万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その552)―京都市右京区龍安寺住吉町 住吉大伴神社きぬかけの道側プチパーク―万葉集 巻二十 四〇九四

●歌は、「葦原の瑞穂の国を天下り知らしめしけるすめろきの神の命の御代重ね天の日継と知らし来る君の御代御代敷きませる四方の国には山川を広み厚みと奉る御調宝は数へえず尽くしもかねつしかれども我が大君の諸人を誘ひたまひよきことを始めたまひて金かも確けくあらむと思ほして下悩ますに鶏が鳴く東の国の陸奥の小田にある山に金ありと申したまへれ御心を明らめたまひ天地の神相うづなひすめろきの御霊助けて遠き代にかかりしことを我が御代に顕はしてあれば食す国は栄えむものと神ながら思ほしめしてもののふの八十伴の男を奉ろへの向けのまにまに老人も女童もしが願ふ心足だらひに撫でたまひ治めたまへばここをしもあやに貴み嬉しけくいよよ思ひて大伴の遠つ神祖のその名をば大久米主と負ひ持ちて仕へし官海行かば水浸く屍山行かば草生す屍大君の辺にこそ死なめかへり見はせじと言立てますらをの清きその名をいにしへよ今のをつづに流さへる祖の子どもぞ大伴と佐伯の氏は人の祖の立つる言立て人の子は祖の名絶たず大君にまつろふものと言ひ継げる言の官ぞ梓弓手に取り持ちて剣太刀腰に取り佩き朝守り夕の守りに大君の御門の守り我れをおきてまた人はあらじといや立て思ひし増さる大君の御言の幸の<一『を』といふ> 聞けば貴み <一には『貴くしあれば』といふ>」である。

 

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京都市右京区龍安寺住吉町 住吉大伴神社きぬかけの道側プチパーク万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、京都市右京区龍安寺住吉町 住吉大伴神社きぬかけの道側プチパークにある。   

 

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住吉大伴神社前「きぬかけの道」の碑

●歌をみていこう。

 

題詞は、「賀陸奥國出金 詔書歌一首并短歌」<陸奥(みちのく)の國に金(くがね)を出だす詔書を賀(ほ)く歌一首并(あは)せて短歌>である。

 

◆葦原能 美豆保國乎 安麻久太利 之良志賣之家流 須賣呂伎能 神乃美許等能 御代可佐祢 天乃日嗣等 之良志久流 伎美能御代ゝゝ 之伎麻世流 四方國尓波 山河乎 比呂美安都美等 多弖麻都流 御調寶波 可蘇倍衣受 都久之毛可祢都 之加礼騰母 吾大王乃 毛呂比登乎 伊射奈比多麻比 善事乎 波自米多麻比弖 久我祢可毛 多之氣久安良牟登 於母保之弖 之多奈夜麻須尓 鶏鳴 東國能 美知能久乃 小田在山尓 金有等 麻宇之多麻敝礼 御心乎 安吉良米多麻比 天地乃 神安比宇豆奈比 皇御祖乃 御霊多須氣弖 遠代尓 可ゝ里之許登乎 朕御世尓 安良波之弖安礼婆 御食國波 左可延牟物能等 可牟奈我良 於毛保之賣之弖 毛能乃布能 八十伴雄乎 麻都呂倍乃 牟氣乃麻尓ゝゝ 老人毛 女童兒毛 之我願 心太良比尓 撫賜 治賜婆 許己乎之母 安夜尓多敷刀美 宇礼之家久 伊余与於母比弖 大伴乃 遠都神祖乃 其名乎婆 大来目主等 於比母知弖 都加倍之官 海行者 美都久屍 山行者 草牟須屍 大皇乃 敝尓許曽死米 可敝里見波 勢自等許等太弖 大夫乃 伎欲吉彼名乎 伊尓之敝欲 伊麻乃乎追通尓 奈我佐敝流 於夜能子等毛曽 大伴等 佐伯乃氏者 人祖乃 立流辞立 人子者 祖名不絶 大君尓 麻都呂布物能等 伊比都雅流 許等能都可左曽 梓弓 手尓等里母知弖 劔大刀 許之尓等里波伎 安佐麻毛利 由布能麻毛利尒 大王能 三門乃麻毛利 和礼乎於吉弖且 比等波安良自等 伊夜多氐 於毛比之麻左流 大皇乃 御言能左吉乃 <一云 乎> 聞者貴美<一云 貴久之安礼婆>

               (大伴家持 巻二十 四〇九四)

 

≪書き下し≫葦原(あしはら)の 瑞穂(みづほ)の国を 天(あま)下(くだ)り 知(し)らしめしける すめろきの 神(かみ)の命(みこと)の 御代(みよ)重(かさ)ね 天(あま)の日継(ひつぎ)と 知らし来(く)る 君の御代(みよ)御代(みよ) 敷きませる 四方(よも)の国には 山川(やまかは)を 広み厚みと 奉(たてまつ)る 御調(みつき)宝(たから)は 数(かぞ)へえず 尽(つく)くしもかねつ しかれども 我が大君(おほきみ)の 諸人(もろひと)を 誘(いざない)ひたまひ よきことを 始めたまひて 金(くがね)かも 確(たし)けくあらむと 思ほして 下(した)悩(なや)ますに 鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国の 陸奥(みちのく)の 小田(をだ)にある山に 金(くがね)ありと 申(まう)したまへれ 御心(みこころ)を 明(あき)らめたまひ 天地(あめつち)の 神(かみ)相(あひ)うづなひ すめろきの 御霊(みたま)助けて 遠き代(よ)に かかりしことを 我が御代(みよ)に 顕(あら)はしてあれば 食(を)す国は 栄(さか)えむものと 神(かむ)ながら 思ほしめして もののふの 八十(やそ)伴(とも)の男(を)を 奉(まつ)ろへの 向けのまにまに 老人(おいひと)も 女(をみな)童(わらは)も しが願ふ 心(こころ)足(だ)らひに 撫(な)でたまひ 治(をさ)めたまへば ここをしも あやに貴(たふと)み 嬉(うれ)しけく いよよ思ひて 大伴(おほとも)の 遠つ神(かむ)祖(おや)の その名をば 大久米(おほくめ)主(ぬし)と 負(を)ひ持ちて 仕(つか)へし官(つかさ) 海行かば 水浸(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草(くさ)生(む)す屍(かばね) 大君(おほきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ かへり見は せじと言立(ことだ)て ますらをの 清きその名を いにしへよ 今のをつづに 流さへる 祖(おや)の子どもぞ 大伴(おほとも)と 佐伯(さへき)の氏(うぢ)は 人の祖(おや)の 立つる言立(ことだ)て 人の子は 祖(おや)の名絶たず 大君に 奉仕(まつろ)ふものと 言ひ継(つ)げる 言(こと)の官(つかさ)ぞ 梓弓(あづさゆみ) 手に取り持ちて 剣太刀(つるぎたち) 腰(こし)に取り佩(は)き 朝(あさ)守(まも)り 夕(ゆふ)の守(まも)りに 大君(おほきみ)の 御門(みかど)の守り 我れをおきて また人はあらじ といや立て 思ひし増(ま)さる 大君(おほきみ)の 御言(みこと)の幸(さき)の <一には「を」といふ> 聞けば貴(たふと)み <一には「貴くしあれば」といふ>

 

(訳)葦原の瑞穂の国、この国を、高天原(たかまがはら)から降(くだ)ってお治めになった天皇の神の命、その神の命の御末が御代を重ねて、日の神の後継ぎとして治めて来られた貴い御代御代を通して、ずっと支配しておられる四方の国々では、山も川も広々と豊かであるとて、奉る貢(みつぎ)の宝は数えきれず、挙げ尽くしようもない。しかしながら、われらの大君が人びとを仏の道にお導きになり、善き業(わざ)をお始めになって、何とか黄金(こがね)が充分にあればとひそかに御心を砕いておられた折も折、鶏が鳴く東の国の陸奥の小田という所の山に黄金があると奏上してきたものだから、御心も晴れ晴れとなさり、「我が業を天地の神々も挙(こぞ)って嘉(よみ)したまい、代々の天皇の御霊もお助け下さって、遠い昔の代にあったと同じことを我が御代にも顕わしてくださったので、我が治める国は栄えるであろう」と、神の御子でましますままにおぼし召されて、もともろの臣下たちを心から仕えさせられるとともに、老人(おいひと)も女(おんな)子どもも、その願いが満ち足りるように、いとしみたまい治めたもうので、われらはそこのところが何とも貴くてならず、嬉(うれ)しさもいよいよつのって、大伴の遠い祖先の神、その名は大久米部の主(あるじ)という誉(ほま)れを背にお仕えしてきた役目柄、「海を行くなら水漬(みづ)く屍(かばね)、山を行くなら草生(む)す屍となり、大君の辺に死のうと本望、我が身を顧みるようなことはすまい」と言葉に唱えて誓ってきた大夫(ますらお)のいさぎよい名、その名を遠く遥かなる時代から今の今まで絶えることなく伝えてきた、祖先の末裔(まつえい)なのだ。大伴と佐伯の氏は、祖先の立てた誓いのままに、「子孫は祖先の名を絶やさず、大君にお仕えするものだ」と言い継いできた誓いを守り続ける靫負(ゆげい)の家柄であるぞ。梓の弓を手に掲げ持って、剣の太刀を腰にしっかと帯び、朝にも夕にも大君の御門を守る守り手は、われらをおいてほかに人はあるはずがないと、いよいよますます言立てしその思いはつのるばかり。大君のみ言葉のありがたさが<よ>、承るとただ貴くて<そのお言葉が貴くてならないので>。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)あしはらのみづほのくに【葦原の瑞穂の国】名詞:日本国の美称。 ※葦原にある、みずみずしい稲穂の実る国の意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)あまのひつぎ【天の日嗣ぎ】名詞:「あまつひつぎ」に同じ。>あまつひつぎ【天つ日嗣ぎ】名詞:「天つ神」、特に天照大神(あまてらすおおみかみ)の系統を受け継ぐこと。皇位の継承。皇位。(学研)

(注)しきます【敷きます】分類連語:お治めになる。統治なさる。➡なりたち動詞「しく」の連用形+尊敬の補助動詞「ます」(学研)

(注)よも【四方】名詞:①東西南北。前後左右。四方(しほう)。②あたり一帯。いたるところ。(学研)

(注)みつき【貢・調】名詞:租・庸・調(ちよう)などの租税の総称。▽「調(つき)(=年貢(ねんぐ))」を敬っていう語。 ※「み」は接頭語。のちに「みつぎ」。(学研)

(注)確けく>確けし( 形ク ):たしかである。十分である。 (コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

(注)下悩ます:心中気にかけている

(注)とりがなく【鶏が鳴く】:[枕]地名「東 (あづま) 」にかかる。東国の言葉が鳥のさえずりのようにわかりにくいからとも、鶏が鳴くと東から夜が明けるからともいう。(goo辞書)

(注)小田にある山:宮城県遠田群湧谷町黄金迫(はざま)の山

(注)奉ろへ:心から従わせ仕えさせること

(注)向け:服従させること

(注)し【其】代名詞:〔常に格助詞「が」を伴って「しが」の形で用いて〕①それ。▽中称の指示代名詞。②おまえ。なんじ。▽対称の人称代名詞。③おのれ。自分。▽反照代名詞(=実体そのものをさす代名詞)。(学研) ここでは③の意

(注)仕へし官:仕えて来た役目柄

(注)ことだて【言立て】名詞:他に対して、はっきりと口に出して言うこと。言明。(学研)

(注)をつつ【現】名詞:今。現在。「をつづ」とも。(学研)

(注)言の官:名のある家柄

 

 日本の国民歌謡の『海行かば』(うみゆかば)の詞は、『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」(『国歌大観』番号4094番。『新編国歌大観』番号4119番。大伴家持作)の長歌から採られている。(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

 

 

反歌三首」もみておこう。

 

◆大夫能 許己呂於毛保由 於保伎美能 美許登乃佐吉乎<一云 能>  聞者多布刀美<一云 貴久之安礼婆>

                (大伴家持 巻十八 四〇九五)

 

≪書き下し≫ますらをの心思ほゆ大君の御言の幸(さき)を <一には「の」といふ> 聞けば貴み <一には「貴くしあれば」といふ>

 

(訳)雄々しい大夫の心が湧き起こってくる。大君のみ言葉のありがたさよ<が>、そのお言葉が、承るとただ貴くて<貴くてならないので>。(同上)

 

◆大伴乃 等保追可牟於夜能 於久都奇波 之流久之米多弖 比等能之流倍久

               (大伴家持 巻十八 四〇九六)

 

≪書き下し≫大伴(おほとも)の遠(とほ)つ神(かむ)祖(おや)の奥城(おくつき)はしるく標(しめ)立て人の知るべく

 

(訳)大伴の遠い先祖の、その神の奥つ城には、はっきりと標(しるし)を立てよ。世の人びとがそれを知るように。(同上)

(注)しるし【著し】形容詞:①はっきりわかる。明白である。②〔「…もしるし」の形で〕まさにそのとおりだ。予想どおりだ。(学研)

 

◆須賣呂伎能 御代佐可延牟等 阿頭麻奈流 美知乃久夜麻尓 金花佐久

               (大伴家持 巻十八 四〇九七)

 

≪書き下し≫天皇(すめろき)の御代(みよ)栄(さか)えむと東(あづま)なる陸奥(みちのく)山(やま)に黄金(くがね)花咲く

 

(訳)天皇(すめろき)の御代が栄えるしるしと、東(あずま)の国の陸奥山(みちのくやま)に、黄金の花が咲いた。(同上)

 

 左注は、「天平感寶元年五月十二日於越中國守舘大伴宿祢家持作之」<天平感宝(かんぽう)元年の五月の十二日に、越中(こしのみちのなか)の国の守(かみ)が館(たち)にして大伴宿禰家持作る>である。

 

 歌碑のある、住吉大伴神社は、平安遷都(794年)に伴って大伴氏が奈良から氏神を移し、承和元年(834年)に創建したのが始まり。大伴氏は、後に伴氏と改称したことから、当初は伴氏神社と称していた。平安時代末期に、和歌の神の住吉神を祀り、住吉神社と改称。「住吉大伴神社」の社名になったのは、昭和に入ってからという。(京都ホテルリサーチHP)

 

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住吉大伴神社鳥居

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住吉大伴神社名碑


 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 三省堂大辞林 第三版」

★「goo辞書」

★「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」

★「京都ホテルリサーチHP」