万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その833)―高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館(6)―万葉集 巻十八 四〇八六

●歌は、「油火の光に見ゆる我がかづらさ百合の花の笑まはしきかも」である。

 

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高岡市万葉歴史館(6)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑(プレート)は、高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館(6)である。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「同月九日諸僚會少目秦伊美吉石竹之舘飲宴 於時主人造白合花縵三枚疊置豆器、捧贈賓客 各賦此縵作三首」<同じき月の九日に、諸僚、少目(せうさくわん)秦伊美吉石竹(はだのいみきいはたけ)が館(たち)会(あ)ひて飲宴(うたげ)す。時に、主人(あろじ)、白合(ゆり)の花縵(はなかづら)三枚を造りて、豆器(とうき)に畳(かさ)ね置き、賓客(ひんきやく)に捧げ贈る。おのもおのもこの縵(かづら)を賦(ふ)して作る三首>である。

(注)諸僚:ここでは越中国府の役人たちをさす

(注)豆器:「豆」は、足付食器の象形文字。ここでは高坏の類。

 

◆安夫良火乃 比可里尓見由流 和我可豆良 佐由利能波奈能 恵麻波之伎香母

               (大伴家持 巻十八 四〇八六)

 

≪書き下し≫油火(あぶらひ)の光りに見ゆる我がかづらさ百合(ゆり)の花の笑(ゑ)まはしきかも

 

(訳)油火の光の中に浮かんで見える私の花縵、この縵の百合の花の、何とまあほほ笑ましいことよ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あぶらひ【油火】名詞:灯油に灯心を浸してともすあかり。灯火。 ※後に「あぶらび」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

左注は、「右一首守大伴宿祢家持」<右の一首は守(かみ)大伴宿禰家持>である。

 

他の二首もみてみよう。

 

◆等毛之火能 比可里尓見由流 左由理婆奈 由利毛安波牟等 於母比曽米弖伎

               (内蔵伊美吉縄麻呂 巻十八 四〇八七)

 

≪書き下し≫燈火(ともしび)の光りに見ゆるさ百合花(ゆりばな)ゆりも逢(あ)はむと思ひそめてき

 

(訳)燈火の光の中に浮かんで見える百合の花、その名のようにゆり―将来もきっと逢おうと思いはじめたことでした。(同上)

(注)「ゆりも逢(あ)はむと思ひそめてき」:恋歌調に仕立てて楽しんでいる。

 

左注は、「右一首介内蔵伊美吉縄麻呂」<右の一首介(すけ)内蔵伊美吉縄麻呂(くらのいみきつなまろ)>である。

 

◆左由理婆奈 由里毛安波牟等 於毛倍許曽 伊末能麻左可母 宇流波之美須礼

               (大伴家持 巻十八 四〇八八) 

 

≪書き下し≫さ百合花ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ

               

(訳)百合の花、その花のようにゆり―将来もきっと逢いたいと思うからこそ、今の今もこんな親しませていただいているのです。(同上)

(注)さゆりばな【小百合花】分類枕詞:ゆりの花の意で、同音の「後(ゆり)」にかかる。(学研)

(注)いまのまさか【今のまさか】分類連語:今の今。今この時。(学研)

(注)うるはしみす【麗しみす・愛しみす】他動詞:親しみ愛する。仲むつまじくする。(学研)

 

 四〇八六歌の題詞にでてきた「豆器(とうき)」についてもう少し詳しくみてみよう。

 

「豆器」については、國學院大學デジタルミュージアム「万葉神事語事典」に次のように書かれている。

 「とうき 豆器:高杯。古くは食肉を盛った器のことで、足があるものをさした。後世には中国において祭祀の際に飲物を盛るのに用い、更に後には祭祀のみに用いた。「俎豆」ともいう。「豆」は足の付いた食器の象形文字といわれる。万葉集には題詞に「ここに主人百合の花縵三枚を造り、豆器に畳ね置き、賓客に捧げ贈る」(18-4086~88題詞)とあり、宴を催した際に百合の花縵を造り、豆器に重ねた上でうやうやしく賓客に捧げたことが知られる。さらに能登の国の歌に「高坏に盛り 机に立てて」とあり、鹿島嶺近くのしただみ貝を父母にご馳走するときの器として高坏を用いている。宴席や日常にも用いられているが、基本的には敬うべき神や尊者へ差しあげる物を収める器と考えられる。 鈴木道代」

 

 「高坏」は、やきもの辞典(光芸出版社編)には、「高い足付の食物を盛る器。腰高・たかすき・御台ともいう。檜の輪を台にした土器(かわらけ)圷で、台も土器でつけたものを土高坏という。古くは土器であった(後略)」と書かれている。

 日本の陶磁器の歴史を調べて見ると、大阪市立東洋陶磁美術館HPに、「日本陶磁の歴史は縄文土器に始まり、弥生土器、そして古墳時代〔3世紀~7世紀〕の土師器(はじき)や埴輪(はにわ)など土器文化が展開しました。5世紀には、朝鮮半島から伝わった新たな製陶技術によって高火度還元焔(かんげんえん)焼成の須恵器(すえき)が誕生し、原初的な釉薬の出現を見ました。飛鳥・奈良時代(538~794)には、中国や朝鮮半島の低火度鉛釉(えんゆう)陶器の影響を受け、色鮮やかな緑釉陶器や奈良三彩が登場し、さらに平安時代〔794~1185〕の9世紀になると愛知県の猿投窯(さなげよう)では人工的な釉薬を施した高火度焼成の灰釉(かいゆう)陶器の生産が始まりました。」とある。

 

 奈良万葉時代は、漸く色鮮やかな緑釉陶器や奈良三彩が登場した時代であり、一般的には土器、須恵器が主流であった。後の世に日本が世界的にも影響を及ぼす「陶器(とうき)」と同じ発音の「豆器(とうき)」という言葉を万葉集の中いあることを知り、心が躍ったのであった。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)

★「高岡市万葉歴史館HP」

★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタルミュージアム

★「やきもの辞典」 (光芸出版社編)

★「大阪市立東洋陶磁美術館HP」