万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1679~1681)―福井県越前市 万葉ロマンの道(42~45)―万葉集 巻十五 三七六四~三七六六

―その1679―

●歌は、「山川を中にへなりて遠くとも心を近く思ほせ我妹」である。

 

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(42)にある。

福井県越前市 万葉ロマンの道(42)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌をみていこう。

 

◆山川乎 奈可尓敝奈里弖 等保久登母 許己呂乎知可久 於毛保世和伎母

      (中臣宅守 巻十五 三七六四)

 

≪書き下し≫山川(やまかは)を中にへなりて遠くとも心を近く思ほせ我妹(わぎも)

 

(訳)山や川、そう、そんな山や川が中に隔てていて、いかに遠く離れ離れにいようとも、心を私の近く近くへと寄り添って思っていておくれよね、あなた。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1355⑤)」で紹介している。

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 「愛しと我が思ふ妹を山川を中にへなりて安けくもなし(三七五五歌)」、「我が身こそ関山越えてここにあらめ心は妹に寄りにしものを(三七五七歌)」を意識している。

 

 

 

―その1680―

●歌は、「まそ鏡懸けて偲へと奉り出す形見のものを人に示すな」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(43)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(43)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆麻蘇可我美 可氣弖之奴敝等 麻都里太須 可多美乃母能乎 比等尓之賣須奈

       (中臣宅守 巻十五 三七六五)

 

≪書き下し≫まそ鏡懸(か)けて偲(しぬ)へと奉(まつ)り出す形見(かたみ)のものを人に示すな

 

(訳)まそ鏡を掛けて見るように、心に懸けて偲んでほしいとさしあげる形見の物、この大事な物は、他の人には見せないで下さい。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)まそかがみ【真澄鏡】分類枕詞:鏡の性質・使い方などから、「見る」「清し」「照る」「磨(と)ぐ」「掛く」「向かふ」「蓋(ふた)」「床(とこ)」「面影(おもかげ)」「影」などに、「見る」ことから「み」を含む地名「敏馬(みぬめ)」「南淵山(みなぶちやま)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)まそかがみ【真澄鏡】名詞:「ますかがみ」に同じ。 ※「まそみかがみ」の変化した語。上代語。(学研)>ますかがみ【真澄鏡】名詞:よく澄んで、くもりのない鏡。 ※「ますみのかがみ」の変化した語。中古以後の語で、古くは「まそかがみ」。(学研)

(注の注の注)まそ鏡:宅守が娘子に形見として贈ったもの。

(注)まつりだす【奉り出す】[動]:献上する。差し上げる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)かたみ【形見】名詞:①遺品。形見の品。遺児。故人や遠く別れた人の残した思い出となるもの。②記念(物)。思い出の種。昔を思い出す手がかりとなるもの。(学研)ここでは①の「遠く別れた人の残した思い出となるもの」の意である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1396)」で紹介している。

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―その1681―

●歌は、「愛しと思ひし思はば下紐に結ひつけ持ちてやまず偲はせ」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(44)万葉歌碑<道標燈籠>(中臣宅守

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(44)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆宇流波之等 於毛比之於毛波婆 之多婢毛尓 由比都氣毛知弖 夜麻受之努波世

       (中臣宅守 巻十五 三七六六)

 

≪書き下し≫愛(うるは)しと思ひし思はば下紐(したびも)に結(ゆ)ひつけ持ちてやまず偲(しの)はせ

 

(訳)いとしいと思う、そう私のことを思って下さるならば、この鏡を下着の紐に結んで身に付け、絶えず偲んでおくれよね。(同上)

(注)したひも【下紐】名詞:腰から下に着用する裳(も)や袴(はかま)などの紐。 ⇒参考:『万葉集』では「したびも」。上代には、下紐が自然に解けるのは、相手から思われているか、恋人に会える前兆とする俗信があった。また、男女が共寝した後、互いに相手の下紐を結び合って、再び会うまで解かない約束をする習慣があった。(学研)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1397)」で紹介している。

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 三七六五歌で詠われている「形見」について調べてみよう。現代で使われている「形見」は、亡くなった人を偲ぶ物、遺品といったニュアンスが強いが、万葉集で使われている「形見」は、「遠く別れた人の残した思い出となるもの」といった使い方が多いようである。

 「万葉神事語事典」(國學院大學デジタルミュージアムHP)で検索してみよう。次の様に詳しく書かれている。

「その人の姿かたち(魂のこもったもの)として偲び見るものの意で、遠く離れて会えない人を思い出すよすがとなるものをいう。現代語よりも用法は広く、生死にかかわらず用いられる万葉集の初見は、柿本人麻呂の安騎野供奉(あきのぐぶ)歌の第2首(1-47)『真草(まくさ)刈る荒野(あらの)』で、軽皇子を中心とする宮廷の一行が、軽の父草壁皇子が狩猟したこの地を形見の地としてやってきたことを詠む。人麻呂は明日香皇女挽歌(2-196~198)では、皇女の御名にゆかりの明日香川を皇女の形見として偲ぶことを歌う。いずれも土地を形見とする。一方、泣血哀慟歌では、亡妻が形見としてこの世に残し置いた『みどり子』が亡妻の面影を宿してあわれを誘う(2-210)。人麻呂歌集歌においても形見の地への執着が詠まれ、『紀伊(き)の国にして作る歌四首』(9-1796~9)では「潮気(しほけ)立つ荒磯」「黒牛潟」「真砂(まなご)」を形見として詠みこむ。また『池の辺の小槻(をつき)が下の小竹(しの)』の生えている場所は男との思い出を刻む形見の地(7-1276)。男女二人が植えた『松の木』を形見とする歌(11-2484)もある。如上の人麻呂作歌や人麻呂歌集歌と同様の用法は、古集の『形見の浦』(7-1199)に見られ、播磨国『印南都麻(いなみつま)』(15-3596)の地や『秋萩』(2-233)・『藤波』(8-1471)・『合歓木(ねぶ)の花』(8-1463)の植物に継承されている。形見の具体的物品としては『衣』が最も多く、『形見の衣』の表現も5例ほどを数える。衣は恋人や夫婦がお互いの安全を祈り再会を期して交換した肌着で、衣にこもる魂のぬくもりの呪力が信じられた。笠女郎歌(4-587)の『わが形見』は、響き合う第3首(4-589)に『衣手(ころもで)を 打廻(うちみ)の里に ある我を』とあることから『衣』と考えられる。衣以外の形見に『まそ鏡』(12-2978、13-3314、15-3765)や『蜻蛉領巾(あきつひれ)』(13-3314)がある。双方を詠みこむ巻13の3314番歌では、いずれの品も母から娘に受け継がれた大切な呪的形見である。」(ポイントになる箇所にはアンダーラインを引かせていただきました、)

 ここに挙げられている歌を追って見て「形見」の使い方に迫ってみよう。

 

 

■巻一 四七歌■

◆真草苅 荒野者雖有 葉 過去君之 形見跡曽来師

      (柿本人麻呂 巻一 四七)

 

≪書き下し≫ま草刈る荒野(あらの)にはあれど黄葉(もみちば)の過ぎにし君が形見とぞ来(こ)し

 

(訳)廬草(いおくさ)刈る荒野ではあるけれども、黄葉(もみちば)のように過ぎ去った皇子の形見の地として、われらはここにやって来たのだ。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1064)」で紹介している。

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■巻二 一九六歌■

◆飛鳥 明日香乃河之 上瀬 石橋渡(一云、石浪) 下瀬 打橋渡 石橋(一云、石浪) 生靡留 玉藻毛叙 絶者生流 打橋 生乎為礼流 川藻毛叙 干者波由流 何然毛 吾王生乃 立者 玉藻之如許呂 臥者 川藻之如久 靡相之 宣君之 朝宮乎 忘賜哉 夕宮乎 背賜哉 宇都曽臣跡 念之時 春部者 花折挿頭 秋立者 黄葉挿頭 敷妙之 袖携 鏡成 唯見不献 三五月之 益目頬染 所念之 君与時ゞ 幸而 遊賜之 御食向 木瓲之宮乎 常宮跡定賜 味澤相 目辞毛絶奴 然有鴨(一云、所己乎之毛) 綾尓憐 宿兄鳥之 片戀嬬(一云、為乍) 朝鳥(一云、朝霧) 往来為君之 夏草乃 念之萎而 夕星之 彼往此去 大船 猶預不定見者 遺問流 情毛不在 其故 為便知之也 音耳母 名耳毛不絶 天地之 弥遠長久 思将往 御名尓懸世流 明日香河 及万代 早布屋師 吾王乃 形見何此為

                   (柿本人麻呂 巻二 一九六)

 

≪書き下し≫飛ぶ鳥 明日香の川の 上(かみ)つ瀬に 石橋(いしばし)渡す<一には「石並」といふ> 下(しも)つ瀬に 打橋(うちはし)渡す 石橋に<一には「石並」といふ> 生(お)ひ靡(なび)ける 玉藻ぞ 絶ゆれば生(は)ふる 打橋に 生ひををれる 川藻もぞ 枯るれば生ゆる なにしかも 我が大君の 立たせば 玉藻のもころ 臥(こ)やせば 川藻のごとく 靡かひし 宜しき君が 朝宮を 忘れたまふや 夕宮を 背(そむ)きたまふや うつそみと 思ひし時に 春へは 花折りかざし 秋立てば 黄葉(もみぢば)かざし 敷栲(しきたへ)の 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月(もちづき)の いや愛(め)づらしみ 思ほしし 君と時時(ときとき) 出でまして 遊びたまひし 御食(みけ)向かふ 城上(きのへ)の宮を 常宮(とこみや)と 定めたまひて あぢさはふ 目言(めこと)も絶えぬ しかれかも<一には「そこをしも」といふ> あやに悲しみ ぬえ鳥(どり)の 片恋(かたこひ)づま(一には「しつつ」といふ) 朝鳥(あさとり)の<一つには「朝霧の」といふ> 通(かよ)はす君が 夏草の 思ひ萎(しな)えて 夕星(ゆふつづ)の か行きかく行き 大船(おほふな)の たゆたふ見れば 慰(なぐさ)もる 心もあらず そこ故(ゆゑ)に 為(せ)むすべ知れや 音(おと)のみも 名のみも絶えず 天地(あめつち)の いや遠長(とほなが)く 偲ひ行かむ 御名(みな)に懸(か)かせる 明日香川 万代(よろづよ)までに はしきやし 我が大君の 形見(かたみ)にここを

 

(訳)飛ぶ鳥明日香の川の、川上の浅瀬に飛石を並べる(石並を並べる)、川下の浅瀬に板橋を掛ける。その飛石に(石並に)生(お)い靡いている玉藻はちぎれるとすぐまた生える。その板橋の下に生い茂っている川藻は枯れるとすぐまた生える。それなのにどうして、わが皇女(ひめみこ)は、起きていられる時にはこの玉藻のように、寝(やす)んでいられる時にはこの川藻のように、いつも親しく睦(むつ)みあわれた何不足なき夫(せ)の君の朝宮をお忘れになったのか、夕宮をお見捨てになったのか。いつまでもこの世のお方だとお見うけした時に、春には花を手折って髪に挿し、秋ともなると黄葉(もみぢ)を髪に挿してはそっと手を取り合い、いくら見ても見飽きずにいよいよいとしくお思いになったその夫の君と、四季折々にお出ましになって遊ばれた城上(きのえ)の宮なのに、その宮を、今は永久の御殿とお定めになって、じかに逢うことも言葉を交わすこともなされなくなってしまった。そのためであろうか(そのことを)むしょうに悲しんで片恋をなさる夫の君(片恋をなさりながら)朝鳥のように(朝霧のように)城上の殯宮に通われる夫の君が、夏草の萎(な)えるようにしょんぼりして、夕星のように行きつ戻りつ心落ち着かずにおられるのを見ると、私どももますます心晴れやらず、それゆえどうしてよいかなすすべを知らない。せめて、お噂(うわさ)だけ御名(みな)だけでも絶やすことなく、天地(あめつち)とともに遠く久しくお偲びしていこう。その御名にゆかりの明日香川をいついつまでも……、ああ、われらが皇女の形見としてこの明日香川を。(伊藤 博  著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ををる【撓る】自動詞:(たくさんの花や葉で)枝がしなう。たわみ曲がる。 ※上代語。(学研)

(注)もころ【如・若】名詞:〔連体修飾語を受けて〕…のごとく。…のように。▽よく似た状態であることを表す。(学研)

(注)こやす【臥やす】自動詞:横におなりになる。▽多く、死者が横たわっていることについて、婉曲(えんきよく)にいったもの。「臥(こ)ゆ」の尊敬語。 ※上代語。(学研)

(注)宜しき君が 朝宮を:何不足のない夫の君の朝宮なのに、その宮を。(伊藤脚注)

(注)うつそみと 思ひし時に:いついつまでもこの世の人とお見受けしていた、ご在世の時。(伊藤脚注)

(注)はるべ【春方】名詞:春のころ。春。 ※古くは「はるへ」。(学研)

(注)「敷栲の」以下「鏡なす」「望月の」「御食向ふ」「あぢさはふ」「ぬえ鳥の」「朝鳥の」「夏草の」「夕星の」「大船の」と共に枕詞。(伊藤脚注)

(注)たづさふ 【携ふ】:手を取りあう。連れ立つ。連れ添う。(学研)

(注)目言(めこと):名詞 実際に目で見、口で話すこと。顔を合わせて語り合うこと。(学研)

(注)とこみや【常宮】名詞:永遠に変わることなく栄える宮殿。貴人の墓所の意でも用いる。「常(とこ)つ御門(みかど)」とも。(学研)

(注)ゆふつづ【長庚・夕星】名詞:夕方、西の空に見える金星。宵(よい)の明星(みようじよう)。 ※後に「ゆふづつ」。[反対語] 明星(あかほし)。(学研)

(注)天地の:天地と共に、の意。(伊藤脚注)

(注)たゆたふ【揺蕩ふ・猶予ふ】自動詞:①定まる所なく揺れ動く。②ためらう。(学研)ここでは①の意

(注)御名(みな)に懸(か)かせる 明日香川:その御名にゆかりの明日香川をいついつまでも。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その132改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております、ご容赦下さい。)

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■巻二 二一〇歌■

◆打蝉等 念之時尓<一云宇都曽臣等念之> 取持而 吾二人見之 趍出之 堤尓立有 槻木之 己知碁智乃枝之 春葉之 茂之如久 念有之 妹者雖有 馮有之 兒等尓者雖有 世間乎 背之不得者 蜻火之 燎流荒野尓 白妙之 天領巾隠 鳥自物 朝立伊麻之弖 入日成 隠去之鹿齒 吾妹子之 形見尓置有 若兒乃 乞泣毎 取與 物之無者 鳥徳自物 腋挟持 吾妹子与 二人吾宿之 枕付 嬬屋之内尓 晝羽裳 浦不楽晩之 夜者裳 氣衝明之 嘆友 世武為便不知尓 戀友 相因乎無見 大鳥乃 羽易乃山尓 吾戀流 妹者伊座等 人云者 石根左久見手 名積来之 吉雲曽無寸 打蝉等 念之妹之 珠蜻 髪髴谷裳 不見思者

         (柿本人麻呂 巻二 二一〇)

 

≪書き下し≫うつせみと 思ひし時に<一には「うつそみと思ひし」といふ> 取り持ちて 我(わ)がふたり見し 走出(はしりで)の 堤(つつみ)に立てる 槻(つき)の木の こちごちの枝(え)の 春の葉の 茂(しげ)きがごとく 思へりし 妹(いも)にはあれど 頼めりし 子らにはあれど 世間(よのなか)を 背(そむ)きしえねば かぎるひの 燃ゆる荒野(あらの)に 白栲(しろたへ)の 天領巾(あまひれ)隠(がく)り 鳥じもの 朝立(あさだ)ちいまして 入日(いりひ)なす 隠(かく)りにしかば 我妹子(わぎもこ)が 形見(かたみ)に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り与ふる 物しなければ 男(をとこ)じもの 脇(わき)ばさみ持ち 我妹子と ふたり我が寝(ね)し 枕付(まくらづ)く 妻屋(つまや)のうちに 昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし 嘆けども 為(せ)むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥(おほとり)の 羽がいひの山に 我(あ)が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根(いはね)さくみて なづみ来(こ)し よけくもぞなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思へば

 

(訳)あの子がずっとうつせみのこの世の人だとばかり思い込んでいた時に<うつそみのこの世の人だとばかり思い込んでいた>、手に取りかざしながらわれらが二人して見た、長く突き出た堤に立っている槻の木の、そのあちこちの枝に春の葉がびっしり茂っているように、絶え間なく思っていたいいとしい子ではあるが、頼りにしていたあの子ではあるが、常なき世の定めに背くことはできないものだから、陽炎(かげろう)の燃え立つ荒野に、真っ白な天女の領布(ひれ)に蔽(おほ)われて、鳥でもないのに朝早くわが家をあとにして行かれ、山に入り沈む日のように隠れてしまったので、あの子が形見に残していった幼な子が物欲しさに泣くたびに、何をあてごうてよいやらあやすすべも知らず、男だというのに小脇に抱きかかえて、あの子と二人して寝た離れの中で、昼はうら寂しく暮らし、夜は溜息(ためいき)ついて明かし、こうしていくら嘆いてもどうしようもなく、いくら恋い慕っても逢える見込みもないので、大鳥の羽がいの山に私の恋い焦がれるあの子はいると人が言ってくれるままに、岩を押しわけ難渋してやって来たが、何のよいこともない。ずっとこの世の人だとばかり思っていたあの子の姿がほんのりともみえないことを思うと。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「取り持ちて・・・茂きがごとく」:軽の歌垣の思いでを譬喩に用いたもの。(伊藤脚注)

(注)走出の堤:長く突き出た堤。「堤」は「槻」とともに軽の池のもの。(伊藤脚注)

(注の注)はしりで【走り出】家から走り出たところ。家の門の近く。一説に山裾(すそ)や堤などが続いているところ。「わしりで」とも。(学研)

(注)こちごち【此方此方】代名詞:あちこち。そこここ。 ※上代語。(学研)

(注)せけん【世間】名詞:①俗世。俗人。生き物の住むところ。◇仏教語。②世の中。この世。世の中の人々。③あたり一面。外界。④暮らし向き。財産。(学研)

(注の注)世間:この世は無常だという定め。「世間」は仏教語「世間空」の翻読後。その最初の用例。(伊藤脚注)

(注)かぎるひ:輝く陽。陽光。(伊藤脚注)

(注)あまひれ【天領巾】名詞:天人が身につける美しい装飾用の布。あまつひれ。(学研)

(注の注)ひれ【領布】古代の女性が用いた両肩からかける布。別名 領巾、肩巾、比礼(学研)

(注)こもり【籠り・隠り】名詞:①閉じこもって隠れること。②(ある一定期間を)寺社に泊まりこんで祈願すること。参籠(さんろう)。おこもり。(学研)

(注)天領巾隠り:柩に納めた妻の美的表現。(伊藤脚注)

(注)とりじもの【鳥じもの】枕詞:鳥のようにの意から「浮き」「朝立ち」「なづさふ」などにかかる。 ※「じもの」は接尾語。(学研)

(注)みどりこ【嬰児】名詞:おさなご。乳幼児。 ※後には「みどりご」とも。(学研)

(注)をとこじもの【男じもの】副詞:男であるのに。 ※「じもの」は接尾語。(学研)

(注)まくらづく【枕付く】分類枕詞:枕が並んでくっついている意から、夫婦の寝室の意の「妻屋(つまや)」にかかる。(学研)

(注)つまや【妻屋】名詞:夫婦の寝所。「寝屋(ねや)」とも。(学研)

(注)おほとりの【大鳥の】:[枕]大鳥の両翼が重なり合う「羽交い」の意から、地名の「羽易 (はがひ) 」にかかる。(goo辞書)

(注)羽がひの山:妻を隠す山懐を鳥の羽がいに見立てたもので、天理市桜井市にまたがる竜王山か。(伊藤脚注)

(注)さくむ [動マ四]:岩や木の間を押し分け、踏み分けて行く。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)なづむ【泥む】自動詞:①行き悩む。停滞する。②悩み苦しむ。③こだわる。気にする。(学研)

(注)よけく【良けく・善けく】:よいこと。 ※派生語。上代語。 ⇒なりたち 形容詞「よし」の上代の未然形+接尾語「く」(学研)

(注)たまかぎる【玉かぎる】分類枕詞:玉が淡い光を放つところから、「ほのか」「夕」「日」「はろか」などにかかる。また、「磐垣淵(いはかきふち)」にかかるが、かかり方未詳。(学研)

 

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1278)」で紹介している。

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■巻九 一七九七歌■

◆塩氣立 荒礒丹者雖在 徃水之 過去妹之 方見等曽来

      (柿本人麻呂歌集 巻九 一七九七)

 

≪書き下し≫潮気(しほけ)立つ荒礒(ありそ)にはあれど行く水の過ぎにし妹(かたみ)が形見(かたみ)とぞ来(こ)し

 

(訳)潮の香の漂う荒涼とした磯ではあるけれど、流れ行く水のようにこの世を去った人、そのいとしい人の形見の地として私はここにやって来たのだ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しほけ【潮気】名詞:潮風の湿り気や香り。(学研)

(注)ゆくみずの【行く水の】[枕]:水の流れ去るさまから、「過ぐ」「とどめかぬ」にかかる。(goo辞書)

 

この歌を含め「紀伊の国にして作る歌四首」についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その743)」で紹介している。

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■巻七 一二七六歌■

◆池邊 小槻下 細竹苅嫌 其谷 公形見尓 監乍将偲

     (作者未詳 巻七 一二七六)

 

≪書き下し≫池の辺(へ)の小槻(をつき)の下(した)の小竹(しの)な刈りそね それをだに君が形見(かたみ)に見つつ偲(しの)はむ

 

(訳)池のほとりの槻の木の下の篠(しの)を刈り取らないでおくれ。せめてそれだけでも、あの方を偲ぶよすがとして眺めていたいから。(同上)

(注)小槻の下の小竹:欅の下。思い出の共寝の場所。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1237)」で紹介している。

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■巻十一 二四八四歌■

◆君不来者 形見為等 我二人 殖松木 君乎待出牟

       (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四八四)

 

≪書き下し≫君来(こ)ずは形見(かたみ)にせむと我(わ)がふたり植ゑし松の木君を待ち(い)出でむ

 

(訳)あなたが来られない時には偲(しの)びぐさにしようと、私たち二人で植えたの木なのです、この待つの木は、きっとあなたをお待ちした甲斐をみせてくれることでしょう。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

■巻七 一一九九歌■

◆藻苅舟 奥榜来良之 妹之嶋 形見之浦尓 鶴翔所見

     (巻七 一一九九)

 

≪書き下し≫藻刈(もか)り舟沖漕(こ)ぎ来(く)らし妹(いも)が島形見(かたみ)の浦に鶴(たづ)翔(かけ)る見(み)ゆ(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

 

(訳)海藻(も)を刈り取る海人の舟が沖を漕いでやってくるらしい。今しも、妹が島の形見の浦に鶴が飛び交(か)っている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)もかりぶね【藻刈り舟】名詞:海藻を刈るのに用いる小舟。「藻舟」「めかりぶね」とも(学研)

(注)妹が島:所在未詳

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1201)」で紹介している。

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■巻十五 三五九六歌■

◆和伎母故我 可多美尓見牟乎 印南都麻 之良奈美多加弥 与曽尓可母美牟

       (遣新羅使 巻十五 三五九六)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこが形見(かたみ)に見むを印南(いなみ)都麻(つま)白波(しらなみ)高み外(よそ)にかも見む

 

(訳)いとしいあの子を偲(しの)ぶよすがに見ようと思うのに、印南都麻、あの印南都麻は、白波が高すぎて、それとはっきり見ることができないのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)印南都麻:加古川河口の三角州か。「都麻」に「妻」を懸けている。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その623)」で紹介している。

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■巻二 二三三歌■

◆高圓之 野邊乃秋芽子 勿散祢 君之形見尓 見管思奴播武

      (笠金村 巻二 二三三)

 

≪書き下し≫高円(たかまと)の野辺の秋萩な散りそね君が形見に見つつ偲はむ

 

(訳)高円の野辺の秋萩よ、散らないでおくれ。いとしいあの方の形見と見ながらずっとお偲びしように。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 二三〇から二三四歌の歌群についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その19改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦kださい。)

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■巻八 一四七一歌■

◆戀之家婆 形見尓将為跡 吾屋戸尓 殖之藤波 今開尓家里

       (山部赤人 巻八 一四七一)

 

≪書き下し≫恋しければ形見(かたみ)にせむと我がやどに植ゑし藤波今咲きにけり

 

(訳)恋しい時には、あの人の偲びぐさにしようと、我が家の庭に植えた藤、その藤の花は、ちょうど今咲いている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ふぢなみ【藤波・藤浪】名詞:藤の花房の風に揺れるさまを波に見立てていう語。転じて、藤および藤の花。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その205)」で紹介している。

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■巻八 一四六三歌■

◆吾妹子之 形見乃合歓木者 花耳尓 咲而蓋 實尓不成鴨

      (大伴家持 巻八 一四六三)

 

≪書き下し≫吾妹子(わぎもこ)が形見の合歓木(ねぶ)は花のみに咲きてけだしく実(み)にならじかも

 

(訳)あなたが下さった形見のねむは、花だけ咲いて、たぶん実を結ばないのではありますまいか。(同上)

(注)けだし【蓋し】副詞①〔下に疑問の語を伴って〕ひょっとすると。あるいは。②〔下に仮定の表現を伴って〕もしかして。万一。③おおかた。多分。大体。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その487)」で紹介している。

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■巻四 五八七歌■

◆吾形見 ゝ管之努波世 荒珠 年之緒長 吾毛将思

       (笠女郎 巻四 五八七)

 

≪書き下し≫我(わ)が形見(かたみ)見つつ偲はせあらたまの年の緒(を)長く我(あ)れも偲はむ

 

(訳)さしあげた私の形見の品、その品を見ながら思い出してください。長井年月をいつまでもいつまでも、私もあなたを思いつづけておりましょう。(同上)

 

 この歌は、題詞「笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首」<笠女郎、大伴宿禰家持に贈る歌廿四首>の一首である。全歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1094)」で紹介している。

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■巻十二 二九七八歌■

◆真十鏡 見座吾背子 吾形見 将持辰尓 将不相哉

       (作者未詳 巻十二 二九七八)

 

≪書き下し≫まそ鏡見ませ我(わ)が背子(せこ)我(わ)が形見(かたみ)待てらむ時に逢はざらめやも

 

(訳)このまそ鏡をいつもご覧になって下さい、あなた。これを私の形見、そう形見として持っていて下さるかぎり、じかにお逢いできないなどということがありましょうか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

■巻十三 三三一四歌■

◆次嶺経 山背道乎 人都末乃 馬従行尓 己夫之 歩従行者 毎見 哭耳之所泣 曽許思尓 心之痛之 垂乳根乃 母之形見跡 吾持有 真十見鏡尓 蜻領巾 負並持而 馬替吾背

        (作者未詳 巻十三 三三一四)

 

≪書き下し≫つぎねふ 山背道(やましろぢ)を 人夫(ひとづま)の 馬より行くに 己夫(おのづま)し 徒歩(かち)より行けば 見るごとに 音(ね)のみし泣かゆ そこ思(おも)ふに 心し痛し たらちねの 母が形見(かたみ)と 我(わ)が持てる まそみ鏡に 蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ) 負(お)ひ並(な)め持ちて 馬買(か)へ我(わ)が背

 

(訳)つぎねふ山背道 山背へ行くその道を、よその夫は馬でさっさと行くのに、私の夫はとぼとぼと足で行くので、そのさまを見るたびに泣けてくる。そのことを思うと心が痛む。母さんの形見として私がたいせつにしている、まそ鏡に蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ)、これを品々に添えて負い持って行き、馬を買って下さい。あなた。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)つぎねふ 分類枕詞:地名「山城(やましろ)」にかかる。語義・かかる理由未詳。(学研)

(注)より 格助詞《接続》体言や体言に準ずる語に付く。①〔起点〕…から。…以来。②〔経由点〕…を通って。…を。③〔動作の手段・方法〕…で。④〔比較の基準〕…より。⑤〔範囲を限定〕…以外。…より。▽多く下に「ほか」「のち」などを伴って。⑥〔原因・理由〕…ために。…ので。…(に)よって。⑦〔即時〕…やいなや。…するとすぐに。

※参考(1)⑥⑦については、接続助詞とする説もある。(2)上代、「より」と類似の意味の格助詞に「よ」「ゆ」「ゆり」があったが、中古以降は用いられなくなり、「より」のみが残った。(学研) ここでは③の意。

(注)まそみかがみ 【真澄鏡】名詞:よく澄んで、くもりのない鏡。 ※「ますみのかがみ」の変化した語。中古以後の語で、古くは「まそかがみ」。(学研)

(注)蜻蛉(あきづ)領巾(ひれ):トンボの羽のように透き通った上等な領布上代の婦人の装身具。(学研)

 

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1052)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタルミュージアム

★「goo辞書」