万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2290、2291)―

―その2290―

●歌は、「ますらをの心思ほゆ大君の御言の幸を聞けば貴み(四〇九五歌)」である。

石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持) 
20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

                           

 

―その2291―

●歌は、「大伴の遠つ神祖の奥城はしるく標立て人の知るべく(四〇九六歌)」である。

石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持) 
20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

 

 四〇九五、四〇九六歌は、題詞「賀陸奥國出金 詔書歌一首并短歌」<陸奥(みちのく)の國に金(くがね)を出だす詔書を賀(ほ)く歌一首并(あは)せて短歌>の四〇九四~四〇九七歌の反歌三首の内の二首である。

(注)陸奥の国:奥羽地方の太平洋岸の国。(伊藤脚注)

(注)詔書天平二十一年(749年)四月一日に発せられた二つの詔。詔は四月下旬頃家持の目に触れた。この四月一日、家持従五位上。詔の一つには大伴佐伯両氏の忠節を嘉する言葉がある。(伊藤脚注)

 

 

四〇九四歌から改めてみてみよう。

 

◆葦原能 美豆保國乎 安麻久太利 之良志賣之家流 須賣呂伎能 神乃美許等能 御代可佐祢 天乃日嗣等 之良志久流 伎美能御代ゝゝ 之伎麻世流 四方國尓波 山河乎 比呂美安都美等 多弖麻都流 御調寶波 可蘇倍衣受 都久之毛可祢都 之加礼騰母 吾大王乃 毛呂比登乎 伊射奈比多麻比 善事乎 波自米多麻比弖 久我祢可毛 多之氣久安良牟登 於母保之弖 之多奈夜麻須尓 鶏鳴 東國能 美知能久乃 小田在山尓 金有等 麻宇之多麻敝礼 御心乎 安吉良米多麻比 天地乃 神安比宇豆奈比 皇御祖乃 御霊多須氣弖 遠代尓 可ゝ里之許登乎 朕御世尓 安良波之弖安礼婆 御食國波 左可延牟物能等 可牟奈我良 於毛保之賣之弖 毛能乃布能 八十伴雄乎 麻都呂倍乃 牟氣乃麻尓ゝゝ 老人毛 女童兒毛 之我願 心太良比尓 撫賜 治賜婆 許己乎之母 安夜尓多敷刀美 宇礼之家久 伊余与於母比弖 大伴乃 遠都神祖乃 其名乎婆 大来目主等 於比母知弖 都加倍之官 海行者 美都久屍 山行者 草牟須屍 大皇乃 敝尓許曽死米 可敝里見波 勢自等許等太弖 大夫乃 伎欲吉彼名乎 伊尓之敝欲 伊麻乃乎追通尓 奈我佐敝流 於夜能子等毛曽 大伴等 佐伯乃氏者 人祖乃 立流辞立 人子者 祖名不絶 大君尓 麻都呂布物能等 伊比都雅流 許等能都可左曽 梓弓 手尓等里母知弖 劔大刀 許之尓等里波伎 安佐麻毛利 由布能麻毛利尒 大王能 三門乃麻毛利 和礼乎於吉弖且 比等波安良自等 伊夜多氐 於毛比之麻左流 大皇乃 御言能左吉乃 <一云 乎> 聞者貴美<一云 貴久之安礼婆>

       (大伴家持 巻二十 四〇九四)

 

≪書き下し≫葦原(あしはら)の 瑞穂(みづほ)の国を 天(あま)下(くだ)り 知(し)らしめしける すめろきの 神(かみ)の命(みこと)の 御代(みよ)重(かさ)ね 天(あま)の日継(ひつぎ)と 知らし来(く)る 君の御代(みよ)御代(みよ) 敷きませる 四方(よも)の国には 山川(やまかは)を 広み厚みと 奉(たてまつ)る 御調(みつき)宝(たから)は 数(かぞ)へえず 尽(つく)くしもかねつ しかれども 我が大君(おほきみ)の 諸人(もろひと)を 誘(いざない)ひたまひ よきことを 始めたまひて 金(くがね)かも 確(たし)けくあらむと 思ほして 下(した)悩(なや)ますに 鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国の 陸奥(みちのく)の 小田(をだ)にある山に 金(くがね)ありと 申(まう)したまへれ 御心(みこころ)を 明(あき)らめたまひ 天地(あめつち)の 神(かみ)相(あひ)うづなひ すめろきの 御霊(みたま)助けて 遠き代(よ)に かかりしことを 我が御代(みよ)に 顕(あら)はしてあれば 食(を)す国は 栄(さか)えむものと 神(かむ)ながら 思ほしめして もののふの 八十(やそ)伴(とも)の男(を)を 奉(まつ)ろへの 向けのまにまに 老人(おいひと)も 女(をみな)童(わらは)も しが願ふ 心(こころ)足(だ)らひに 撫(な)でたまひ 治(をさ)めたまへば ここをしも あやに貴(たふと)み 嬉(うれ)しけく いよよ思ひて 大伴(おほとも)の 遠つ神(かむ)祖(おや)の その名をば 大久米(おほくめ)主(ぬし)と 負(を)ひ持ちて 仕(つか)へし官(つかさ) 海行かば 水浸(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草(くさ)生(む)す屍(かばね) 大君(おほきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ かへり見は せじと言立(ことだ)て ますらをの 清きその名を いにしへよ 今のをつづに 流さへる 祖(おや)の子どもぞ 大伴(おほとも)と 佐伯(さへき)の氏(うぢ)は 人の祖(おや)の 立つる言立(ことだ)て 人の子は 祖(おや)の名絶たず 大君に 奉仕(まつろ)ふものと 言ひ継(つ)げる 言(こと)の官(つかさ)ぞ 梓弓(あづさゆみ) 手に取り持ちて 剣太刀(つるぎたち) 腰(こし)に取り佩(は)き 朝(あさ)守(まも)り 夕(ゆふ)の守(まも)りに 大君(おほきみ)の 御門(みかど)の守り 我れをおきて また人はあらじ といや立て 思ひし増(ま)さる 大君(おほきみ)の 御言(みこと)の幸(さき)の <一には「を」といふ> 聞けば貴(たふと)み <一には「貴くしあれば」といふ>

 

(訳)葦原の瑞穂の国、この国を、高天原(たかまがはら)から降(くだ)ってお治めになった天皇の神の命、その神の命の御末が御代を重ねて、日の神の後継ぎとして治めて来られた貴い御代御代を通して、ずっと支配しておられる四方の国々では、山も川も広々と豊かであるとて、奉る貢(みつぎ)の宝は数えきれず、挙げ尽くしようもない。しかしながら、われらの大君が人びとを仏の道にお導きになり、善き業(わざ)をお始めになって、何とか黄金(こがね)が充分にあればとひそかに御心を砕いておられた折も折、鶏が鳴く東の国の陸奥の小田という所の山に黄金があると奏上してきたものだから、御心も晴れ晴れとなさり、「我が業を天地の神々も挙(こぞ)って嘉(よみ)したまい、代々の天皇の御霊もお助け下さって、遠い昔の代にあったと同じことを我が御代にも顕わしてくださったので、我が治める国は栄えるであろう」と、神の御子でましますままにおぼし召されて、もともろの臣下たちを心から仕えさせられるとともに、老人(おいひと)も女(おんな)子どもも、その願いが満ち足りるように、いとしみたまい治めたもうので、われらはそこのところが何とも貴くてならず、嬉(うれ)しさもいよいよつのって、大伴の遠い祖先の神、その名は大久米部の主(あるじ)という誉(ほま)れを背にお仕えしてきた役目柄、「海を行くなら水漬(みづ)く屍(かばね)、山を行くなら草生(む)す屍となり、大君の辺に死のうと本望、我が身を顧みるようなことはすまい」と言葉に唱えて誓ってきた大夫(ますらお)のいさぎよい名、その名を遠く遥かなる時代から今の今まで絶えることなく伝えてきた、祖先の末裔(まつえい)なのだ。大伴と佐伯の氏は、祖先の立てた誓いのままに、「子孫は祖先の名を絶やさず、大君にお仕えするものだ」と言い継いできた誓いを守り続ける靫負(ゆげい)の家柄であるぞ。梓の弓を手に掲げ持って、剣の太刀を腰にしっかと帯び、朝にも夕にも大君の御門を守る守り手は、われらをおいてほかに人はあるはずがないと、いよいよますます言立てしその思いはつのるばかり。大君のみ言葉のありがたさが<よ>、承るとただ貴くて<そのお言葉が貴くてならないので>。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)あしはらのみづほのくに【葦原の瑞穂の国】名詞:日本国の美称。 ※葦原にある、みずみずしい稲穂の実る国の意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)あまのひつぎ【天の日嗣ぎ】名詞:「あまつひつぎ」に同じ。>あまつひつぎ【天つ日嗣ぎ】名詞:「天つ神」、特に天照大神(あまてらすおおみかみ)の系統を受け継ぐこと。皇位の継承。皇位。(学研)

(注)しきます【敷きます】分類連語:お治めになる。統治なさる。 ⇒なりたち:動詞「しく」の連用形+尊敬の補助動詞「ます」(学研)

(注)よも【四方】名詞:①東西南北。前後左右。四方(しほう)。②あたり一帯。いたるところ。(学研)

(注)みつき【貢・調】名詞:租・庸・調(ちよう)などの租税の総称。▽「調(つき)(=年貢(ねんぐ))」を敬っていう語。 ※「み」は接頭語。のちに「みつぎ」。(学研)

(注)確けく>確けし( 形ク ):たしかである。十分である。 (コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

(注)尽くしもかねつ:あげつくすこともできない。(伊藤脚注)

(注)誘ひたまひ:仏の道にお導きになり。(伊藤脚注)

(注)よきこと:大仏建立をいう。(伊藤脚注)

(注)たしけし【確けし】[形ク]:たしかであるさま。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)下悩ますに:心中気にかけておられた時に。(伊藤脚注)

(注の注)した【下】名詞:①下。下方。下位。②内側。内部。③内心。④おかげ。もと。▽上位のものの恩顧を受ける立場。⑤劣勢。年若。力不足。低級。▽ものごとの程度が劣ること。(学研)ここでは③の意

(注)とりがなく【鶏が鳴く】:[枕]地名「東 (あづま) 」にかかる。東国の言葉が鳥のさえずりのようにわかりにくいからとも、鶏が鳴くと東から夜が明けるからともいう。(goo辞書)

(注)小田にある山:宮城県遠田群湧谷町黄金迫(はざま)の山。(伊藤脚注)

(注)申したまへれ:奏上してきたものだから。(伊藤脚注)

(注)天地の神相うづなひ:我が業を天地の神も嘉(よみ)したまい。(伊藤脚注)

(注の注)うづなふ【珍なふ】他動詞:貴重なものとする。よしとする。(神が)承諾する。(学研)

(注)かかりしことを:「かくありしことを」で、遠い御代にあったと同じことの意。(伊藤脚注)

(注)奉(まつ)ろへ:心から従わせ仕えさせると共に。「奉ろへ」は下二段「奉ろふ」の名詞形、「向け」は下二段「向く」の名詞形。共に服従させること。(伊藤脚注)

(注の注)向け:服従させること

(注)し【其】代名詞:〔常に格助詞「が」を伴って「しが」の形で用いて〕①それ。▽中称の指示代名詞。②おまえ。なんじ。▽対称の人称代名詞。③おのれ。自分。▽反照代名詞(=実体そのものをさす代名詞)。(学研) ここでは③の意

(注)かむおや【神祖】:神としてまつられている先祖。かんおや。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)仕へし官:仕えて来た役目柄(伊藤脚注)

(注)ことだて【言立て】名詞:他に対して、はっきりと口に出して言うこと。言明。(学研)

(注)をつつ【現】名詞:今。現在。「をつづ」とも。(学研)

(注)流さへる祖(おや)の子どもぞ:言い伝えてきたその祖先の末裔なのだ。(伊藤脚注)

(注)人の祖の立てつる言立て:祖先の立てた誓いのままに。「人の」は習慣的に冠したもの。(伊藤脚注)

(注)言の官ぞ:名のある家柄なのだ。(伊藤脚注)

(注)大君の御門の守り:大君の御門を守る守り手としては。(伊藤脚注)

(注)いや立て思ひし増さる:さらに世間に言立てして、その思いは強まるばかりだ。(伊藤脚注)

(注の注)いや【弥】副詞:①いよいよ。ますます。②きわめて。最も。 ⇒参考:修飾する語と一体化して接頭語的に用いられる場合が多い。従って、接頭語とする説もある。(学研)

(注)大君の御言の幸の聞けば貴み:大君の詔の有難さが、承るにつけても貴くて。(伊藤脚注)

 

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感想(1件)

 

反歌三首」もみておこう。

 

◆大夫能 許己呂於毛保由 於保伎美能 美許登乃佐吉乎<一云 能>  聞者多布刀美<一云 貴久之安礼婆>

         (大伴家持 巻十八 四〇九五)

 

≪書き下し≫ますらをの心思ほゆ大君の御言の幸(さき)を <一には「の」といふ> 聞けば貴み <一には「貴くしあれば」といふ>

 

(訳)雄々しい大夫の心が湧き起こってくる。大君のみ言葉のありがたさよ<が>、そのお言葉が、承るとただ貴くて<貴くてならないので>。(同上)

(注)心思ほゆ:心が湧き起ってくる。長歌の末尾を承ける歌。(伊藤脚注)

 

 

◆大伴乃 等保追可牟於夜能 於久都奇波 之流久之米多弖 比等能之流倍久

       (大伴家持 巻十八 四〇九六)

 

≪書き下し≫大伴(おほとも)の遠(とほ)つ神(かむ)祖(おや)の奥城(おくつき)はしるく標(しめ)立て人の知るべく

 

(訳)大伴の遠い先祖の、その神の奥つ城には、はっきりと標(しるし)を立てよ。世の人びとがそれを知るように。(同上)

(注)この歌は、長歌後半の「大伴の遠つ神祖の」以下を承ける、言立ての歌。(伊藤脚注)

(注)しるく標(しめ)立て:はっきりと標(しるし)の杙(くい)を立てよ。(伊藤脚注)

(注の注)しるし【著し】形容詞:①はっきりわかる。明白である。②〔「…もしるし」の形で〕まさにそのとおりだ。予想どおりだ。(学研)ここでは①の意

 

 

◆須賣呂伎能 御代佐可延牟等 阿頭麻奈流 美知乃久夜麻尓 金花佐久

        (大伴家持 巻十八 四〇九七)

 

≪書き下し≫天皇(すめろき)の御代(みよ)栄(さか)えむと東(あづま)なる陸奥(みちのく)山(やま)に黄金(くがね)花咲く

 

(訳)天皇(すめろき)の御代が栄えるしるしと、東(あずま)の国の陸奥山(みちのくやま)に、黄金の花が咲いた。(同上)

(注)この歌は、長歌の前半を承け、天皇の治世を讃えながら全体を結ぶ。(伊藤脚注)

 

 左注は、「天平感寶元年五月十二日於越中國守舘大伴宿祢家持作之」<天平感宝(かんぽう)元年の五月の十二日に、越中(こしのみちのなか)の国の守(かみ)が館(たち)にして大伴宿禰家持作る>である。

(注)天平感宝(かんぽう)元年:749年。天平二十一年四月十四日改元。(伊藤脚注)

 

 四〇九四歌に関して、「別冊國文學 万葉集必携 稲岡耕二 編 (學燈社)」に、「大伴家持天平十八年から越中国守であった。はるかな『越(こし)』の国で、家持はこの宣命四月一日聖武天皇が、造営中の大仏の前で読み上げさせた、陸奥国から黄金が献上されたことに対するよろこびと感謝の宣命←小生追記)を読んだ。宣命は特に大伴・佐伯両氏の部門をたたえ、祖先以来、『海行かば水浸(みづ)く屍(かばね)、山行かば草むす屍、大君の 辺(へ)にこそ死なめ、のどには死なじ』と事挙(ことあ)げしてきた者どもだと述べ、その変わらぬ奉仕を求めていた。家持は感動して、この宣命をことほぐ歌を作った。万葉集中三番目に長い長歌である。」

(注)のど【閑/和】[形動ナリ]:①「のどか」に同じ。②平穏無事であるさま。(weblio

辞書 デジタル大辞泉)ここでは②の意

 

 四〇九四~四〇九七歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その552)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携 稲岡耕二 編 (學燈社)」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「コトバンク 三省堂大辞林 第三版」

★「goo辞書」