万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1682~1684)―福井県越前市 万葉ロマンの道(45~47)―万葉集 巻十五 三七六七~三七六九

―その1682―

●歌は、「魂は朝夕にたまふれど我が胸痛し恋の繁きに」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(45)万葉歌碑<道標燈籠>(狭野弟上娘子)

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(45)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆多麻之比波 安之多由布敝尓 多麻布礼杼 安我牟祢伊多之 古非能之氣吉尓

      (狭野弟上娘子 巻十五 三七六七)

 

≪書き下し≫魂(たましひ)は朝夕(あしたゆうへ)にたまふれど我(あ)が胸痛(むねいた)し恋の繁(しげ)きに

 

(訳)あなたのお心は、朝な夕なにこの身にいただいておりますが、それでも私の胸は痛みます。逢いたい思いの激しさに。(同上)

(注)たまふ【賜ふ・給ふ】他動詞:{語幹〈たま〉}いただく。ちょうだいする。▽「受く」「飲む」「食ふ」の謙譲語。(学研)

(注)こひ【恋】名詞:①慕う気持ち。②(異性に対する)愛情。恋。恋愛。 ⇒参考:対象が離れているため、なかなか思いがかなえられず、逢いたい、見たいなどと切実に心が引かれる気持ちを表し、悩み・苦しみ・悲しみなどの感情を伴うことが多い。(学研)

(注)しげし【繁し】形容詞:①(草木が)茂っている。②多い。たくさんある。③絶え間がない。しきりである。④多くてうるさい。多くてわずらわしい。(学研)ここでは②の意

 

 宅守の三七五七歌(我が身こそ関山越えてここにあらめ心は妹に寄りにしものを)を意識した歌である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1356⑤)」で紹介している。

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―その1683―

●歌は、「このころは君を思ふとすべもなき恋のみしつつ音のみしぞ泣く」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(46)万葉歌碑<道標燈籠>(狭野弟上娘子)

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(46)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆己能許呂波 君乎於毛布等 須敝毛奈伎 古非能未之都ゝ 祢能未之曽奈久

       (狭野弟上娘子 巻十五 三七六八)

 

≪書き下し≫このころは君を思ふとすべもなき恋のみしつつ音のみしぞ泣く

 

(訳)このごろは、あなたのことを思っては、やる方ない恋しさにばかり沈みながら、ただむせび泣いています。(同上)

(注)ねをなく【音を泣く】分類連語:声を出してなく。 ⇒参考:「なく」は「鳴く」とも書く。「なくことをなく」の意で、「泣く」「鳴く」の強調であるため、「ねをもなく」のように、強めの助詞「も」「ぞ」「のみ」などを伴った例が多い。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1399)」で紹介している。

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―その1684―

●歌は、「ぬばたまの夜見し君を明くる朝逢はずまにして今ぞ悔しき」である。

福井県越前市 万葉ロマンの道(47)万葉歌碑<道標燈籠>(狭野弟上娘子)

●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(47)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆奴婆多麻乃 欲流見之君乎 安久流安之多 安波受麻尓之弖 伊麻曽久夜思吉

      (狭野弟上娘子 巻十五 三七六九)

 

≪書き下し≫ぬばたまの夜(よる)見し君を明くる朝(あした)逢はずまにして今ぞ悔(くや)しき

 

(訳)思えば、夜には相見た君であったのに、明けた朝にはお逢いしないままにしてしまったりして、今となっては悔しくてなりません。(同上)

(注)ぬばたまの【射干玉の・野干玉の】分類枕詞:①「ぬばたま」の実が黒いところから、「黒し」「黒髪」など黒いものにかかり、さらに、「黒」の連想から「髪」「夜(よ)・(よる)」などにかかる。②「夜」の連想から「月」「夢」にかかる。 ※「うばたまの」「むばたまの」とも。(学研)

(注)-ま 接尾語:その状態である、の意の名詞を作る。「まほらま」「懲りずま」(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1400)」で紹介している。

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 万葉集の表記は、必ずしも原作者のものではない。万葉集には「恋」を表すのに「孤悲」なる表記がある。書き手の遊び心と思われるが、万葉の人びとにとってまさに「恋」は「孤悲」であった。好きな人と離れ孤り悲しむ、それが恋であった。

 都と味真野とに離れ離れになり、お互いが相手の事を思いやりつつも、目の前にはいない、三七六七歌にあるように「魂は・・・賜ふれど我が胸痛し恋の繁きに」とあるように「辛苦」「痛み」「不安」を伴うのである。

 動詞の「恋ふ」は、目の前に無いものを求めるあがきであった。それ故に直接的な助詞「を」でなく「に」を用いることからも「恋」の性格がクリアになってくる。

 

 三七六七歌の「の繁き」は、万葉仮名では「古非能之氣吉」、三七六八歌の「のみしつつ」は「古非能未之都ゝ」と書かれている。

 六十三首から「恋」の表記を洗い出してみよう。動詞の「恋ふ」も含めた。

(注)こふ【恋ふ】他動詞:心が引かれる。慕い思う。なつかしく思う。(異性を)恋い慕う。恋する。(学研) ⇒注意:「恋ふ」対象は人だけでなく、物や場所・時の場合もある(学研)

 

 三七二六歌「恋ひつつも」⇒「古非都追母」

 三七三七歌「もなく」⇒「故悲毛奈久」

 三七三九歌「恋ひむと」⇒「古非牟等」

 三七四二歌「恋ひ居らむ」⇒「古非乎良牟」

 三七四四歌「恋ふるに」⇒「古布流尓」

 三七四七歌「恋ひ死なぬとに」⇒「古非之奈奴刀尓」

 三七四八歌「恋ひ死なぬとに」⇒「古非之奈奴刀尓」

 三七四九歌「恋ひ居らむ」⇒「故非乎良牟」

 三七五〇歌「恋ふらむ」⇒「故布良牟」

 三七五二歌「恋ひつつ」⇒「古非都ゝ」

 三七六七歌「の繁き」⇒「古非能之氣吉」

 三七六八歌「のみしつつ」⇒「古非能未之都ゝ」

 三七八〇歌「恋ひ死なば恋ひも死ねとや」⇒「古非之奈婆古悲毛之祢等也」

 三七八一歌「恋ひまさる」⇒「古悲麻左流」

 三七八三歌「恋ふれば」⇒「古布礼婆」

 

「恋」の仮名表記は、「古非」「故非」「古悲」「故悲」、「恋ふ」は「古布」である。

巻十五の「遣新羅使」の歌群や「宅守・娘子」の歌群は、歌による「実録」のこころみであり、実録風を表す必要性が強く、一字一音主義が貫かれていると考えられている。

「恋」とはどういうものなのかを端的に表している宅守・娘子六十三首に、書き手の遊び心「孤悲」がなかったのが意外であった。あくまで「実録風」を徹したのであろうか。

読めば読むほどに彼らの魂の叫びに吸い寄せられていくのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「萬葉集相聞の世界」 伊藤 博 著 (塙書房

★「万葉集をどう読むか―歌の発見と『漢字』世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉ロマンの道(歌碑)散策マップ」