―その1682―
●歌は、「魂は朝夕にたまふれど我が胸痛し恋の繁きに」である。
●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(45)にある。
●歌をみていこう。
◆多麻之比波 安之多由布敝尓 多麻布礼杼 安我牟祢伊多之 古非能之氣吉尓
(狭野弟上娘子 巻十五 三七六七)
≪書き下し≫魂(たましひ)は朝夕(あしたゆうへ)にたまふれど我(あ)が胸痛(むねいた)し恋の繁(しげ)きに
(訳)あなたのお心は、朝な夕なにこの身にいただいておりますが、それでも私の胸は痛みます。逢いたい思いの激しさに。(同上)
(注)たまふ【賜ふ・給ふ】他動詞:{語幹〈たま〉}いただく。ちょうだいする。▽「受く」「飲む」「食ふ」の謙譲語。(学研)
(注)こひ【恋】名詞:①慕う気持ち。②(異性に対する)愛情。恋。恋愛。 ⇒参考:対象が離れているため、なかなか思いがかなえられず、逢いたい、見たいなどと切実に心が引かれる気持ちを表し、悩み・苦しみ・悲しみなどの感情を伴うことが多い。(学研)
(注)しげし【繁し】形容詞:①(草木が)茂っている。②多い。たくさんある。③絶え間がない。しきりである。④多くてうるさい。多くてわずらわしい。(学研)ここでは②の意
宅守の三七五七歌(我が身こそ関山越えてここにあらめ心は妹に寄りにしものを)を意識した歌である。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1356⑤)」で紹介している。
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―その1683―
●歌は、「このころは君を思ふとすべもなき恋のみしつつ音のみしぞ泣く」である。
●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(46)にある。
●歌をみていこう。
◆己能許呂波 君乎於毛布等 須敝毛奈伎 古非能未之都ゝ 祢能未之曽奈久
(狭野弟上娘子 巻十五 三七六八)
≪書き下し≫このころは君を思ふとすべもなき恋のみしつつ音のみしぞ泣く
(訳)このごろは、あなたのことを思っては、やる方ない恋しさにばかり沈みながら、ただむせび泣いています。(同上)
(注)ねをなく【音を泣く】分類連語:声を出してなく。 ⇒参考:「なく」は「鳴く」とも書く。「なくことをなく」の意で、「泣く」「鳴く」の強調であるため、「ねをもなく」のように、強めの助詞「も」「ぞ」「のみ」などを伴った例が多い。(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1399)」で紹介している。
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―その1684―
●歌は、「ぬばたまの夜見し君を明くる朝逢はずまにして今ぞ悔しき」である。
●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(47)にある。
●歌をみていこう。
◆奴婆多麻乃 欲流見之君乎 安久流安之多 安波受麻尓之弖 伊麻曽久夜思吉
(狭野弟上娘子 巻十五 三七六九)
≪書き下し≫ぬばたまの夜(よる)見し君を明くる朝(あした)逢はずまにして今ぞ悔(くや)しき
(訳)思えば、夜には相見た君であったのに、明けた朝にはお逢いしないままにしてしまったりして、今となっては悔しくてなりません。(同上)
(注)ぬばたまの【射干玉の・野干玉の】分類枕詞:①「ぬばたま」の実が黒いところから、「黒し」「黒髪」など黒いものにかかり、さらに、「黒」の連想から「髪」「夜(よ)・(よる)」などにかかる。②「夜」の連想から「月」「夢」にかかる。 ※「うばたまの」「むばたまの」とも。(学研)
(注)-ま 接尾語:その状態である、の意の名詞を作る。「まほらま」「懲りずま」(学研)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1400)」で紹介している。
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万葉集の表記は、必ずしも原作者のものではない。万葉集には「恋」を表すのに「孤悲」なる表記がある。書き手の遊び心と思われるが、万葉の人びとにとってまさに「恋」は「孤悲」であった。好きな人と離れ孤り悲しむ、それが恋であった。
都と味真野とに離れ離れになり、お互いが相手の事を思いやりつつも、目の前にはいない、三七六七歌にあるように「魂は・・・賜ふれど我が胸痛し恋の繁きに」とあるように「辛苦」「痛み」「不安」を伴うのである。
動詞の「恋ふ」は、目の前に無いものを求めるあがきであった。それ故に直接的な助詞「を」でなく「に」を用いることからも「恋」の性格がクリアになってくる。
三七六七歌の「恋の繁き」は、万葉仮名では「古非能之氣吉」、三七六八歌の「恋のみしつつ」は「古非能未之都ゝ」と書かれている。
六十三首から「恋」の表記を洗い出してみよう。動詞の「恋ふ」も含めた。
(注)こふ【恋ふ】他動詞:心が引かれる。慕い思う。なつかしく思う。(異性を)恋い慕う。恋する。(学研) ⇒注意:「恋ふ」対象は人だけでなく、物や場所・時の場合もある(学研)
三七二六歌「恋ひつつも」⇒「古非都追母」
三七三七歌「恋もなく」⇒「故悲毛奈久」
三七三九歌「恋ひむと」⇒「古非牟等」
三七四二歌「恋ひ居らむ」⇒「古非乎良牟」
三七四四歌「恋ふるに」⇒「古布流尓」
三七四七歌「恋ひ死なぬとに」⇒「古非之奈奴刀尓」
三七四八歌「恋ひ死なぬとに」⇒「古非之奈奴刀尓」
三七四九歌「恋ひ居らむ」⇒「故非乎良牟」
三七五〇歌「恋ふらむ」⇒「故布良牟」
三七五二歌「恋ひつつ」⇒「古非都ゝ」
三七六七歌「恋の繁き」⇒「古非能之氣吉」
三七六八歌「恋のみしつつ」⇒「古非能未之都ゝ」
三七八〇歌「恋ひ死なば恋ひも死ねとや」⇒「古非之奈婆古悲毛之祢等也」
三七八一歌「恋ひまさる」⇒「古悲麻左流」
三七八三歌「恋ふれば」⇒「古布礼婆」
「恋」の仮名表記は、「古非」「故非」「古悲」「故悲」、「恋ふ」は「古布」である。
巻十五の「遣新羅使」の歌群や「宅守・娘子」の歌群は、歌による「実録」のこころみであり、実録風を表す必要性が強く、一字一音主義が貫かれていると考えられている。
「恋」とはどういうものなのかを端的に表している宅守・娘子六十三首に、書き手の遊び心「孤悲」がなかったのが意外であった。あくまで「実録風」を徹したのであろうか。
読めば読むほどに彼らの魂の叫びに吸い寄せられていくのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の発見と『漢字』世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「万葉ロマンの道(歌碑)散策マップ」