万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その831,832)―高岡市万葉歴史館(4,5)四季の庭―万葉集 巻十九 四二九一、巻十九 四二二六

―その831―

●歌は、「我がやどのいささ群竹 吹く風の音のかそけきこの夕へかも」である

 

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高岡市万葉歴史館(4)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑(プレート)は、高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館(4)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆和我屋度能 伊佐左村竹 布久風能 於等能可蘇氣伎 許能由布敕可母

               (大伴家持 巻十九 四二九一)

 

≪書き下し≫我がやどのい笹(ささ)群竹(むらたけ) 吹く風の音のかそけきこの夕(ゆうへ)かも

 

(訳)我が家の庭の清らかな笹の群竹、その群竹に吹く風の、音の幽(かす)かなるこの夕暮れよ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)いささ 接頭語:ほんの小さな。ほんの少しばかりの。「いささ群竹(むらたけ)」「いささ小川」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かそけし【幽けし】形容詞:かすかだ。ほのかだ。▽程度・状況を表す語であるが、美的なものについて用いる。(学研)

(注)「布久風能 於等能可蘇氣伎」は、家持の気持ちをあらわしている。

(注)「許能」:その環境に浸っていることを示す。

 

  四二九〇、四二九一、四二九二歌の三首が、「春愁三首」とか「春愁絶唱三首」と呼ばれている。

 これらの歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その551)」で紹介している・

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 家持が越中から都に帰ったのは、天平勝宝三年(751年)のことである。

 巻十九の巻頭歌(四一三九歌)を歌ったのは、天平勝宝二年(750年)である。

 巻十九の巻末歌(四二九二歌)を歌ったのは、天平勝宝五年(753年)である。

 歌を並べて見る。

(巻頭歌)春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つをとめ

(巻末歌)うらうらに照れる春日に雲雀あがり心悲しもひとりし思へば

 

 「春愁三首」のほかの二首も並べて見る。

(四二九〇歌)春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鴬鳴くも

(四二九一歌)我がやどのいささ群竹 吹く風の音のかそけきこの夕へかも

 

 「春愁三首」の歌はあきらかに、上の句と下の句の落差が激しいのである。

 家持をここまで落ち込ませた時代的背景には藤原仲麻呂の台頭がある。

天平勝宝元年(749年)聖武天皇が譲位して孝謙天皇が即位すると藤原仲麻呂は、大納言となり,さらに皇権を掌握した叔母の光明皇太后のために新しく設置された紫微中台の長官紫微令をも兼任した。

孝謙天皇・その母光明皇太后藤原仲麻呂ラインが出来上がったのである。それに対抗するのが聖武太上天皇左大臣橘諸兄ラインであった。

光明皇太后藤原不比等の娘であり、孝謙天皇ならびに仲麻呂不比等の孫にあたる。

 

 家持はこれから起こるであろう大伴家の没落をひしひしと感じとり、その中でもがき、仲麻呂抵抗勢力とも距離をおくが故の孤独感を予見していたのであろう。

 

 

―その832―

●歌は、「この雪の消残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む」である。

 

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高岡市万葉歴史館(5)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑(プレート)は、高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館(5)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その222)」他で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

◆此雪之 消遺時尓 去来歸奈 山橘之 實光毛将見

                                    (大伴家持 巻十九 四二二六)

 

≪書き下し≫この雪の消殘(けのこ)る時にいざ行かな山橘(やまたちばな)の実(み)の照るも見む

 

(訳)この雪がまだ消えてしまわないうちに、さあ行こう。山橘の実が雪に照り輝いているさまを見よう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)やまたちばな【山橘】名詞:やぶこうじ(=木の名)の別名。冬、赤い実をつける。[季語] 冬。

 

題詞は、「雪日作歌一首」<雪の日に作る歌一首>である。

 

左注は、「右一首十二月大伴宿祢家持作之」<右の一首は、十二月に大伴宿禰家持作る>である。

 

天平勝宝二年十二月の歌である。

家持が山橘を詠んだ歌がもう一首ある。こちらもみてみよう。

 

題詞は、「冬十一月五日夜小雷起鳴雪落覆庭忽懐感憐聊作短歌一首」<冬の十一月の五日の夜(よ)に、小雷起(おこ)りて鳴り、雪落(ふ)りて庭を覆(おほ)う。たちまちに感憐(かんれん)を懐(いだ)き、いささかに作る短歌一首>である。

(注)いささかなり【聊かなり・些かなり】形容動詞:ほんのわずかだ。ほんの少しだ。(学研)

 

◆氣能己里能 由伎尓安倍弖流 安之比奇乃 夜麻多知波奈乎 都刀尓通弥許奈

               (大伴家持 巻二十 四四七一)

 

≪書き下し≫消残(けのこ)りの雪にあへ照るあしひきの山橘(やまたちばな)をつとに摘(つ)み来(こ)な

 

(訳)幸いに消えずに残っている白い雪に映えて、ひとしお赤々と照る山橘、その山橘の実を、家づとにするために行って摘んで来よう。(同上)

(注)あへ:合わせて

(注)つと【苞・苞苴】名詞:①食品などをわらで包んだもの。わらづと。②贈り物にする土地の産物。みやげ。(学研)

 

夜降る雪に、あくる日の山橘を幻想した歌である。越中時代の四二二六歌を作った折の山橘に思いを馳せ、難波で作った歌と思われる。

どこか、越中時代を懐かしむ気持ちが感じられるのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 世界大百科事典」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)