万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2289)―

●歌は、「さ百合花ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ」である。

石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持) 
20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 四〇八六から四〇八八歌の 題詞は、「同月九日諸僚會少目秦伊美吉石竹之舘飲宴 於時主人造白合花縵三枚疊置豆器捧贈賓客 各賦此縵作三首」<同じき月の九日に、諸僚、少目(せうさくわん)秦伊美吉石竹(はだのいみきいはたけ)が館(たち)に会(あ)ひて飲宴(うたげ)す。時に、主人(あるじ)、白合(ゆり)の花縵(はなかづら)三枚を造りて、豆器(とうき)に畳(かさ)ね置き、賓客(ひんきゃく)に捧げ贈る。おのもおのもこの縵を賦(ふ)して作る三首>である。

(注)豆器:「豆」は足付器の象形文字。ここは高坏の類。(伊藤脚注)

(注の注)とう【豆】:中国古来の高坏(たかつき)状の皿・鉢。食器、また祭器ともされ、陶製・青銅製・木製などで蓋(ふた)がつくものとつかないものとがある。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注の注)「豆」漢字の起源:豆という漢字は古代中国で使われていた高杯(たかつき)という脚がついた食器・礼器を表す象形文字であり、まめ(主にダイズ)は「菽」と書かれていた。いつからか食器「豆(中国語版)」に盛られたダイズを豆と表現するようになり、現在では中国・日本とも豆といえば食物の豆を意味する。(weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

 須恵器の高坏を「豆器」と呼んでいるが、後の世の「陶器」と同音なのがおもしろい。また、豆(器)に盛られたダイズが、「豆」と呼ばれるようになり、中国・日本とも豆といえば食物の豆を意味する、というのも驚きであった。豆知識としてとっておこう。

 

 

◆左由理婆奈 由利毛安波牟等 於毛倍許曽 伊末能麻左可母 宇流波之美須礼

       (大伴家持 巻十八 四〇八八)

 

≪書き下し≫さ百合花ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ

 

(訳)百合の花、その花のようにゆり―将来もきっと逢いたいと思うからこそ、今の今もこんなに親しませていただいているのです。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)さゆりばな【小百合花】[名]:ユリの花。[枕]:同音を持つ「後(ゆり)」にかかる。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)ゆり【後】名詞:後(のち)。今後。 ※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)まさか【目前】名詞:さしあたっての今。現在。(学研)

(注)うるはしみすれ:上のコソの結び。「ミ語法+サ変動詞」は・・・と思う、の意を示す。(伊藤脚注)

(注の注)うるはしみす 【麗しみす・愛しみす】他動詞:親しみ愛する。仲むつまじくする。(学研)

 

左注は、「右一首大伴宿祢家持和」<右の一首は、大伴宿禰家持和(こた)ふ>である。

 

「うるはしみす」の(注)にあった「ミ語法(ミごほう)」について、「weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」に「形容詞の語幹に語尾『み』を接続した語形を用いる語法である。現存する文献に残る用例の大部分は万葉集である。上代以前に広く用いられたと考えられている。中古以降は擬古的表現として和歌にわずかに用いられた。」と書かれている。さらに「ミ語法の用例で一番多いものは次のように形容詞の語幹の前に名詞に後接する『を』を伴う。

采女の袖吹きかへす明日香風都を遠み(乎遠見)いたづらに吹く (万葉集 第1巻 51番歌)

若の浦に潮満ち来れば潟をなみ(乎無美)葦辺をさして鶴鳴き渡る (万葉集 第6巻 919番歌)

多くはないが「を」を伴わないものがある。

…明日香の古き都は山高み(山高三)川とほしろし… (万葉集 第3巻 324番歌)

また、ミ語法の後ろに「す」や「思ふ」を伴うものがある。

さ百合花ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ(宇流波之美須礼)万葉集 第18巻 4088番歌)

我妹子を相知らしめし人をこそ恋のまされば恨めしみ思へ(恨三念) (万葉集 第4巻 494番歌)」と書かれている。

 

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 四〇八六~四〇八八歌については、万葉集で収録されている「ゆり」十一首とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1072)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 四〇八七・四〇八八歌以外で、枕詞として使われている「さ百合花」+「後(ゆり)」の歌をみてみよう。

 

◆吾妹兒之 家之垣内乃 佐由理花 由利登云者 不欲云似

       (紀豊河 巻八 一五〇三)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が家(いへ)の垣内(かきつ)のさ百合(ゆり)花(ばな)ゆりと言へるはいなと言ふに似る

 

(訳)あの子の家の垣根の内に咲いているさ百合(ゆり)の花、その名のようにゆり、あとでと言っているのは、いやだということと同じなんだな。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さ:接頭語

(注)上三句は序。同音で「ゆり」を起こす。

(注)ゆり【後】名詞:後(のち)。今後。 ※上代語。(学研)

 

 

◆於保支見能 等保能美可等ゝ 末支太末不 官乃末尓末 美由支布流 古之尓久多利来安良多末能 等之能五年 之吉多倍乃 手枕末可受 比毛等可須 末呂宿乎須礼波 移夫勢美等 情奈具左尓 奈泥之故乎 屋戸尓末枳於保之 夏能ゝ 佐由利比伎宇恵天 開花乎 移弖見流其等尓 那泥之古我 曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流へ久母安礼也

        (大伴家持 巻十八 四一一三)

 

≪書き下し≫大王(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と 任(ま)きたまふ 官(つかさ)のまにま み雪降る 越(こし)に下(くだ)り来(き) あらたまの 年の五年(いつとせ) 敷栲の 手枕(たまくら)まかず 紐(ひも)解(と)かず 丸寝(まろね)をすれば いぶせみと 心なぐさに なでしこを やどに蒔(ま)き生(お)ほし 夏の野の さ百合(ゆり)引き植(う)ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻(はなづま)に さ百合花(ゆりばな) ゆりも逢(あ)はむと 慰むる 心しなくは 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に一日(ひとひ)も あるべくもあれや

 

(訳)我が大君の治めたまう遠く遥かなるお役所だからと、私に任命された役目のままに、雪の深々と降る越の国まで下って来て、五年もの長い年月、敷栲の手枕もまかず、着物の紐も解かずにごろ寝をしていると、気が滅入(めい)ってならないので気晴らしにもと、なでしこを庭先に蒔(ま)き育て、夏の野の百合を移し植えて、咲いた花々を庭に出て見るたびに、なでしこのその花妻に、百合の花のゆり―のちにでもきっと逢おうと思うのだが、そのように思って心の安まることでもなければ、都離れたこんな鄙の国で、一日たりとも暮らしていられようか。とても暮らしていられるものではない。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)手枕:妻の手枕

(注)まろね【丸寝】名詞:衣服を着たまま寝ること。独り寝や旅寝の場合にいうこともある。「丸臥(まろぶ)し」「まるね」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)いぶせむ( 動マ四 )〔形容詞「いぶせし」の動詞化〕心がはればれとせず、気がふさぐ。ゆううつになる。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

 

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 ◆佐由利花 由利母相等 之多波布流 許己呂之奈久波 今日母倍米夜母

         (大伴家持 巻十八 四一一五)

 

≪書き下し≫さ百合花(ゆりばな)ゆりも逢はむと下(した)延(は)ふる心しなくは今日(けふ)も経(へ)めやも

 

(訳)百合の花の名のように、ゆり―のちにでもきっと逢おうと、ひそかに頼む心がなかったなら、今日一日たりと過ごせようか。とても過ごせるものではない。(同上)

 

 四一一三、四一一五歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その357)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

「後(ゆり)」を調べていたら、格助詞の「ゆり」の語源であったという説もあることがわかった。「コトバンク 精選版 日本国語大辞典」の「ゆり」の項に次のように書かれている。

「〘格助〙 体言または体言に準ずるものを受け、時間的、空間的起点を示す。

続日本紀天平元年(729)八月二四日・宣命『皇朕高御座に坐し初めし由利(ユリ)今年に至るまで』

[語誌](1)上代にほとんど同じ用法をもっていた格助詞『ゆ』『ゆり』『よ』『より』の四語のうち、『ゆり』は『続日本紀宣命』と『万葉集』だけにあらわれ、用例が最も少なく用法も最も狭い

(2)語源に関しては『後』の意味の名詞『ゆり(後)』が転じたものであるとする説がある。この説によると、他の三語は、接尾語的な『り』が落ちたり、『ゆ』が『よ』に転じたりして成立したもので、そうだとすると、四語のなかで『ゆり』の勢力が弱いのは最も古いからであると考えられる。一方、『ゆ』『よ』がまずあって、それに接尾語的な『り』がついて、『ゆり』『より』が派生したと見る説もある。」

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典