりに2基あることが分かった。奈良女子大の「万葉歌碑データベース」で検索、位置を確かめる。年末の買い物や庭の掃除を済ませ、15時ごろ探索に出発する。
平城京跡を左手に見ながら24号線と並行する形で県道9号線を南下、唐招提寺、薬師寺を右手に見ながら、最初の目的地「平城京西市跡」(奈良県大和郡山市九条町)に着く。
「平城京西市跡」の碑、「平城京西市跡」の説明看板、「万葉歌碑」、「西市萬葉歌碑」(揮毫者等記載)、などが林立するゾーンである。
平城京には、東市と西市があり、東市に関する歌碑は、杏町辰市神社境内にあり、歌は「東の市の植木の木足るまで逢はず久しみうべ恋ひにけり」(門部王 巻三 三一〇)である。この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その23)でふれている。
西市の歌は、「西の市にただ一人出でて目並べず買ひてし絹の商じこりかも」(作者未詳 巻七 一二六四)である。
訳は、「西の市にたったひとりで出かけて、見比べもせずに買ってしまった絹、その絹はたいへんな買い損ないであったよ。」と嘆く歌である。絹のような高額な商品に手を出し、まがい物か粗悪品をつかまされ嘆く歌も収録されているところが、万葉集の万葉集たる所以のひとつであろう。
西市跡を後にして、24号線に出て、イオンモールの前を右折、郡山大橋方面に進む。歌碑は佐保川の堤防にあるので、橋手前で左側道にはいる。突き当りが佐保川である。近くに車を止め、堤防を散策。小さな社があり、その手前に歌碑があった。歌は、「佐保川の清き河原に鳴く千鳥 かはづと二つ忘れかねつも」(作者未詳 巻七 一一二三)である。
気ぜわしいなか、無事に二つの歌碑をゲットできた、まさに「二つ忘れかねつも」である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「万葉歌碑データベース」 (奈良女子大学)