万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その475)―奈良市神功4丁目 万葉の小径(11)―万葉集 巻二〇 四五一二 

●歌は、「池水に影さへ見えて咲きにほふ馬酔木の花を扱入れな」である。

 

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奈良市神功4丁目 万葉の小径(11)万葉歌碑(大伴家持 あしび)

●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(11)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆伊氣美豆尓 可氣佐倍見要氐 佐伎尓保布 安之婢乃波奈乎 蘇弖尓古伎礼奈

               (大伴家持 巻二〇 四五一二)

 

≪書き下し≫池水(いけみづ)に影さえ見えて咲きにほふ馬酔木(あしび)の花を袖(そで)に扱(こき)いれな

 

(訳)お池の水の面に影までくっきり映しながら咲きほこっている馬酔木の花、ああ、このかわいい花をしごいて、袖の中にとりこもうではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)こきいる【扱き入る】他動詞:しごいて取る。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

 「アセビは、常緑低木で、特に早春白い小さな袋状の花を、木から溢れるように垂れ咲かせ、アセビをはじめ、アシミ、アシビなどと呼ばれており、万葉集では、一字一音で安志妣などと書かれているので、すべてアシビという。

 また、万葉集にはアシビは、馬酔または馬酔木と書かれることも多く、この木の持つ毒性がすでに知られていたようだ。それは、文字通り、馬や鹿が食べると酔ったような状態になるからである、今日でも、奈良公園の春日飛火野の辺りに馬酔木の森と呼ばれる所があるが、木々の新芽を食べる公園の鹿たちでさえ、馬酔木を食べないので、自然と繁茂して森を作っている。

 花の季節は異なるけれど、アセビの花を、まるでスズランのようだと形容する人もいる。

 天平宝字(てんぴょうほうじ)二年(七五八)二月、大伴家持はこの馬酔木の花の美とそれが池に映っている美と、いわば二重の美を歌い、さらに、その美しさを自分の袖の中に入れて、直接、花の美を自分の身体の染み込ませようとしたのである。」

                        (万葉の小径 あしびの歌碑)

 

 四五一一から四五一三歌の歌群の題詞は、「属目山斎作歌三首」<山斎(しま)を属目(しよくもく)して作る歌三首>である。

(注)しょくもく【嘱目・属目】( 名 ):① 人の将来に期待して、目を離さず見守ること。② 目に入れること。目を向けること。③ 俳諧で、即興的に目に触れたものを吟ずること。嘱目吟。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版) ここでは③の意

(注)しま【島】名詞:①周りを水で囲まれた陸地。②(水上にいて眺めた)水辺の土地。③庭の泉水の中にある築山(つきやま)。また、泉水・築山のある庭園。 ※「山斎」とも書く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

他の二首もみてみよう。

 

◆乎之能須牟 伎美我許乃之麻 家布美礼婆 安之婢乃波奈毛 左伎尓家流可母

                (大監物御方王 巻二〇 四五一一)

(注)だいけんもつ【大監物】名詞:「中務省(なかづかさしやう)」の官職の一つ。大蔵省・内蔵寮(くらづかさ)などの出納(すいとう)の監査に当たった。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)御方王(みかたのおほきみ):生没年不詳。奈良時代の皇族。名は御方王・三形王とも記される。舎人親王の孫か。官位は従四位下備前守。(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

 

≪書き下し≫鴛鴦(をし)の棲む君がこの山斎(しま)今日(けふ)見れば馬酔木(あしび)の花も咲にけるかも

 

(訳)おしどりの仲良く棲むあなたのすばらしいお庭、今日来てこのお庭を見ると、馬酔木の花が咲きほこっています。(同上)

(注)をし【鴛鴦】名詞:おしどりの古名。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

◆伊蘇可氣乃 美由流伊氣美豆 氐流麻泥尓 左家流安之婢乃 知良麻久乎思母

             (大蔵大輔甘南備伊香真人 巻二〇 四五一三)

(注)大蔵大輔甘南備伊香真人(おほくらのだいふかむなびのいかごのまひと)

 

≪書き下し≫磯影(いそかげ)の見ゆる池水(いけみづ)照るまでに咲ける馬酔木(あしび)の散らまく惜しも

 

(訳)磯の影がくっきり映っている池の水、その水も照り輝くばかりに咲きほこる馬酔木の花が、散ってしまうのは惜しまれてならない。(同上)

 

 万葉集では、「馬酔木」を歌ったものは、十首収録されている。

 「馬酔木なす栄えし君が」(一一二八歌)、「馬酔木の花の今盛りなり」(一九〇三歌)、「馬酔木を・・・見すべき君」(一六六歌)、「馬酔木の花ぞはしに置くなゆめ」(一八六八歌)のように、開花の様子を讃美、また恋愛感情の比喩として用いたり、「春山の馬酔木の花の悪しからぬ」(一九二六歌)、「咲ける馬酔木の悪しからぬ」(一四二八歌)のように同音で「悪し」と掛けたり、「本辺は馬酔木咲く末辺は椿花咲く」(三二二二歌)と春の山を賞賛したり、歌碑の歌のように「君がこの山斎・・・馬酔木の花も咲きにけるかも」(四五一一歌)、「咲きにほふ馬酔木の花」(四五一二歌)、「咲ける馬酔木の散らまく惜しも」(四五一三歌)と宴席で主人の庭を讃美したりと様々なシチュエーションで詠っているのである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「万葉の小径 あしびの歌碑」

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)