万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その38改)―奈良市高畑町比賣神社―万葉集 巻一 二二

  • 歌は、「川の上のゆつ岩群に草生さず常にもがもな常処女にて」である。 

 

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比賣神社の万葉歌碑(吹芡刀自)

 

●歌碑は、奈良市高畑町の比賣(ひめ)神社にある。比賣神社は新薬師寺山門の横に位置する小さな神社である。

 

●歌をみていこう。

 

◆河上乃 湯都岩盤村二 草武左受 常丹毛冀名 常處女煮手

                  (吹芡刀自 巻一 二二)

     ※「煮」は「者+火で」あるが字が見つからないので「煮」で代用した

 

≪書き下し≫川の上(うへ)のゆつ岩群(いはむら)に草生(む)さず常(つね)にもがな常処女(とこをとめ)にて

 

(訳)川中(かわなか)の神々しい岩々に草も生えはびこることがないように、いつも不変であることができたらなあ。そうしたら、永遠(とこしえ)に若く清純なおとめでいられように。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆついはむら【斎つ磐群】名詞:神聖な岩石の群れ。一説に、数多い岩石とも。 ※「ゆつ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)もがもな 分類連語:…だといいなあ。…であったらなあ。 ⇒なりたち 願望の終助詞「もがも」+詠嘆の終助詞「な」(学研)

 

 歌の題詞は、「十市皇女参赴於伊勢神宮時見波多横山巌吹芡刀自作歌」<十市皇女(とをちのひめみこ)伊勢の神宮に参赴(まゐおもむ)く時、波多(はた)の横山の巌を見て、吹芡刀自(ふふきのとじ)作る歌>である。

 

 また、左注は「吹芡刀自未詳也 但紀日 天皇四年乙亥朔春二月乙亥朔丁亥十市皇女阿閇皇女参赴伊勢神宮」<吹芡刀自はいまだ詳(つまび)らかならず。但し紀に曰く 天皇四年乙亥の春二月、乙亥の朔の丁亥、十市皇女、阿閇皇女(あへのひめみこ)伊勢の神宮に参り赴く>とある。

 

十市皇女

 十市皇女は、天武天皇の皇女。母は額田王(ぬかたのおおきみ)。大友皇子(弘文<こうぶん>天皇)の妃となり、葛野王(かどののおう)の母。壬申の乱で夫が父の大海人(おおあまの)皇子(天武天皇)に攻められ,自殺したのち父のもとに戻ったといわれている。

 

●比賣神社

 神社が建てられたところは、「比賣塚」と呼ばれる小さな古墳がある場所で、「高貴の姫君の墓」という言い伝えがあった。また日本書紀には、「天武天皇六年(678年)四月一四日に十市皇女を、天武天皇十年(682年)に氷上娘(藤原鎌足の娘)を『赤穂』の地に埋葬した」とされており、近隣に「赤穂神社」があることなどから、比賣塚が十市皇女墓所であるとするのが有力な説といわれている。

 ご祭神は十市皇女で、昭和56年5月9日ご鎮座とある。

 新薬師寺の山門横に小さな社がある。

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薬師寺山門横の比賣神社

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ご祭神は十市皇女

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

★「万葉ゆかりの地を訪ねて~歌碑めぐり~」(奈良市HP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「比賣神社」( ウィキペディアWikipedia

★「十市皇女」(コトバンク

 

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