- 歌は、「川の上のゆつ岩群に草生さず常にもがもな常処女にて」である。
●歌碑は、奈良市高畑町の比賣(ひめ)神社にある。比賣神社は新薬師寺山門の横に位置する小さな神社である。
●歌をみていこう。
◆河上乃 湯都岩盤村二 草武左受 常丹毛冀名 常處女煮手
(吹芡刀自 巻一 二二)
※「煮」は「者+火で」あるが字が見つからないので「煮」で代用した
≪書き下し≫川の上(うへ)のゆつ岩群(いはむら)に草生(む)さず常(つね)にもがな常処女(とこをとめ)にて
(訳)川中(かわなか)の神々しい岩々に草も生えはびこることがないように、いつも不変であることができたらなあ。そうしたら、永遠(とこしえ)に若く清純なおとめでいられように。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)ゆついはむら【斎つ磐群】名詞:神聖な岩石の群れ。一説に、数多い岩石とも。 ※「ゆつ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)もがもな 分類連語:…だといいなあ。…であったらなあ。 ⇒なりたち 願望の終助詞「もがも」+詠嘆の終助詞「な」(学研)
歌の題詞は、「十市皇女参赴於伊勢神宮時見波多横山巌吹芡刀自作歌」<十市皇女(とをちのひめみこ)伊勢の神宮に参赴(まゐおもむ)く時、波多(はた)の横山の巌を見て、吹芡刀自(ふふきのとじ)作る歌>である。
また、左注は「吹芡刀自未詳也 但紀日 天皇四年乙亥朔春二月乙亥朔丁亥十市皇女阿閇皇女参赴伊勢神宮」<吹芡刀自はいまだ詳(つまび)らかならず。但し紀に曰く 天皇四年乙亥の春二月、乙亥の朔の丁亥、十市皇女、阿閇皇女(あへのひめみこ)伊勢の神宮に参り赴く>とある。
●十市皇女
十市皇女は、天武天皇の皇女。母は額田王(ぬかたのおおきみ)。大友皇子(弘文<こうぶん>天皇)の妃となり、葛野王(かどののおう)の母。壬申の乱で夫が父の大海人(おおあまの)皇子(天武天皇)に攻められ,自殺したのち父のもとに戻ったといわれている。
●比賣神社
神社が建てられたところは、「比賣塚」と呼ばれる小さな古墳がある場所で、「高貴の姫君の墓」という言い伝えがあった。また日本書紀には、「天武天皇六年(678年)四月一四日に十市皇女を、天武天皇十年(682年)に氷上娘(藤原鎌足の娘)を『赤穂』の地に埋葬した」とされており、近隣に「赤穂神社」があることなどから、比賣塚が十市皇女の墓所であるとするのが有力な説といわれている。
ご祭神は十市皇女で、昭和56年5月9日ご鎮座とある。
新薬師寺の山門横に小さな社がある。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉ゆかりの地を訪ねて~歌碑めぐり~」(奈良市HP)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
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