―その724―
●歌は、「磯影の見ゆる池水照るまでに咲ける馬酔木の散らまく惜しも」である。
●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(28)にある。
●歌をみていこう。
◆伊蘇可氣乃 美由流伊氣美豆 氐流麻泥尓 左家流安之婢乃 知良麻久乎思母
(甘南備伊香真人 巻二十 四五一三)
(注)大蔵大輔甘南備伊香真人(おほくらのだいふかむなびのいかごのまひと)
≪書き下し≫磯影(いそかげ)の見ゆる池水(いけみづ)照るまでに咲ける馬酔木(あしび)の散らまく惜しも
(訳)磯の影がくっきり映っている池の水、その水も照り輝くばかりに咲きほこる馬酔木の花が、散ってしまうのは惜しまれてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
四五一一から四五一三歌の歌群の題詞は、「属目山斎作歌三首」<山斎(しま)を属目(しよくもく)して作る歌三首>である。
(注)しょくもく【嘱目・属目】( 名 ):① 人の将来に期待して、目を離さず見守ること。② 目に入れること。目を向けること。③ 俳諧で、即興的に目に触れたものを吟ずること。嘱目吟。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版) ここでは③の意
(注)しま【島】名詞:①周りを水で囲まれた陸地。②(水上にいて眺めた)水辺の土地。③庭の泉水の中にある築山(つきやま)。また、泉水・築山のある庭園。 ※「山斎」とも書く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
「属目山斎作歌三首」は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その475)」で紹介している。 ➡ こちら475
話は少し脱線するが、この歌の次に収録されている四五一四歌をみて驚いた。天平宝字二年(758年)二月十日に、内相藤原仲麻呂宅で渤海大使(ぼっかいたいし)小野朝臣田守(おののあそんたもり)らを激励する宴が催され、披歴はされなかったが、家持も歌を作っていたのである。
たまたま先週、高句麗の流れをくむ大祚榮が渤海国を建国する、韓国歴史ドラマ「大祚榮(テジョヨン)」全134話を見終わったところであった。奈良時代に限っても、遣渤海使は日本から九回も派遣している。ドラマと万葉集の接点が突如目の前に。
四五一四歌をみてみよう。
題詞は、「二月十日於内相宅餞渤海大使小野田守朝臣等宴歌一首」<二月の十日に、内相(ないしやう)が宅(いへ)にして餞渤海大使(ぼっかいだいし)小野田守朝臣等(をののたもりあそみら)を餞(せん)する宴(うたげ)の歌一首>である。
◆阿乎宇奈波良 加是奈美奈妣伎 由久左久佐 都ゝ牟許等奈久 布祢波ゝ夜家無
(大伴家持 巻二十 四五一四)
≪書き下し≫青海原(あをうなはら)風波(かぜなみ)靡(なび)き行(ゆ)くさ来(く)さつつむことなく船は早けむ
(訳)青海原、風波(かぜなみ)が静かに凪(な)いで果てもなく広がるその海原では、行も帰りも何のさわりもなく、船はすいすいと進むことでしょう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)ゆくさくさ【行くさ来さ】分類連語:行くときと来るとき。往復。 ※「さ」は接尾語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)つつむ【恙む・障む】自動詞:障害にあう。差し障る。病気になる。(学研)
左注は、「右一首右中辨大伴宿祢家持 未誦之」<右の一首は右中弁大伴宿禰家持。 いまだ誦せず>である。
―その725―
●歌は、「我が背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋」である。
●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(29)にある、
●歌をみていこう。
◆吾勢故我 捧而持流 保寶我之婆 安多可毛似加 青盖
(講師僧恵行 巻十九 四二〇四)
≪書き下し≫我が背子(せこ)が捧(ささ)げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋(きぬがさ)
(訳)あなたさまが、捧げて持っておいでのほおがしわ、このほおがしわは、まことにもってそっくりですね、青い蓋(きぬがさ)に。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)我が背子:ここでは大伴家持をさす。
(注)あたかも似るか:漢文訓読的表現。万葉集ではこの一例のみ。
(注)きぬがさ【衣笠・蓋】名詞:①絹で張った長い柄(え)の傘。貴人が外出の際、従者が背後からさしかざした。②仏像などの頭上につるす絹張りの傘。天蓋(てんがい)。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
題詞は、「見攀折保寳葉歌二首」<攀(よ)ぢ折(を)れる保宝葉(ほほがしは)を見る歌二首>とあり、歌碑の僧恵行の歌と大伴家持の歌が収録されている。大伴家持が奈良時代の越中国(今の富山県)に赴任していた時の歌である。
家持の歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その486)」で紹介している。
➡
―その726―
●歌は、「いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く」である。
●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(30)にある。
●歌をみていこう。
◆古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 鳴嚌遊久
(弓削皇子 巻二 一一一)
≪書き下し≫いにしへに恋ふらむ鳥かも弓絃葉(ゆずるは)の御井(みゐ)の上(うへ)より鳴き渡り行く
(訳)古(いにしえ)に恋の焦がれる鳥なのでありましょうか、鳥が弓絃葉の御井(みい)の上を鳴きながら大和の方へ飛び渡って行きます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
題詞は、「幸于吉野宮時弓削皇子贈与額田王歌一首」<吉野の宮に幸(いでま)す時に、弓削皇子(ゆげのみこ)の額田王(ぬかたのおほきみ)に贈与(おく)る歌一首>である。
弓削皇子が持統天皇吉野行幸の際、高齢のため行幸に参加できなかった額田王のことを思い出されて作られた歌である。
この歌ならびに額田王の返歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その488)」他で紹介している。 ➡ こちら488
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)
★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書)
★「「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」