●歌は、「ひさかたの 天の門開き 高千穂の 岳に天降りし すめろきの 神の御代より はじ弓を 手握り持たし 真鹿子矢を 手挟み添へて・・・(大伴家持 20-4465)」である。
「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)の「奈良麻呂の変を」読み進もう。
「彷徨の五年」といわれる聖武天皇の迷走、孝謙女帝の変則といった「間隙(かんげき)を縫って着実に地歩をのばしてきたのが、・・・藤原仲麻呂であった。仲麻呂は孝謙の即位と同時に・・・大納言に任じられる。・・・彼は同時に紫微令(しびれい)として後宮を手中に収め、中衛大将を兼ねて親衛隊の武力も握っていた。・・・勝宝の八年間・・・に確実に準備されたと思われる破局は、聖武の死とともに到来した。聖武の死後八日、大伴古慈斐(こしび)と淡海三船(おうみのみふね)とが朝廷を誹謗(ひぼう)したかどで逮捕された。家持はこれに関して一族の者に軽挙をいさめる長歌を作っているが(巻二〇、四四六五)、実はこれは仲麻呂のしくんだわなであった。諸兄は聖武の死に先立って二月に・・・到仕(ちじ)しているが、これも朝廷誹謗の讒言(ざんげん)によってである。」(同著)
古代史で楽しむ万葉集 (角川ソフィア文庫) [ 中西 進 ] 価格:836円 |
家持の六月十七日作の「族(やから)を喩(さと)す歌」他六首をみてみよう。
■■■巻二〇 四四六五~四四七〇歌■■■
■■巻二〇 四四六五~四四六七歌■■
四四六五から四四六七歌の題詞は、「喩族歌一首幷短歌」<族(うがら)を喩(さと)す歌一首幷(あは)せて短歌>である。
■巻二〇 四四六五歌■
◆比左加多能 安麻能刀比良伎 多可知保乃 多氣尓阿毛理之 須賣呂伎能 可未能御代欲利 波自由美乎 多尓藝利母多之 麻可胡也乎 多婆左美蘇倍弖 於保久米能 麻須良多祁乎ゝ 佐吉尓多弖 由伎登利於保世 山河乎 伊波祢左久美弖 布美等保利 久尓麻藝之都ゝ 知波夜夫流 神乎許等牟氣 麻都呂倍奴 比等乎母夜波之 波吉伎欲米 都可倍麻都里弖 安吉豆之萬 夜萬登能久尓乃 可之波良能 宇祢備乃宮尓 美也婆之良 布刀之利多弖氐 安米能之多 之良志賣之祁流 須賣呂伎能 安麻能日継等 都藝弖久流 伎美能御代ゝゝ 加久左波奴 安加吉許己呂乎 須賣良弊尓 伎波米都久之弖 都加倍久流 於夜能都可佐等 許等太弖氐 佐豆氣多麻敝流 宇美乃古能 伊也都藝都岐尓 美流比等乃 可多里都藝弖氐 伎久比等能 可我見尓世武乎 安多良之伎 吉用伎曽乃名曽 於煩呂加尓 己許呂於母比弖 牟奈許等母 於夜乃名多都奈 大伴乃 宇治等名尓於敝流 麻須良乎能等母
(大伴家持 巻二十 四四六五)
≪書き下し≫ひさかたの 天(あま)の門(と)開き 高千穂の 岳(たけ)に天降(あも)りし すめろきの 神の御代(みよ)より はじ弓を 手(た)握(にぎ)り持たし 真鹿子矢(まかごや)を 手挟(たばさ)み添へて 大久米(おほくめ)の ますらたけをを 先に立て 靫(ゆき)取り負(お)ほせ 山川を 岩根(いはね)さくみて 踏み通り 国(くに)求(ま)ぎしつつ ちはやぶる 神を言向(ことむ)け まつろはぬ 人をも和(やは)し 掃き清め 仕(つか)へまつりて 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国の 橿原の 畝傍(うねび)の宮に 宮柱(みやばしら) 太知(ふとし)り立てて 天の下 知らしめしける 天皇(すめろき)の 天の日継(ひつぎ)と 継ぎてくる 君の御代(みよ)御代(みよ) 隠さはぬ 明(あか)き心を 皇辺(すめらへ)に 極(きは)め尽して 仕へくる 祖(おや)の官(つかさ)と 言(こと)立(だ)てて 授けたまへる 子孫(うみのこ)の いや継(つ)ぎ継(つ)ぎに 見る人の 語りつぎてて 聞く人の 鏡にせむを あたらしき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて 空言(むなこと)も 祖(おや)の名絶つな 大伴の 氏(うぢ)と名に負(お)へる ますらをの伴(とも)
(訳)遥かなる天つ空の戸、高天原(たかまのはら)の天の戸を開いて、葦原(あしはら)の国高千穂(たかちほ)の岳(たけ)に天降(あまくだ)られた皇祖(すめろき)の神の御代から、はじ木の弓を手にしっかりと握ってお持ちになり、真鹿子矢(まかごや)を手挟み添え、大久米のますら健男(たけお)を前に立てて靫を背負わせ、山も川も、岩根を押し分けて踏み通り、居(い)つくべき国を探し求めては、荒ぶる神々をさとし、従わぬ人びとをも柔らげ、この国を掃き清めお仕え申し上げて、蜻蛉島大和の国の橿原の畝傍の山に、宮柱を太々と構えて天の下をお治めになった天皇(すめろき)、その尊い御末(みすえ)として引き継いでは繰り返す大君の御代御代のその御代ごとに、曇りのない誠の心をありったけ日継ぎの君に捧げつくして、ずっとお仕え申してきた先祖代々の大伴の家の役目であるぞと、ことさらお言葉に言い表わして、我が大君がお授け下さった、その祖(おや)の役目を継ぎ来り継ぎ行く子々孫々、その子々孫々のいよいよ相続くように、いや継ぎ継ぎに、目に見る人に語り継ぎに讃め伝えて、耳に聞く人は末々の手本(かがみ)にもしようものを、ああ、貶(おとし)めてはもったいない清らかな継ぎ来り継ぎ行くべき名なのだ。おろそかに軽く考えて、かりそめにも祖先の名を絶やすでないぞ。大伴の氏と、由来高く清き名に支えられている、ますらおたちよ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)はじゆみ【櫨弓/黄櫨弓】:ハゼノキで作った弓。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)真鹿子矢(まかごや):鹿の角などを用いた矢か。(伊藤脚注)
(注)ますらたけを【益荒猛男】名詞:勇ましくてりっぱな男。勇猛な武士。 ※「益荒男(ますらを)」を強めた語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)国求ぎしつつ:居つくべき国を求めては。(伊藤脚注)
(注の注)まぐ【覓ぐ・求ぐ】他動詞:探し求める。尋ねる。 ※上代語。(学研)
(注)ことむく【言向く】他動詞:説得して服従させる。平定する。(学研)
(注)まつろふ【服ふ・順ふ】他動詞:服従させる。従わせる。仕えさせる。 ⇒参考:動詞「まつ(奉)る」の未然形に反復継続の助動詞「ふ」が付いた「まつらふ」の変化した語。貢ぎ物を献上し続けるの意から。(学研)
(注)掃き清め:葦原の国を平定しお仕え申し上げて。(伊藤脚注)
(注)仕へくる祖の官と言立てて授けたまへる:仕えてきた先祖以来の大伴家の役目だと殊更お言葉に表して天皇がお授け下さった大伴の氏の名は。天平二十一年の大伴氏讃美の詔を踏まえる表現。(伊藤脚注)
(注)あきづしま【秋津島・蜻蛉島】分類枕詞:「やまと(大和・日本)」にかかる。「あきづしま大和」(学研)
(注)あたらし【惜し】もったいない。惜しい。 ⇒参考:「あたらし」と「をし」の違い 「を(惜)し」が自分のことについていうのに対し、「あたらし」は外から客観的に見た気持ちをいう。(学研)
(注)おほろかなり【凡ろかなり】形容動詞:いいかげんだ。なおざりだ。「おぼろかなり」とも。 ※上代語。(学研)
(注)むなことも:かりそめにも。(伊藤脚注)
(注の注)むなこと【空言・虚言】名詞:うそ。裏付けのない言葉。(学研)
■巻二十 四四六六歌■
◆之奇志麻乃 夜末等能久尓ゝ 安氣良氣伎 名尓於布等毛能乎 己許呂都刀米与
(大伴家持 巻二十 四四六六)
≪書き下し≫磯城島(しきしま)の大和(やまと)の国に明(あき)らけき名に負(お)ふ伴(とも)の男(を)心つとめよ
(訳)磯城島の大和の国に、隠れもなき由来高き名に支えられている大伴の者どもよ、心奮い立たせて努めよ。(同上)
(注)しきしまの【磯城島の・敷島の】分類枕詞:「磯城島」の宮がある国の意で国名「大和」に、また、転じて、日本国を表す「やまと」にかかる。(学研)
(注)明らけき名に負ふ伴の男:宮廷守護の代表として仕えてきた、輝かしい名を持つ大伴の者どもよ。(伊藤脚注)
(注の注)あきらけし【明らけし】形容詞:①清らかだ。けがれがない。②はっきりしている。③賢明だ。聡明(そうめい)だ。(学研))
■巻二十 四四六七歌■
◆都流藝多知 伊与餘刀具倍之 伊尓之敝由 佐夜氣久於比弖 伎尓之師曽乃名曽 (大伴家持 巻二十 四四六七)
≪書き下し≫剣大刀(つるぎたち)いよよ磨(と)ぐべしいにしへゆさやけく負ひて来(き)にしその名ぞ
(訳)剣太刀を研ぐというではないが心をいよいよ磨ぎ澄まして張りつめるべきだ。遠く遥かな御代から紛れもなく負い持って来た大伴という由来高き名なのだ。(同上)
(注)長歌の結びの部分を承けて強調した前歌に対し、以下、長歌の趣旨をまとめて全体を納めている。(伊藤脚注)
(注)いよよ【愈】副詞:なおその上に。いよいよ。いっそう。(学研)
(注)ゆ 格助詞:《接続》体言、活用語の連体形に付く。①〔起点〕…から。…以来。②〔経由点〕…を通って。…を。③〔動作の手段〕…で。…によって。④〔比較の基準〕…より。 ⇒ 参考 上代の歌語。類義語に「ゆり」「よ」「より」があったが、中古に入ると「より」に統一された。(学研)
(注)さやけく負ひて来にしその名ぞ:ありありと負い持ってきた大伴というその名なのだ。(伊藤脚注)
(注の注)さやけし【清けし・明けし】形容詞:①明るい。明るくてすがすがしい。清い。②すがすがしい。きよく澄んでいる。 ⇒ 参考 「さやけし」と「きよし」の違い 「さやけし」は、「光・音などが澄んでいて、また明るくて、すがすがしいようす」を表し、「きよし」も同様の意味を表すが、「さやけし」は対象から受ける感じ、「きよし」は対象そのもののようすをいうことが多い。(学研)
四四六五から四四六七歌の歌群の左注は、「右縁淡海真人三船讒言出雲守大伴古慈斐宿祢解任 是以家持作此歌也」<右は、淡海真人三船(あふみのまひとみふね)が讒言(ざんげん)によりて、出雲守(いずものかみ)大伴古慈斐宿禰(おほとものこしびのすくね)、任(にん)を解(と)かゆ。ここをもちて、家持この歌を作る>である。
四四六五歌の歌碑は、茨城県土浦市朝日峠展望公園万葉の森にある。これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2516)」で紹介している。
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■■巻二十 四四六八、四四六九歌■■
題詞は、「臥病悲無常欲修道作歌二首」<病に臥して無常(むじやうを悲しび、道を修めむと欲(おも)ひて作る歌二首>である。
(注)道:仏の道。(伊藤脚注)
■巻二十 四四六八歌■
◆宇都世美波 加受奈吉身奈利 夜麻加波乃 佐夜氣吉見都 美知乎多豆祢米
(大伴家持 巻二十 四四六八)
≪書き下し≫うつせみは数なき身なり山川(やまかは)のさやけき見つつ道を尋(たづ)ねな
(訳)生きてこの世に在る人間というものはいくばくもないはかない命を持つ身なのだ。山川の澄みきった地に入り込んで悟りの道を辿(たど)って行きたいものだ。(同上)
(注)かずなし【数無し】形容詞:①物の数にも入らない。はかない。②数えきれないほど多い。無数である。(学研) ここでは①の意
(注)さやけし【清けし・明けし】形容詞:①明るい。明るくてすがすがしい。清い。②すがすがしい。きよく澄んでいる。 ⇒ 参考「さやけし」と「きよし」の違い 「さやけし」は、「光・音などが澄んでいて、また明るくて、すがすがしいようす」を表し、「きよし」も同様の意味を表すが、「さやけし」は対象から受ける感じ、「きよし」は対象そのもののようすをいうことが多い。(学研)
■巻二十 四四六九
◆和多流日能 加氣尓伎保比弖 多豆祢弖奈 伎欲吉曽能美知 末多母安奈美無多米)
(大伴家持 巻二十 四四六九)
≪書き下し≫渡る日の影に競(きほ)ひて尋(たづ)ねてな清(きよ)きその道またもあはむため
(訳)空を渡る日の光に負けずに日々勉めて、尋ね求めたいものだ、清らかな悟りの道を。再びあの佳き世に出逢(であ)うために。(同上)
(注)かげ【影・景】名詞:①(日・月・灯火などの)光。②(人や物の)姿・形。③(心に思い浮かべる)顔・姿。面影。④(人や物の)影。⑤(実体のない)影。(学研) ここでは①の意
(注)きほふ【競ふ】自動詞:①争う。張り合う。②先を争って散る。散り乱れる。(学研)
■巻二十 四四七〇歌■
題詞は「願壽作歌一首」<寿(いのち)を願ひて作る歌一首>である。
◆美都煩奈須 可礼流身曽等波 之礼ゝ杼母 奈保之祢我比都 知等世能伊乃知乎
(大伴家持 巻二十 四四七〇)
≪書き下し≫水泡(みつぼ)なす仮(か)れる身ぞとは知れれどもなほし願ひつ千年(ちとせ)の命(いのち)を
(訳)水粒(みずつぶ)のようなはかない身だとは、充分に承知しているけれども、それでもやはり願わずにはいられない。千年の命を。(同上)
(注)上三句に前二首を承け、その下から湧き起る抑えがたい願望を下二句に述べる。この願望の中には、一族を喩す歌の意識から逃れ得ぬ家持の葛藤がある。(伊藤脚注)
(注)みつぼ>みなわ【水泡】名詞:水の泡。はかないものをたとえていう。 ※「水(み)な泡(あわ)」の変化した語。「な」は「の」の意の上代の格助詞。(学研)
四四六五~四四七〇歌の左注は、「以前歌六首六月十七日に大伴宿祢家持作」<以前(さき)の歌六首は、六月の十七日に大伴宿禰家持作る>である。
四四六八歌の歌碑は、奈良市大安寺町 大安寺境内にある。拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その24改)」で紹介している。
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四四六五から四四七〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1128)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」