万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2570)―書籍掲載歌を中軸に―

●歌は、「川の上のゆつ岩群に草生さず常にもがもな常処女にて(吹芡刀自 1-22)」と高市皇子の三首、「みもろの神の神杉已具耳矣緒自得見監乍共寐ねぬ夜ぞ多き(高市皇子 2-156)」、「三輪山山辺真麻木綿短木綿かくのみゆゑに長くと思ひき(高市皇子 2-157)」、「山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなくに(高市皇子 2-158)」である。

奈良市高畑町 比賣神社万葉歌碑(吹芡刀自) 20190405撮影

愛知県一宮市萩原町 萬葉公園万葉歌碑(プレート)(高市皇子) 20210306撮影

奈良市箸中車谷万葉歌碑(高市皇子)20190422撮影

奈良県桜井市茅原 玄寳庵近く万葉歌碑(高市皇子) 20190423撮影

●歌碑は、吹芡刀自 1-22が、奈良市高畑町 比賣神社にあり、高市皇子 2-156が、愛知県一宮市萩原町 萬葉公園、同2-157が、奈良市箸中車谷、同2-158が、奈良県桜井市茅原 玄寳庵近くにある。

 

●歌をそれぞれみていこう。

 

■吹芡刀自 1-22■

 題詞は、「十市皇女参赴於伊勢神宮時見波多横山巌吹芡刀自作歌」<十市皇女(とをちのひめみこ)伊勢の神宮に参赴(まゐおもむ)く時、波多(はた)の横山の巌を見て、吹芡刀自(ふきのとじ)作る歌>である。

(注)十市皇女天武天皇の娘。母は額田王。(伊藤脚注)

(注)波多(はた)の横山:三重県津市の山。「横山」は横に長い形をした山。(伊藤脚注)

(注)吹芡刀自:伝未詳。「刀自」は女性の尊称。十市皇女の立場で詠んだもの。(伊藤脚注)

 

◆河上乃 湯都岩盤村二 草武左受 常丹毛冀名 常處女▼手

       (吹芡刀自 巻一 二二)

     ※「▼」は「者+火」→「常處女▼手」=「とこをとめにて」

 

≪書き下し≫川の上(うへ)のゆつ岩群(いはむら)に草生(む)さず常(つね)にもがもな常処女(とこをとめ)にて

 

(訳)川中(かわなか)の神々しい岩々に草も生えはびこることがないように、いつも不変であることができたらなあ。そうしたら、永遠(とこしえ)に若く清純なおとめでいられように。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)川の上のゆつ岩群:川の中の神聖な岩々。(伊藤脚注)

(注の注)ゆついはむら【斎つ磐群】名詞:神聖な岩石の群れ。一説に、数多い岩石とも。 ※「ゆつ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注の注)ゆつ【斎つ】接頭語:〔名詞に付いて〕神聖な。清浄な。「ゆつ桂(かつら)」「ゆつ磐群(いはむら)」「ゆつ真椿(まつばき)」。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。「五百箇(いほつ)」の変化した語で、数が多いこととする説もある。(学研)

(注)草生さず常にもがもな:草も生えないようにいつも不変でありたい。(伊藤脚注)

(注の注)もがもな 分類連語:…だといいなあ。…であったらなあ。 ⇒なりたち 願望の終助詞「もがも」+詠嘆の終助詞「な」(学研)

 

 左注は「吹芡刀自未詳也 但紀日 天皇四年乙亥朔春二月乙亥朔丁亥十市皇女阿閇皇女参赴伊勢神宮」<吹芡刀自はいまだ詳(つまび)らかならず。但し紀には「天皇の四年乙亥(きのとゐ)の春二月、乙亥の朔(つきたち)の丁亥(ひのとゐ)、十市皇女、阿閇皇女(あへのひめみこ)伊勢の神宮に参赴(まゐで)ます」といふ>とある。

(注)丁亥:天武四年(六七五)二月十三日。(伊藤脚注)

(注)阿閇皇女:天智天皇の娘。後に元明天皇。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その38改)」で、奈良市高畑町 比賣神社の万葉歌碑とともに紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 



 

高市皇子 2-156■

一五六から一五八歌の題詞は、「十市皇女薨時高市皇子尊御作歌三首」<十市皇女(といちのひめみこ)の薨(こう)ぜし時に、高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の作らす歌三首>である。

(注)十市皇女天武天皇の娘。天武七年(六七八)四月七日急死。時に三〇歳前後。(伊藤脚注)

 

◆三諸之 神之神須疑 巳具耳矣自得見監乍共 不寝夜叙多

        (高市皇子 巻二 一五六)

 

≪書き下し≫みもろの神の神杉(かむすぎ)巳具耳矣自得見監乍共(第三、四句、訓義未詳)寝(い)ねる夜(よ)ぞ多き

(注)第三、四句は訓義未詳ではあるが、次のような説がある

           ①こぞのみをいめにはみつつ

           ②いめにだにみむちすれども

           ③よそのみをいめにはみつつ

           ④いめにのみみえつつともに

 

なお、萬葉公園の歌碑(プレート)では、「夢にのみ見えつつ共に」と書かれている。

 

(訳)神の籠(こも)る聖地大三輪の、その神のしるしの神々しい杉、巳具耳矣自得見監乍共、いたずらに寝られない夜が続く(同上)

(注)みもろ【御諸・三諸・御室】名詞:神が降臨して宿る神聖な所。磐座(いわくら)(=神の御座所)のある山や、森・岩窟(がんくつ)など。特に、「三輪山(みわやま)」にいうこともある。また、神座や神社。「みむろ」とも。 ※「み」は接頭語。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その944)」で紹介している。

 ➡ こちら944

 

 

 

 

高市皇子 2-157■

◆神山之 山邊真蘇木綿    短木綿 如此耳故尓 長等思伎

       (高市皇子 巻二 一五七)

 

≪書き下し≫三輪山(みわやま)の山邊(やまべ)真蘇木綿(まそゆふ)短木綿(みじかゆふ)かくのみゆゑに長くと思ひき

(訳)三輪山の麓に祭る真っ白な麻木綿(あさゆふ)、その短い木綿、こんなに短いちぎりであったのに、私は末長くとばかり思い頼んでいたことだった。(同上)

(注)真蘇木綿(まそゆふ):麻を原料とした木綿 (ゆう) (コトバンク デジタル大辞泉

(注)上三句は序。皇女の命の短いことを寓している。「木綿」は麻や楮の繊維。主に神事に用いる。(伊藤脚注)

                  

 

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その68改)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

高市皇子 2-158■

◆山振之 立儀足 山清水 酌尓雖行 道之白鳴

       (高市皇子 巻二 一五八)

 

≪書き下し≫山吹(やまぶき)の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく

 

(訳)黄色い山吹が咲き匂っている山の清水、その清水を汲みに行きたいと思うけれど、どう行ってよいのか道がわからない。(同上)

 

(注)「山吹」に「黄」を、「山清水」に「泉」を匂わす。(伊藤脚注)

 

 左注は、「紀曰七年戌寅夏四月丁亥朔癸巳十市皇女卒然病發薨於宮中」<紀には「七年戌寅(つちのえとら)の夏の四月丁亥(ひめとゐ)の朔(つきたち)の癸巳(みずのとみ)に、十市皇女、にはかに病(やまひ)発(おこ)りて宮の中(うち)の薨(こう)ず」といふ>である。

(注)にはかに:天神地祇を奉るため、天皇が倉梯川に出かけようとした時に急死した。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その74改)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)の「高市皇子(たけちのみこ)と十市皇女(とおちのひめみこ)」を読んでいこう。

 「天武皇女のひとり、十市皇女(母、額田王)にひそかな恋を抱いた高市皇子の歌は美しい。十市は・・・天武最初の子である。長じて大友皇子の妃となった。天智みずからが後継者と定め、またそれだけの人材でもあった大友に嫁がせたことは、天智・天武ともども十市を愛していたことを裏付けているだろう。・・・しかしこの両帝にとって感慨深い結婚は、壬申の乱によっていっぺんに蹂躙(じゅうりん)された。十市にとっては父と夫の戦いであった。・・・その十市が薨(こう)じたのは天武七年(六七八)四月のことである。・・・世には自殺説が強い。壬申の乱後六年を経ているとはいえ、その間、一日とて心やすまる日のなかったのが十市ではなかったか。そしてその日々に登場してきたのが高市皇子であったと思われる。・・・壬申の乱には・・・天武を助けて奮戦した、十市にとっては夫の首級をあげた敵軍の将であった。・・・亡き夫への思慕とその寂寥(せきりょう)に満たされない心、魅(ひ)かれていく心を責(せ)めながら魅かれてしまう心。

 十市は天武四年に伊勢神宮に赴いているが、その途次、つき従っていた吹黄刀自(ふきのとじ)が波多(はた)の横山を見てこうよんでいる。巻一、二二(歌は省略)・・・十市の寿を祈ったのである。祈られるほどに、絶望と混迷の中で美しく身を細らせていった女人の姿がある。」(同著)

 「高市の歌は、こうした十市の姿をいかんなく伝えている。巻二、一五六(歌は省略)。以下三首、ともに十市薨去のおりに作られたものだが、・・・この一首は神杉の姿をもってなぞられるような皇女は、高市の夢をよそに、容易に身を許そうとしなかったのだった。そうした回想がいま高市に湧く。そしてまた、巻二、一五七(歌は省略)と嘆く。・・・『十市の逢瀬を、神々しい<短木綿がはかなく揺れるように思う。だから末長く愛し合いたいと願ったことだった>という追憶である。しかしそれも今はむなしい。・・・十市にしろ高市にしろ短い逢瀬が、そのゆえにいっそう心をさいなむことも、人間の常だ。巻二、一五八(歌は省略) この最後の歌ははてしない絶望のなかに沈まざるを得ない心を、『知らなくに』という句が示している。山吹の美しく彩る清水は、・・・生命復活の泉である。・・・もちろんそこに到るすべのない人間には、死者を蘇らせることができない。高市にとっては、十市の山吹のごとき美しさも、泉のごとき愛も。』(同著)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉