万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その476)―奈良市神功4丁目 万葉の小径(12)―万葉集 巻二 一五八

●歌は、「山吹の立よそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなくに」である。

 

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奈良市神功4丁目 万葉の小径(12)(高市皇子 やまぶき)

●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(12)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆山振之 立儀足 山清水 酌尓雖行 道之白鳴

              (高市皇子 巻二 一五八)

 

≪書き下し≫山吹(やまぶき)の立ちよそひたる山清水(やましみず)汲(く)みに行かめど道の知らなく

 

(訳)黄色い山吹が、咲き匂っている山の清水、その清水を汲みに行きたいと思うけれど、どう行ってよいのか道がわからない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「山吹」に「黄」を「山清水」に「泉」を匂わせる。

  この歌の背景については、國學院大學デジタル・ミュージアムの「万葉神事語事典」の「山吹」の項に次のように解説されている。「(前略)山吹の花が美しく咲き飾っている山清水があり、その清水を酌みに行きたいのだが道を知らないのだという。この水が手に入れば、愛する皇女の復活が可能だということである。生命の泉の辺には生命の木があるという世界的な信仰から見れば、山吹は生命の木であり、その花は黄金の色に輝き、その辺の清水は生命の水であることになる。高市皇子は『伝説上の生命復活の泉』(『講談社』)を理解していたことになる。」

 

 「山吹は落葉低木で、細い幹や枝が緑色をし、変種の八重山吹もあるが、野生のは春の終わり頃黄色い五弁の花を咲かせる。

 高市皇子が、この歌を歌ったのは、天武七年(六七八)十市皇女が突然薨去した時のことで、連続した三首の挽歌の一首である。黄色い山吹が涌き出る山清水の辺りに咲いている、その山の泉を汲むということには、皇女の死が暗示されていて、この世の人である皇子が、十市の後を追うことのできない深い悲しみがある。

 十市皇女天武天皇額田王との間に生まれ、天智天皇と伊賀采女宅子(いがのうねめかこ)との間に生まれた大友皇子弘文天皇)に嫁いだ人である。天智崩御ののち、六七二年六月二四日から約一か月続いた、皇位継承をめぐっての世にいう壬申の乱は、十市皇女にとっては、自分の父と夫との戦いであった。山吹を詠んだ高市皇子の歌から判断すると、皇子は十市に恋心を抱いたようでもある。実に複雑な人生を辿りつつ、皇女は乱後六年、突然の死を迎えた。」(万葉の小径 やまぶきの歌碑)

 

 一五六から一五八歌三首の題詞は、「十市皇女薨時高市皇子尊御作歌三首」<十市皇女(とをちのひめみこ)の薨(こう)ぜし時に、高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の作らす歌三首>である。

 

 一五六ならびに一五七歌もみてみよう。

 

◆三諸之 神之神須疑 已具耳牟自得 見監乍共 不寝夜叙多

               (高市皇子 巻二 一五六)

 

≪書き下し≫みもろの神(かみ)の神杉(かみすぎ)已具耳牟自得見監乍共寐(い)ねぬ夜(よ)ぞ多き 

(注)第三句、第四句(已具耳牟自得見監乍共)定訓を得ず、

           ①こぞのみをいめにはみつつ

           ②いめにだにみむとすれども

           ③いめにのみみえつつともに、といった諸説がある。 

 

(訳)神の籠(こも)る聖地大三輪の、その神のしるしの神々しい杉、已具耳牟自得見監乍共、いたずらに寝られない夜が続く。(同上)

(注)みもろ【御諸・三諸・御室】名詞:神が降臨して宿る神聖な所。磐座(いわくら)(=神の御座所)のある山や、森・岩窟(がんくつ)など。特に、「三輪山(みわやま)」にいうこともある。また、神座や神社。「みむろ」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

ここは、大神神社(おおみわじんじゃ)

 

 

◆神山之 山邉真蘇木綿 短木綿 如比耳故尓 長等思伎

               (高市皇子 巻二 一五七)

 

≪書き下し≫三輪山(みわやま)の山辺(やまへ)真麻木綿(まそゆふ)かくのみゆゑに長くと思ひき

 

(訳)三輪山の麓(ふもと)に祭る真白な麻木綿(あさゆふ)、その短い木綿、こんなにも短いちぎりであったのに、私は末長くとばかり思い頼んでいたことだった。(同上)

(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。

(注)上三句(神山之山邉真蘇木綿短木綿)は序。皇女の命の短いことを寓している。

 

 山吹は、次の歌のように、実がつかないものの代表のように言われている。後の世の太田道灌が自分の無学を恥じた古歌「七重八重・・・実のひとつだに無きぞ悲しき」(箕一つだに・・・)は有名である。

 植物学的にみた場合、一重の山吹には普通に実がなるが、八重は雄しべが花弁に変化しているため花粉ができず、雌しべも退化しているので実がつかないと説明されているのである。

 ちなみに、「七重八重・・・」の古歌は、『後拾遺集』所収の兼明親王醍醐天皇皇子)の歌だそうである。(同志社女子大学HPより)

 

◆花咲而 實者不成登裳 長氣 所念鴨 山振之花

                (作者未詳 巻十 一八六〇)

 

≪書き下し≫花咲きて実(み)はならねど長き日(け)に思ほゆるかも山吹(やまぶき)の花

 

(訳)花が咲くだけで実はならないとは知っているけれども、咲くまでが日数長く思われて仕方がない。山吹の花は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)   

★「万葉神事語事典」(國學院大學デジタル・ミュージアム

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「同志社女子大学HP」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉の小径 やまぶきの歌碑」