万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2442)―

■やまはぜ■

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は、「ひさかたの天の門開き高千穂の・・・神の御代よりはじ弓を手握り持たし・・・真鹿子矢を・・・」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(大伴家持) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

 四四六五から四四六七歌の題詞は、「喩族歌一首幷短歌」<族(うがら)を喩(さと)す歌一首幷(あは)せて短歌>である。

 

◆比左加多能 安麻能刀比良伎 多可知保乃 多氣尓阿毛理之 須賣呂伎能 可未能御代欲利 波自由美乎 多尓藝利母多之 麻可胡也乎 多婆左美蘇倍弖 於保久米能 麻須良多祁乎ゝ 佐吉尓多弖 由伎登利於保世 山河乎 伊波祢左久美弖 布美等保利 久尓麻藝之都ゝ 知波夜夫流 神乎許等牟氣 麻都呂倍奴 比等乎母夜波之 波吉伎欲米 都可倍麻都里弖 安吉豆之萬 夜萬登能久尓乃 可之波良能 宇祢備乃宮尓 美也婆之良 布刀之利多弖氐 安米能之多 之良志賣之祁流 須賣呂伎能 安麻能日継等 都藝弖久流 伎美能御代ゝゝ 加久左波奴 安加吉許己呂乎 須賣良弊尓 伎波米都久之弖 都加倍久流 於夜能都可佐等 許等太弖氐 佐豆氣多麻敝流 宇美乃古能 伊也都藝都岐尓 美流比等乃 可多里都藝弖氐 伎久比等能 可我見尓世武乎 安多良之伎 吉用伎曽乃名曽 於煩呂加尓 己許呂於母比弖 牟奈許等母 於夜乃名多都奈 大伴乃 宇治等名尓於敝流 麻須良乎能等母

         (大伴家持 巻二十 四四六五)

 

≪書き下し≫ひさかたの 天(あま)の門(と)開き 高千穂の 岳(たけ)に天降(あも)りし すめろきの 神の御代(みよ)より はじ弓を 手(た)握(にぎ)り持たし 真鹿子矢(まかごや)を 手挟(たばさ)み添へて 大久米(おほくめ)の ますらたけをを 先に立て 靫(ゆき)取り負(お)ほせ 山川を 岩根(いはね)さくみて 踏み通り 国(くに)求(ま)ぎしつつ ちはやぶる 神を言向(ことむ)け まつろはぬ 人をも和(やは)し 掃き清め 仕(つか)へまつりて 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国の 橿原の 畝傍(うねび)の宮に 宮柱(みやばしら) 太知(ふとし)り立てて 天の下 知らしめしける 天皇(すめろき)の 天の日継(ひつぎ)と 継ぎてくる 君の御代(みよ)御代(みよ) 隠さはぬ 明(あか)き心を 皇辺(すめらへ)に 極(きは)め尽して 仕へくる 祖(おや)の官(つかさ)と 言(こと)立(だ)てて 授けたまへる 子孫(うみのこ)の いや継(つ)ぎ継(つ)ぎに 見る人の 語りつぎてて 聞く人の 鏡にせむを あたらしき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて 空言(むなこと)も 祖(おや)の名絶つな 大伴の 氏(うぢ)と名に負(お)へる ますらをの伴(とも)

 

(訳)遥かなる天つ空の戸、高天原(たかまのはら)の天の戸を開いて、葦原(あしはら)の国高千穂(たかちほ)の岳(たけ)に天降(あまくだ)られた皇祖(すめろき)の神の御代から、はじ木の弓を手にしっかりと握ってお持ちになり、真鹿子矢(まかごや)を手挟み添え、大久米のますら健男(たけお)を前に立てて靫を背負わせ、山も川も、岩根を押し分けて踏み通り、居(い)つくべき国を探し求めては、荒ぶる神々をさとし、従わぬ人びとをも柔らげ、この国を掃き清めお仕え申し上げて、蜻蛉島大和の国の橿原の畝傍の山に、宮柱を太々と構えて天の下をお治めになった天皇(すめろき)、その尊い御末(みすえ)として引き継いでは繰り返す大君の御代御代のその御代ごとに、曇りのない誠の心をありったけ日継ぎの君に捧げつくして、ずっとお仕え申してきた先祖代々の大伴の家の役目であるぞと、ことさらお言葉に言い表わして、我が大君がお授け下さった、その祖(おや)の役目を継ぎ来り継ぎ行く子々孫々、その子々孫々のいよいよ相続くように、いや継ぎ継ぎに、目に見る人に語り継ぎに讃め伝えて、耳に聞く人は末々の手本(かがみ)にもしようものを、ああ、貶(おとし)めてはもったいない清らかな継ぎ来り継ぎ行くべき名なのだ。おろそかに軽く考えて、かりそめにも祖先の名を絶やすでないぞ。大伴の氏と、由来高く清き名に支えられている、ますらおたちよ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)はじ弓:やまはぜで作った弓。(伊藤脚注)

(注)真鹿子矢(まかごや):鹿の角などを用いた矢か。(伊藤脚注)

(注)まぐ【覓ぐ・求ぐ】他動詞:探し求める。尋ねる。※上代語。weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ことむく【言向く】他動詞:説得して服従させる。平定する。(学研)

(注)まつろふ【服ふ・順ふ】他動詞:服従させる。従わせる。仕えさせる。 ⇒参考:動詞「まつ(奉)る」の未然形に反復継続の助動詞「ふ」が付いた「まつらふ」の変化した語。貢ぎ物を献上し続けるの意から。(学研)

(注)掃き清め:葦原の国を平定しお仕え申しあげて。(伊藤脚注)

(注)ふとしる【太知る・太領る】他動詞:(宮殿の柱を)しっかりと造る。 ※「ふと」は接頭語、「しる」は領有する意。上代語。(学研)

(注)仕へくる祖の官と言立てて授けたまへる:仕えて来た先祖以来の大伴家の役目だと殊更お言葉に表して天皇がお授け下さった大伴の氏の名は。天平二十一年の大伴氏讃美の詔を踏まえる表現。(伊藤脚注)

(注)あたらし【惜し】もったいない。惜しい。※参考「あたらし」と「をし」の違い 「を(惜)し」が自分のことについていうのに対し、「あたらし」は外から客観的に見た気持ちをいう。(学研)

(注)おほろかなり【凡ろかなり】形容動詞:いいかげんだ。なおざりだ。「おぼろかなり」とも。 ※上代語。(学研)

(注)むなことも:かりそめにも。(伊藤脚注)

(注の注)むなこと【空言・虚言】名詞:うそ。裏付けのない言葉。(学研)

 

 

この「族(うがら)を喩(さと)す歌一首」と短歌(四四六六、四四六七歌)ならびに四四六八から四四七〇歌および歌の背景について、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1128)」で紹介している。

 

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上記伊藤氏注釈にある、「仕えて来た先祖以来の大伴家の役目だと殊更お言葉に表して天皇がお授け下さった大伴の氏の名」については、中西 進 編著「万葉集の詩性」(角川新書)の中で、「万葉集とわたし」(亀山郁夫 稿)に「そもそも大伴家自体、早い段階で傍流に追いやられ、あくまでも天皇家に仕えるもの(『大いなる伴』)として補佐的な役割を果たしつづけたにすぎない。」と書かれている。

注釈の「天平二十一年の大伴氏讃美の詔」とは、聖武天皇陸奥国(みちのくのくに)から黄金を献上され造営中の大仏の前で読み上げさせた歓びと感謝の宣命である。この中で、大伴・佐伯両氏の部門をたたえ、「祖先以『海行かば水浸(みづ)く屍(かばね)、山行かば草むす屍、大君の辺(へ)にこそ死なめ、のどには死なじ』と言挙げ(ことあげ)してきた者どもだと述べ、その変わらぬ奉仕を求めていた。」(別冊國文學万葉集必携」稲岡耕二編 學燈社より)

この大仏建立にあたり発せられた宣命を、越中にいた家持が読んで感動して、宣命を寿ぐ歌を作ったのが「陸奥の国に金(くがね)を出(い)だす詔書を賀(ほ)く歌(四〇九四歌)」である。

 

四〇九四歌については、京都市右京区龍安寺住吉町 住吉大伴神社前の歌碑と共に拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その552)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集の詩性」 中西 進 編著 (角川新書)

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二編 (學燈社

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」