万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1381)―福井県越前市清水頭町 魚友支店横―万葉集 巻十五 三七七四、三七四二

●歌は、

「我が背子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな(巻十五 三七七四歌)」

「逢はむ日をその日と知らず常闇にいづれの日まで我れ恋ひ居らむ(巻十五 三七四二歌)」

である。

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福井県越前市清水頭町 魚友支店横万葉歌碑(狭野弟上娘子・中臣宅守

●歌碑は、福井県越前市清水頭町 魚友支店横にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆和我世故我 可反里吉麻佐武 等伎能多米 伊能知能己佐牟 和須礼多麻布奈

       (狭野弟上娘子 巻十五 三七七四)

 

≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)が帰り来まさむ時のため命(いのち)残さむ忘れたまふな

 

(訳)あなたが帰っていらっしゃる、その時のために、待ち焦がれて死んでしまいそうな命、この命を残しておこうと思います。どうかお忘れくださいますな。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

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歌の解説案内板

 三七七九から三七八五歌の左注は、「右の七首は、中臣朝臣宅守、花鳥に寄せ、思ひを陳(の)べるて作る歌」となっている。

 これでもって、娘子と宅守の歌のやり取りは、宅守の独詠で終わっている。神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)の中で、中臣宅守の独詠七首は、「娘子の死後の歌として見るという浅見徹の提起(『中臣宅守の独詠歌』<万葉集の表現と受容>和泉書院、二〇〇七年)とともに受けとめたいのです。」と書かれており、さらに中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌群全体を「娘子の死をもって閉じる―、その展開を、歌だけで構成してみせるのです。現実に生きた宅守の実話としてあらしめられるそれは、『実録』というのがふさわしいものです。」と書かれている。

 この考えに基づいて、狭野弟上娘子の三七七四歌を詠みなおしてみると、「我が背子が帰り来まさむ時のため命残さむ」と強く言いきり「忘れたまふな」と宅守に強く詠えているが、逆に、自らの死を予感している風に詠めるのである。

 娘子は、強く自分に言い聞かせているがそこに一抹の不安を感じ取っている。一方、宅守の歌は、絶望に打ちひしがれた歌になっている。みてみよう。

 

◆安波牟日乎 其日等之良受 等許也未尓 伊豆礼能日麻弖 安礼古非乎良牟

      (中臣宅守 巻十五 三七四二)

 

≪書き下し≫逢はむ日をその日と知らず常闇(とこやみ)にいづれの日まで我(あ)れ恋ひ居らむ

 

(訳)逢える日、その日がいつだというめどもつかないままに、真っ暗闇のなかで、いつどんな日まで、この私としたことが、こうして焦がれつづけていなければならないのであろうか。(同上)

(注)とこやみ【常闇】名詞:永遠のくらやみ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 闇の中でもがいている歌である。

 

 「常闇」の「常」はトコと読むが、「トコは、常初花・常花・常松・常宮・常闇・常夜・常世(代)・常処女・常滑など永久に変わらないことを示す語である。」(「万葉神事語事典 國學院大學デジタルミュージアムHPの「とこおとめ」の解説」

 これらの語句を使った歌をみてみよう。

 

常初花(とこはつはな)

◆妹毛吾毛 許己呂波於夜自 多具敝礼登 伊夜奈都可之久 相見婆 登許波都波奈尓 情具之 眼具之毛奈之尓 波思家夜之 安我於久豆麻 大王能 美許登加之古美 阿之比奇能 夜麻古要奴由伎 安麻射加流 比奈乎左米尓等 別来之 曽乃日乃伎波美 荒璞能 登之由吉我敝利 春花乃 宇都呂布麻泥尓 相見祢婆 伊多母須敝奈美 之伎多倍能 蘇泥可敝之都追 宿夜於知受 伊米尓波見礼登 宇都追尓之 多太尓安良祢婆 孤悲之家口 知敝尓都母里奴 近在者 加敝利尓太仁母 宇知由吉氐 妹我多麻久良 佐之加倍氐 祢天蒙許万思乎 多麻保己乃 路波之騰保久 關左閇尓 敝奈里氐安礼許曽 与思恵夜之 餘志播安良武曽 霍公鳥 来鳴牟都奇尓 伊都之加母 波夜久奈里那牟 宇乃花能 尓保敝流山乎 余曽能未母 布里佐氣見都追 淡海路尓 伊由伎能里多知 青丹吉 奈良乃吾家尓 奴要鳥能 宇良奈氣之都追 思多戀尓 於毛比宇良夫礼 可度尓多知 由布氣刀比都追 吾乎麻都等 奈須良牟妹乎 安比氐早見牟

       (大伴家持 巻十七 三九七八)

 

≪書き下し≫妹(いも)も我(あ)れも 心は同(おや)じ たぐへれど いやなつかしく 相見(あひみ)れば 常初花(とこはつはな)に 心ぐし めぐしもなしに はしけやし 我(あ)が奥妻(おくづま) 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み あしひきの 山越え野(ぬ)行き 天離(あまざか)る 鄙(ひな)治(をさ)めにと 別れ来(こ)し その日の極(きは)み あらたまの 年行き返(がへ)り 春花(はるはな)の うつろふまでに 相見ねば いたもすべなみ 敷栲(しきたへ)の 袖(そで)返しつつ 寝(ぬ)る夜(よ)おちず 夢(いめ)には見れど うつつにし 直(ただ)にあらねば 恋(こひ)しけく 千重(ちへ)に積(つ)もりぬ 近くあらば 帰りにだにも うち行きて 妹(いも)が手枕(たまくら) さし交(か)へて 寝ても来(こ)ましを 玉桙(たまほこ)の 道はし遠く 関(せき)さへに へなりてあれこそ よしゑやし よしはあらむぞ ほととぎす 来鳴かむ月に いつしかも 早くなりなむ 卯(う)の花の にほへる山を よそのみも 振(ふ)り放(さ)け見つつ 近江道(あふみぢ)に い行き乗り立ち あをによし 奈良の我家(わぎへ)に ぬえ鳥(どり)の うら泣けしつつ 下恋(したごひ)に 思ひうらぶれ 門(かど)に立ち 夕占(ゆふけ)問ひつつ 我を待つと 寝(な)すらむ妹(いも)を 逢(あ)ひてはや見む

 

(訳)あの子も私も、思う心は同じこと。寄り添っていても、ますます心引かれるばかりだし、顔を合わせていると、常初花のようにいつも初々(ういうい)しくて、心の憂さ、見る目のいたいたしもなくていられるのに、ああいとしい、心の底からたいせつに思える我が妻よ。大君の仰せを謹んでお承(う)けして、はるばると山を越え野を辿(たど)りして、都離れた鄙の地を治めにと別れたその日から、年も改まって、春の花も散り失せる頃までも顔を見ることができないものだから、どうにもやるせなくて、せめてものことに夜着(よぎ)の袖を押し返しては寝るその夜ごと夜ごとに夢に姿は見えるけれど、覚めている時にじかに逢うわけではないものだから、恋しさは千重(ちえ)に百重(ももえ)に積もるばかり。近くにさえおれば、日帰りにでも馬で一走り行って、かわいい手枕をさし交わして寝ても来ようものを、都への道はいかにも遠い上に、関所までが遮っていてはどうにもならなくて・・・。ええ、それならそれで、手だてはほかにあるはず。時鳥が訪れて鳴くあの月に何とか早くなってくれないものか。近江道に足を踏み入れ、あの懐かしい奈良の我が家で、心細く鳴くぬえ鳥のように人知れず泣き続けては、胸の思いにうちしがれて、門口(かどぐち)に立ち出でては夕辻占(ゆうつじうら)で占ってみたりして、私の帰りを待ち焦がれて独り寝を重ねておいでのあの子、あああの子の手をしっかと取って、一刻も早く逢(あ)って顔を見たいものだ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)おやじ【同じ】形容詞:同(おな)じ。 ※「同じ」の古形。上代には「おなじ」と並んで両方用いられた。体言を修飾するときも終止形と同じ形の「おやじ」が用いられる。

(学研)

(注)たぐふ【類ふ・比ふ】自動詞①一緒になる。寄り添う。連れ添う。②似合う。釣り合う。(学研)

(注)とこはつはな【常初花】:いつも初めて咲いたように美しい花。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)こころぐし【心ぐし】形容詞ク:心が晴れない。せつなく苦しい。(学研)

(注)めぐし【愛し・愍し】形容詞:①いたわしい。かわいそうだ。②切ないほどかわいい。いとおしい。 ※上代語。(学研)

(注)おくづま【奥妻】:心の奥深く大切に思う妻。心から愛する妻。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)きはみ【極み】名詞:(時間や空間の)極まるところ。極限。果て。(学研)

(注)ゆきかへる【行き返る】自動詞:①往復する。②(年月や季節が)移行する。改まる。※古くは「ゆきがへる」。(学研)ここでは②の意

(注)そでかへす【袖返す】他動詞:①袖を裏返しにする。こうして寝ると恋人が夢に現れるという俗信があった。②袖をひるがえす。(学研)ここでは①の意

(注)関さへに:関所まで隔てているのでどうにもならなくて・・・。(伊藤脚注)

(注)よし 【由】名詞:①理由。いわれ。わけ。②口実。言い訳。③手段。方法。手だて。④事情。いきさつ。⑤趣旨。⑥縁。ゆかり。⑦情趣。風情。⑧そぶり。ふり。(学研)ここでは③の意

(注)いゆく【い行く】自動詞:行く。進む。 ※「い」は接頭語。上代語。(学研)

(注)のりたつ【乗り立つ】自動詞:(馬や船などに)乗って出発する。(学研)

(注)ぬえどりの【鵼鳥の】分類枕詞:鵼鳥の鳴き声が悲しそうに聞こえるところから、「うらなく(=忍び泣く)」「のどよふ(=か細い声を出す)」「片恋ひ」にかかる。(学研)

(注)したごひ【下恋ひ】名詞:心の中でひそかに恋い慕うこと。(学研)

(注)うらぶる自動詞:わびしく思う。悲しみに沈む。しょんぼりする。 ※「うら」は心の意。(学研)

(注)なす【寝す】自動詞:おやすみになる。▽「寝(ぬ)」の尊敬語。 ※動詞「寝(ぬ)」に尊敬の助動詞「す」が付いたものの変化した語。上代語。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1372)」で紹介している。

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常花

◆多知婆奈波 常花尓毛歟 保登等藝須 周無等来鳴者 伎可奴日奈家牟

      (大伴書持 巻十七 三九〇九)

 

≪書き下し≫橘は常花にもが霍公鳥住むと来鳴かば聞かぬ日なけむ

 

(訳)橘は、年中咲き盛りの花であったらなあ。そうなれば取り合わせの時鳥が橘に棲みつこうとしてやって来るはず、そうなったら、時鳥の声を聞かない日はないだろう。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)とこはな【常花】名詞:いつでも咲いている花。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(そのその1348表①)」で紹介している。

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常宮(とこみや)

◆安見知之 和期大王之 常宮等 仕奉流 左日鹿野由 背匕尓所見 奥嶋 清波瀲尓 風吹者 白浪左和伎 潮干者 玉藻苅管 神代従 然曽尊吉 玉津嶋夜麻

      (山辺赤人 巻六 九一七)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)ご大王(おほきみ)の 常宮(とこみや)と 仕(つか)へ奉(まつ)れる 雑賀野(さひかの)  そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚(なぎさ)に 風吹けば 白浪騒(さわ)き 潮干(ふ)れば 玉藻(たまも)刈りつつ 神代(かみよ)より しかぞ貴(たふと)き 玉津島山(たまつしまやま)

 

(訳)安らかに天下を支配されるわれらの大君、その大君のとこしえに輝く立派な宮として下々の者がお仕え申しあげている雑賀野(さいかの)に向き合って見える沖の島、その島の清らかなる渚に、風が吹けば白波が立ち騒ぎ、潮が引けば美しい藻を刈りつづけてきたのだ・・・、ああ、神代以来、そんなにも貴いところなのだ、沖の玉津島は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(学研)

(注)とこみや【常宮】名詞:永遠に変わることなく栄える宮殿。貴人の墓所の意でも用いる。「常(とこ)つ御門(みかど)」とも。(学研)

(注)雑賀野:和歌山市南部、和歌の浦の北西に位置する一帯

(注)そがひ【背向】名詞:背後。後ろの方角。後方。(学研)

(注)沖つ島:ここでは「玉津島」をさす。

(注)玉津島 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の和歌山県にある山。和歌の浦にある玉津島神社(玉津島明神)の背後にある、風景の美しい所とされた。古くは島であった。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その733)」で紹介している。

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常世(とこよ)

◆春日之 霞時尓 墨吉之 岸尓出居而 釣船之 得乎良布見者 古之 事曽所念 水江之 浦嶋兒之 堅魚釣 鯛釣矜 及七日 家尓毛不来而 海界乎 過而榜行尓 海若 神之女尓 邂尓 伊許藝趍 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 常代尓至 海若 神之宮乃 内隔之 細有殿尓 携 二人入居而 耆不為 死不為而 永世尓 有家留物乎 世間之 愚人乃 吾妹兒尓 告而語久 須臾者 家歸而 父母尓 事毛告良比 如明日 吾者来南登 言家礼婆 妹之答久 常世邊 復變来而 如今 将相跡奈良婆 此篋 開勿勤常 曽己良久尓 堅目師事乎 墨吉尓 還来而 家見跡 宅毛見金手 里見跡 里毛見金手 恠常 所許尓念久 従家出而 三歳之間尓 垣毛無 家滅目八跡 此筥乎 開而見手歯 如本 家者将有登 玉篋 小披尓 白雲之 自箱出而 常世邊 棚引去者 立走 ▼袖振 反側 足受利四管 頓 情消失奴 若有之 皮毛皺奴 黒有之 髪毛白斑奴 由奈由奈波 氣左倍絶而 後遂 壽死祁流 水江之 浦嶋子之 家地見

  ▼は「口偏にリ」=「叫(さけ)ぶ」

高橋虫麻呂 巻九 一七四〇)

 

≪書き下し≫春の日の 霞(かす)める時に 住吉(すみのへ)の 岸に出で居(い)て 釣船‘つりぶね)の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる 水江(みづのへ)の 浦(うら)の島子(しまこ)の 鰹(かつを)釣り 鯛(たひ)釣りほこり 七日(なぬか)まで 家にも来(こ)ずて 海境(うなさか)を 過ぎて漕(こ)ぎ行くに 海神(わたつみ)の 神の女(をとめ)に たまさかに い漕ぎ向(むか)ひ 相(あひ)とぶらひ 言(こと)成りしかば かき結び 常世(とこよ)に至り 海神の 神(かみ)の宮(みや)の 内のへの 妙(たへ)なる殿(との)に たづさはり ふたり入り居(ゐ)て 老(おひ)もせず 死にもせずして 長き世に ありけるものを 世間(よのなか)の 愚(おろ)か人ひと)の 我妹子(わぎもこ)に 告(の)りて語らく しましくは 家に帰りて 父母(ちちはは)に 事も告(の)らひ 明日(あす)のごと 我(わ)れは来(き)なむと 言ひければ 妹(いも)が言へらく 常世辺(とこよへ)に また帰り来て 今のごと 逢(あ)はむとならば この櫛笥(くしげ) 開くなゆめと そこらくに 堅(かた)めし言(こと)を 住吉(すみのへ)に 帰り来(きた)りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あらしみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年(みとせ)の間(あひだ)に 垣もなく 家失(う)せめやと この箱を 開(ひら)きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉(たま)櫛笥(くしげ) 少(すこ)し開くに 白雲(しらくも)の 箱より出(い)でて 常世辺(とこよへ)に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り 臥(こ)いまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消失(けう)せぬ 若ありし 肌(はだ)も皺(しわ)みぬ 黒くありし 髪(かみ)も白(しら)けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて 後(のち)つひに 命(いのち)死にける 水江(みづのへ)の 浦(うら)の島子(しまこ)が 家ところ見ゆ

 

(訳)春の日の霞んでいる時などに、住吉の崖(がけ)に佇(たたず)んで沖行く釣り舟が波に揺れているさまを見ていると、過ぎ去った遠い世の事どもがひとしお偲(しの)ばれるのであります。あの水江の浦の島子が、鰹を釣り鯛を釣って夢中になり、七日経っても家にも帰らず、はるか彼方(かなた)わたつみの国との境までも越えて漕いで行って、わたつみの神のお姫様にひっこり行き逢い、言葉を掛け合っい話がきまったので、行末を契って常世の国に至り着き、わたつみの宮殿の奥の奥にある神々しい御殿に、手を取り合って二人きりで入ったまま、年取ることも死ぬこともなくいついつまでも生きていられたというのに、この世の愚か人島子がいとしい人にうち明けたのであった。「ほんのしばらく家に帰って父さんや母さんに事情を話し、明日にでも私は帰って来たい」と。こううち明けると、いとしい人が言うには、「ここ常世の国にまた帰って来て、今のように過ごそうと思うのでしたら、この櫛笥、これを開けないで下さい。けっして」と。ああ、そんなにも堅く堅く約束したことであったのに、島子は住吉に帰って来て、家を探しても家も見つからず、里を探しても里も見当たらないので、これはおかしい、変だと思い、そこで思案を重ねたあげく、「家を出てからたった三年の間に、垣根ばかりか家までもが消え失せるなんていうことがあるものか」と、「この箱を開けて見たならば、きっと元どおりの家が現われるにちがいない」と。そこで櫛笥をおそるおそる開けたとたんに、白い雲が箱からむくむくと立ち昇って常世の国の方へたなびいて行ったので、飛び上がりわめき散らして袖を振り、ころげ廻(まわ)って地団駄を踏み続けてうちに、にわかに気を失ってしまった。若々しかった肌も皺だらけになってしまった。黒かった髪もまっ白になってしまった。そしてそのあとは息も絶え絶えとなり、あげくの果てには死んでしまったという、その水江の浦の島子の家のあった跡がここに見えるのであります。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)とをらふ【撓らふ】自動詞:揺れ動く。(学研)

(注)ほこる【誇る】自動詞:得意げにする。自慢する。(学研)

(注)七日まで:日数の多いことをいう。

(注)うなさか【海境・海界】名詞:海上遠くにあるとされる海神の国と地上の人の国との境界。海の果て。(学研)

(注)わたつみ【海神】名詞:①海の神。②海。海原。 ⇒参考 「海(わた)つ霊(み)」の意。「つ」は「の」の意の上代の格助詞。後に「わだつみ」とも。(学研)

(注)たまさかなり【偶なり】形容動詞:①偶然だ。たまたまだ。②まれだ。ときたまだ。③〔連用形を仮定条件を表す句の中に用いて〕万一。(学研)ここでは①の意

(注)とぶらふ【訪ふ】他動詞:①尋ねる。問う。②訪れる。訪ねる。訪問する。③慰問する。見舞う。④探し求める。⑤追善供養する。冥福(めいふく)を祈る。◇「弔ふ」とも書く。(学研)ここでは①の意

 

(注)いひなる【言ひ成る】:話のゆきがかりで言ってしまう。話のなりゆきで、そうなる。(学研)

(注)とこよ【常世】名詞:①永久不変。永遠。永久に変わらないこと。②「常世の国」の略。(学研)ここでは②の意→不老不死の国。ここは海神の国

(注)たづさはる【携はる】自動詞:①手を取り合う。②連れ立つ。③かかわり合う。関係する。(学研)ここでは①の意

(注)せけん【世間】名詞:①俗世。俗人。生き物の住むところ。◇仏教語。②世の中。この世。世の中の人々。③あたり一面。外界。④暮らし向き。財産。(学研)ここでは①の意。

(注の注)世間の愚か人の:(作者の批判のことば)

(注)しましく【暫しく】副詞:少しの間。 ※上代語。(学研)

(注)明日のごと:明日にでも。

(注)くしげ【櫛笥】名詞:櫛箱。櫛などの化粧用具や髪飾りなどを入れておく箱。(学研)

(注)そこらくに 副詞:あれほど。十分に。たくさんに。しっかりと。(学研)

(注)こいまろぶ【臥い転ぶ】自動詞:ころげ回る。身もだえてころがる。(学研)

 

反歌にも詠われているのでこれもみてみよう。

 

常世邊 可住物乎 劔刀 己之行柄 於曽也是君

      (高橋虫麻呂 巻九 一七四一)

 

≪書き下し≫常世辺(とこよへ)に住むべきものを剣大刀(つるぎたち)汝(な)が心からおそやこの君

 

(訳)常世の国にいついつまでも住める身の上であったのに、自分自身の浅はかさからそんなことになって、何とまあ愚か者であることか、この浦の島子の君は。(同上)

(注)とこよ【常世】名詞:①永久不変。永遠。永久に変わらないこと。②「常世の国」の略。(学研)ここでは②の意

(注の注)とこよのくに【常世の国】分類連語:海のはるかかなたにあり、祖先の霊が集まって住むという国。また、不老・不死であるという理想境。常世。(学研)

(注)つるぎたち【剣太刀】分類枕詞:①刀剣は身に帯びることから「身にそふ」にかかる。②刀剣の刃を古くは「な」といったことから「名」「汝(な)」にかかる。③刀剣は研ぐことから「とぐ」にかかる。(学研)

(注)おそや:何と愚かなことか。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1142)」で紹介している・

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常処女(とこをとめ)

◆河上乃 湯都岩盤村二 草武左受 常丹毛冀名 常處女煮手

     (吹芡刀自 巻一 二二)

    ※「煮」は「者+火で」あるが字が見つからないので「煮」で代用した

 

≪書き下し≫川の上(うへ)のゆつ岩群(いはむら)に草生(む)さず常(つね)にもがな常処女(とこをとめ)にて

 

(訳)川中(かわなか)の神々しい岩々に草も生えはびこることがないように、いつも不変であることができたらなあ。そうしたら、永遠(とこしえ)に若く清純なおとめでいられように。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)とこをとめ〕【常少女】:いつも若々しい少女。また、永久に年をとらない少女。(webloo辞書 デジタル大辞泉

(注)ゆついはむら【斎つ磐群】名詞:神聖な岩石の群れ。一説に、数多い岩石とも。 ※「ゆつ」は接頭語。(学研)

(注)もがもな 分類連語:…だといいなあ。…であったらなあ。 ⇒なりたち 願望の終助詞「もがも」+詠嘆の終助詞「な」(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その38改)」で紹介している。(初期のブログであるのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。ご容赦下さい。)

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常滑(とこなめ)

◆雖見飽奴 吉野乃河之 常滑乃 絶事無久 復還見牟

      (柿本人麻呂 巻一 三七)

 

≪書き下し≫見れど飽かぬ吉野の河の常滑の絶ゆることなくまた還り見む

 

(訳)見ても見ても見飽きることのない吉野の川、その川の常滑のように、絶えることなくまたやって来てこの滝の都を見よう。(同上)

(注)とこなめ【常滑】名詞:苔(こけ)がついて滑らかな、川底の石。一説に、その石についている苔(こけ)とも。(学研)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その771)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉