万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2183)―福井県越前市2⃣―

福井県越前市五分市町 小丸城址万葉歌碑(巻十五 三七四四他)■

福井県越前市五分市町 小丸城址万葉歌碑(中臣宅守・狭野弟上娘子) 
20211112撮影  

●歌をみていこう。

 

まず三七四四歌からである。

◆和伎毛故尓 古布流尓安礼波 多麻吉波流 美自可伎伊能知毛 乎之家久母奈思

       (中臣宅守 巻十五 三七四四)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に恋ふるに我(あ)れはたまきはる短き命(いのち)も惜(を)しけくもなし

 

(訳)いとしいあなたに焦がれてばかりいるにつけて、苦しさのあまり、私はたいせつなこの短い命さえ、もう惜しくなどない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)たまきはる【魂きはる】分類枕詞:語義・かかる理由未詳。「内(うち)」や「内」と同音の地名「宇智(うち)」、また、「命(いのち)」「幾世(いくよ)」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 「たまきはる」について、「語義・かかる理由未詳」とあるが、朴 炳植氏は、その著「万葉集の発見 『万葉集』は韓国語で歌われた」(学習研究社)の中で、「この枕詞の語源は『タ=貴い・尊い』『マ=真のもの・よいもの』『キ=物・者』、つまり『タマキ』は『非常に貴い物』であり、『ハル』は『・・・する/・・・である』なのである。この場合の『タマ』は『玉』または『魂』とも表記されるものと同じなのであり、『玉』も『魂』も『貴重な物』であることに変わりはないのである。であるから『命(いのち)=貴重なもの・尊いもの』にかかるのは、ごく自然であると言わざるを得ない。」と書いておられる。これは説得力ある説明だと思える。

 

 

◆安米都知能 可未奈伎毛能尓 安良婆許曽 安我毛布伊毛尓 安波受思仁世米

       (中臣宅守 巻十五 三七四〇)

 

≪書き下し≫天地(あめつち)の神(かみ)なきものにあらばこそ我(あ)が思(も)ふ妹に逢(あ)はず死にせめ

 

(訳)もし天地の神々がいまさぬものであったなら、私の思い焦がれるあなたに逢えぬまま、焦がれて死ぬことにもなろうが・・・。(同上)

(注)あめつち【天地】名詞:①天と地。②天の神と地の神。(学研)

(注)しにす【死にす】自動詞:死ぬ。(学研)

(注)め:推量の助動詞「む」の已然形。(学研)

 

 

◆伊能知安良婆 安布許登母安良牟 和我由恵尓 波太奈於毛比曽 伊能知多尓敝波

       (狭野弟上娘子 巻十五 三七四五)

 

≪書き下し≫命(いのち)あらば逢(あ)ふこともあらむ我(わ)がゆゑにはだな思ひそ命だに経(へ)ば

 

(訳)命さえあったら、お逢いする日もありましょう。私のせいでそんなひどく思い悩んで下さいますな。命さえ長らえていたなら・・・。(同上)

(注)「はだ」:甚だ。(伊藤脚注)

(注)へ【経】:動詞「ふ」の未然形・連用形。

(注の注)ふ【経】自動詞:①時がたつ。年月が過ぎる。過ぎ去る。②通る。通って行く。通り過ぎる。(学研)

(注)三七四五歌は、宅守の三七四四歌を承けている。(伊藤脚注)

 

 

◆安米都知乃 曽許比能宇良尓 安我其等久 伎美尓故布良牟 比等波左祢安良自

       (狭野弟上娘子 巻十五 三七五〇)

 

≪書き下し≫天地(あめつち)の底(そこ)ひのうらに我(あ)がごとく君に恋ふらむ人はさねあらじ

 

(訳)果てしもない天地のどん底にあって、私ほどあなたに身を焼く人、そんな人は、けっしておりますまい。(同上)

(注)そこひ【底ひ】名詞:極まる所。奥底。極み。果て。限り。(学研)

(注)うら【裏】名詞:①内側。内部。②表に現れない内容・意味。③裏面。裏。④(衣服の)裏地。⑤連歌(れんが)・俳諧(はいかい)で、二つ折りの懐紙の裏面。また、そこに書かれた句。[反対語]①~⑤表(おもて)。(学研)ここでは①の意

(注)さね 副詞:①〔下に打消の語を伴って〕決して。②間違いなく。必ず。(学研)ここでは①の意

 

(注)三七五〇歌は、宅守の三七四〇歌を意識している。(伊藤脚注)

 

 宅守の歌を承けた娘子の歌に並び替えてみるとお互いの思いが分かりやすくなる。

 

「我妹子に恋ふるに我れはたまきはる短き命も惜しけくもなし」(宅守 三七四四歌)

「命あらば逢ふこともあらむ我がゆゑにはだな思ひそ命だに経ば」(娘子 三七四五歌)

 

「天地の神なきものにあらばこそ我が思ふ妹に逢はず死にせめ」(宅守 三七四〇)

「天地の底ひのうちに我がごとく君に恋ふらぬ人はさねあらじ」(娘子 三七五〇)

 

 この歌群の歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1379)」で紹介している。

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福井県越前市 城福寺門前庭万葉歌碑(巻十五 三七五二、三七五六)■

福井県越前市 城福寺門前庭万葉歌碑(狭野弟上娘子・中臣宅守) 20211112撮影

●歌をみていこう。

 

◆波流乃日能 宇良我奈之伎尓 於久礼為弖 君尓古非都々 宇都之家米也母

       (狭野弟上娘子 巻十五 三七五二)

 

≪書き下し≫春の日のうら悲(がな)しきに後(おく)れ居(ゐ)て君に恋ひつつうつしけめやも

 

(訳)春の日の物悲しい時に、一人あとに取り残され、あなたに恋い焦がれてばかりいて、どうして正気でいられましょうか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)うらがなし【うら悲し】形容詞:何とはなしに悲しい。もの悲しい。 ※「うら」心の意。(学研

(注)おくれゐる【後れ居る】自動詞:あとに残っている。取り残される。(学研)

(注)うつし【現し・顕し】形容詞:①実際に存在する。事実としてある。生きている。②正気だ。意識が確かだ。 ◇「うつしけ」は上代の未然形。(学研)ここでは②の意

(注)けむ 助動詞《接続》活用語の連用形に付く。:①〔過去の推量〕…ただろう。…だっただろう。②〔過去の原因の推量〕…たというわけなのだろう。(…というので)…たのだろう。 ▽上に疑問を表す語を伴う。③〔過去の伝聞〕…たとかいう。…たそうだ。 ⇒語法(1)名詞の上は過去の伝聞③の過去の伝聞の用法は、名詞の上にあることが多い。例「『関吹き越ゆる』と言ひけむ浦波」(『源氏物語』)〈「関吹き越ゆる」と歌に詠んだとかいう浦波が。〉(2)未然形の「けま」(上代の用法) ⇒参考 中世以降の散文では「けん」と表記する。(学研)ここでは①の意

 

 

◆牟可比為弖 一日毛於知受 見之可杼母 伊等波奴伊毛乎 都奇和多流麻弖

       (中臣宅守 巻十五 三七五六)

 

≪書き下し≫向(むか)ひ居(ゐ)て一日(ひとひ)もおちず見しかども厭はぬ妹を月わたるまで

 

(訳)向かい合って、一日も欠かさずに顔を見ていて、ちっともいやになることなどなかったあなたなのに、こんなに幾月にもわたるまで離れ離れでいて・・・。(同上)

(注)おちず【落ちず】分類連語:欠かさず。残らず。 ⇒なりたち 動詞「おつ」の未然形+打消の助動詞「ず」の連用形(学研)

(注)ども 接続助詞《接続》活用語の已然形に付く。:①〔逆接の確定条件〕…けれども。…のに。…だが。②〔逆接の恒常条件〕…てもいつも。…であっても必ず。 ⇒語法 軽い接続の用法 「ども」には、はっきりした逆接の関係にならず、「…だが、その一方で」「…だけではなく、さらに」などの意を表しているとみられる次のような例もある。「風吹き波激しけれども、かみさへ頂(いただき)に落ちかかるやうなるは」(『竹取物語』)〈風が吹き、波が激しいだけではなく、さらに雷までも頭の上に落ちかかるようなのは。〉 ⇒参考 「ど」とほとんど同義。中古では、和文には「ど」、漢文訓読文には「ども」が多用されたが、中世以降は「ども」が優勢になる。(学研)

(注)いとふ【厭ふ】他動詞:①いやがる。②〔多く「世をいとふ」の形で〕この世を避ける。出家する。③いたわる。かばう。大事にする。(学研)ここでは①の意

(注)わたる【渡る】自動詞:①越える。渡る。②移動する。移る。③行く。来る。通り過ぎる。④(年月が)過ぎる。経過する。(年月を)過ごす。(年月を)送る。暮らす。⑤行き渡る。広く通じる。及ぶ。⑥〔多く「せ給(たま)ふ」とともに用いて〕いらっしゃる。おられる。▽「あり」の尊敬語。(学研)ここでは④の意

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1380)」で紹介している。

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福井県越前市清水頭町 魚友支店横万葉歌碑(巻十五 三七七四、三二四二)■

福井県越前市清水頭町 魚友支店横万葉歌碑(狭野弟上娘子・中臣宅守
 20211112撮影

●歌をみていこう。

 

◆和我世故我 可反里吉麻佐武 等伎能多米 伊能知能己佐牟 和須礼多麻布奈

       (狭野弟上娘子 巻十五 三七七四)

 

≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)が帰り来まさむ時のため命(いのち)残さむ忘れたまふな

 

(訳)あなたが帰っていらっしゃる、その時のために、待ち焦がれて死んでしまいそうな命、この命を残しておこうと思います。どうかお忘れくださいますな。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆安波牟日乎 其日等之良受 等許也未尓 伊豆礼能日麻弖 安礼古非乎良牟

      (中臣宅守 巻十五 三七四二)

 

≪書き下し≫逢はむ日をその日と知らず常闇(とこやみ)にいづれの日まで我(あ)れ恋ひ居らむ

 

(訳)逢える日、その日がいつだというめどもつかないままに、真っ暗闇のなかで、いつどんな日まで、この私としたことが、こうして焦がれつづけていなければならないのであろうか。(同上)

(注)とこやみ【常闇】名詞:永遠のくらやみ。(学研)

 

娘子の「命(いのち)残さむ」、宅守の「常闇(とこやみ)に」のフレーズに逢いたいのに逢えないという時間が二人を押しつぶそうとするいうにいわれぬ圧迫感を感じさせるせつない歌となっている。

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1381)」で紹介している。

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福井県越前市 「ふるさとギャラリー淑羅」万葉歌碑(巻十九 四二九〇)■

福井県越前市 「ふるさとギャラリー淑羅」万葉歌碑(大伴家持) 20211112撮影

●歌をみていこう。

 

◆春野尓 霞多奈▼伎 宇良悲 許能暮影尓 鸎奈久母

       (大伴家持 巻十九 四二九〇)

▼は「田+比」➡「多奈▼伎」=たなびき

 

≪書き下し≫春の野に霞(かすみ)たなびきうら悲(がな)しこの夕影(ゆふかげ)にうぐひす鳴くも

 

(訳)春の野に霞がたなびいて、何となしに物悲しい、この夕暮れのほのかな光の中で、鴬が鳴いている。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)春たけなわの夕暮れ時につのるうら悲しさが主題。(伊藤脚注)

(注)うらがなし【うら悲し】形容詞:何とはなしに悲しい。もの悲しい。 ※「うら」:心の意。(学研)

(注)ゆふかげ【夕影】名詞:①夕暮れどきの光。夕日の光。 [反対語] 朝影(あさかげ)。②夕暮れどきの光を受けた姿・形。(学研)ここでは①の意           

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1408)」で紹介している。

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福井県越前市丹生郷町ポケットパーク万葉歌碑(巻十九 四一七八)■

福井県越前市丹生郷町ポケットパーク万葉歌碑(大伴家持)      20220609撮影

●歌をみていこう。

 

題詞は、「四月三日贈越前判官大伴宿祢池主霍公鳥歌不勝感舊之意述懐一首 幷短歌」<四月の三日に、越前(こしのみちのくち)の判官(じよう)大伴宿禰池主に贈る霍公鳥(ほととぎす)の歌 不勝感旧(かんきう)の意(こころ)に勝(あ)へずして懐(おもひ)を述ぶる一首 幷(あは)せて短歌>である。

 

◆吾耳 聞婆不怜毛 霍公鳥 丹生之山邊尓 伊去鳴尓毛

       (大伴家持 巻十九 四一七八)

 

≪書き下し≫我れのみ聞けば寂(さぶ)しもほととぎす丹生(にふ)の山辺(やまへ)にい行き鳴かにも

 

(訳)私ひとりだけで聞くのはさびしくてやりきれない。時鳥よ、君のいる丹生の山辺に行って鳴いておくれでないか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)丹生の山:越前国府の在った福井県越前市西方の山。(伊藤脚注)

(注)い行き鳴かにも:行って鳴いておくれ。イは接頭語。ニモは希求の助詞。(伊藤脚注)

 

 

 

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 この歌群の四一七七、四一七九歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1686)」で紹介している。

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福井県越前市 万葉大橋欄干万葉歌碑プレート(巻十五 三七七〇、三七七六)■

福井県越前市 万葉大橋欄干万葉歌碑プレート(左:狭野弟上娘子 右:中臣宅守

●狭野弟上娘子の三七七〇歌からみていこう。

 

◆安治麻野尓 屋杼礼流君我 可反里許武 等伎能牟可倍乎 伊都等可麻多武

       (狭野弟上娘子 巻十五 三七七〇)

 

≪書き下し≫味真野(あじまの)に宿れる君が帰り来(こ)む時の迎へをいつとか待たむ

 

(訳)味真野に旅寝をしているあなたが、都に帰っていらっしゃる時、その時のお迎えの喜びを、いつと思ってお待ちすればよいのでしょうか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)やどる【宿る】自動詞:①旅先で宿を取る。泊まる。宿泊する。②住みかとする。住む。一時的に住む。③とどまる。④寄生する。(学研)ここでは①の意

 

次に宅守の三七七六歌をみてみよう。

 

◆家布毛可母 美也故奈里世婆 見麻久保里 尓之能御馬屋乃 刀尓多弖良麻之

      (中臣宅守 巻十五 三七七六)

 

≪書き下し≫今日(けふ)もかも都なりせば見まく欲(ほ)り西の御馬屋(みまや)の外(と)に立てらまし

 

(訳)今日あたりでも、都にいるのだったら、逢いたくって、西の御馬屋の外に佇(たたず)んでいることだろうに。(同上)

(注)みまや【御馬屋/御厩】:貴人を敬ってその厩(うまや)をいう語。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)西の御馬屋:宮中の右馬寮。二人はここでよく逢ったのであろう。(伊藤脚注)

 

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 この両歌ならびに歌碑(プレート)については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1376,1377)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「万葉集の発見 『万葉集』は韓国語で歌われた」 朴 炳植 著 (学習研究社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉