万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1080)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(40)―万葉集 巻十一 二七六二

●歌は、「葦垣の中のにこ草にこやかに我れと笑まして人に知らゆな」である。

 

f:id:tom101010:20210625153034j:plain

奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(40)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(40)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆蘆垣之 中之似兒草 尓故余漢 我共咲為而 人尓所知名

                (作者未詳 巻十一 二七六二)

 

≪書き下し≫葦垣(あしかき)の中のにこ草(ぐさ)にこやかに我(わ)れと笑(ゑ)まして人に知らゆな

 

(訳)葦垣の中に隠れているにこ草、その名のように、にこやかに私にだけほほ笑みかけて、まわりの人にそれと知られないようにして下さいね。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「にこやかに」を起こす。

 

 「にこぐさ」については、春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「『箱根草(ハコネグサ)』説や『甘野老(アマドコロ)』説などがあるが、柔らかい草の意味で確かなことは不明である。『箱根草((ハコネグサ)』は『箱根羊歯(ハコネシダ)』とも呼ばれ、常緑多年草のシダ植物である。(中略)近年、園芸店では『アジアンタム』の名でハコネソウの栽培種が出回っている。」と書かれている

 

f:id:tom101010:20210625152638p:plain

アジアンタム(みんなの趣味の園芸NHK出版)HPから引用させていただきました)


 

 「にこぐさ」は万葉集では四首収録されている。他の三首もみてみよう。

 

 

◆安思我里乃 波故祢能祢呂乃 尓古具佐能 波奈都豆麻奈礼也 比母登可受祢牟

                  (作者未詳 巻十四 三三七〇)

 

≪書き下し≫足柄(あしがり)の箱根(はこね)の嶺(ね)ろのにこ草(ぐさ)の花(はな)つ妻なれや紐(ひも)解(と)かず寝む

 

(訳)足柄の箱根の峰のにこ草のような、そんな花だけの妻ででもあるから、私はお前さんの紐も解かずに寝もしよう。そうでもないのにどうして・・・。(同上)

(注)上三句は序。「花つ妻」を起こす。

(注の注)はなづま【花妻】名詞:①花のように美しい妻。一説に、結婚前の男女が一定期間会えないことから、触れられない妻。②花のこと。親しみをこめて擬人化している。

③萩(はぎ)の花。鹿(しか)が萩にすり寄ることから、鹿の妻に見立てていう語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

 

 この歌は、東歌(相模の国の歌)である。共寝をできない嘆きを詠っている。

 

 

◆所射鹿乎 認河邊之 和草 身若可倍尓 佐宿之兒等波母

                 (作者未詳 巻十六 三八七四)

 

≪書き下し≫射(い)ゆ鹿(しし)を認(つな)ぐ川辺(かはへ)のにこ草の身の若かへにさ寝(ね)し子(こ)らはも

 

(訳)矢を射立てられた手負い鹿(じし)、その鹿(しし)の跡を求めて行った川辺の柔草(にこぐさ)、あの草のように我が身のまだ若かった日の、共寝したあの子は、ああ。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注補)いゆししの【射ゆ猪鹿の】分類枕詞:射られ、傷を負った獣の意から「心を痛み」「行きも死なむ」にかかる。(学研)

(注)つなぐ【繫ぐ・踵ぐ】他動詞:①結びとめて離れないようにする。つなぐ。

②絶えないように保つ。つなぐ。③(獲物や敵などの跡を)つけて行く。追い求める。(学研) ※ここでは③の意

(注)上三句は序。「身の若かへに」を起こす。

(注)身の若かへに:若かった頃

(注)はも[連語]:《係助詞「は」+係助詞「も」》感動・詠嘆を表す。…はまあ。…だなあ。 ⇒ [補説]主に奈良・平安時代の和歌にみられる。文末にあっては、「は」「も」を終助詞とする説もある。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

 

 

 最後は、大伴家持の「七夕の歌八首」のうちの一首である。

 

◆秋風尓 奈妣久可波備能 尓故具左能 尓古餘可尓之母 於毛保由流香母

                  (大伴家持 巻二十 四三〇九)

 

≪書き下し≫秋風に靡(なび)く川辺(かわへ)のにこ草(ぐさ)のにこよかにしも思ほゆるかも

 

(訳)秋風に靡く川辺のにこ草ではないが、もう秋風が吹き始めたかと思うと、にこにこ嬉しさがこみあげてくる。「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。「にこやかしも」を起こす。

(注)にこ草:共寝の床を匂わす。

 

「にこ草」は同音から序として「にこやかに」を起したり、自然の共寝の床を思い起こさせたりする柔和な植物であった思われる。

 

 七夕の歌と言えば、家持の、題詞「十年七月七日之夜獨仰天漢聊述懐一首」<十年の七月の七日の夜に、独り天漢(ああのがは)を仰ぎて、いささかに懐(おもひ)を述ぶる一首>についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その386)」で紹介している。

(注)天平十年(738年)

 

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

三三七〇歌に詠われていた「花妻」は大伴家持の四一一三歌にも使われている。こちらもみてみよう。

 

◆於保支見能 等保能美可等ゝ 末支太末不 官乃末尓末 美由支布流 古之尓久多利来安良多末能 等之能五年 之吉多倍乃 手枕末可受 比毛等可須 末呂宿乎須礼波 移夫勢美等 情奈具左尓 奈泥之故乎 屋戸尓末枳於保之 夏能ゝ 佐由利比伎宇恵天 開花乎 移弖見流其等尓 那泥之古我 曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流へ久母安礼也

               (大伴家持 巻十八 四一一三)

 

≪書き下し≫大王(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と 任(ま)きたまふ 官(つかさ)のまにま み雪降る 越(こし)に下(くだ)り来(き) あらたまの 年の五年(いつとせ) 敷栲の 手枕(たまくら)まかず 紐(ひも)解(と)かず 丸寝(まろね)をすれば いぶせみと 心なぐさに なでしこを やどに蒔(ま)き生(お)ほし 夏の野の さ百合(ゆり)引き植(う)ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻(はなづま)に さ百合花(ゆりばな) ゆりも逢(あ)はむと 慰むる 心しなくは 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に一日(ひとひ)も あるべくもあれや

 

(訳)我が大君の治めたまう遠く遥かなるお役所だからと、私に任命された役目のままに、雪の深々と降る越の国まで下って来て、五年もの長い年月、敷栲の手枕もまかず、着物の紐も解かずにごろ寝をしていると、気が滅入(めい)ってならないので気晴らしにもと、なでしこを庭先に蒔(ま)き育て、夏の野の百合を移し植えて、咲いた花々を庭に出て見るたびに、なでしこのその花妻に、百合の花のゆり―のちにでもきっと逢おうと思うのだが、そのように思って心の安まることでもなければ、都離れたこんな鄙の国で、一日たりとも暮らしていられようか。とても暮らしていられるものではない。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)手枕:妻の手枕

(注)まろね【丸寝】名詞:衣服を着たまま寝ること。独り寝や旅寝の場合にいうこともある。「丸臥(まろぶ)し」「まるね」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)いぶせむ( 動マ四 )〔形容詞「いぶせし」の動詞化〕心がはればれとせず、気がふさぐ。ゆううつになる。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)花妻:花のように美しい妻の意だが、花だけで実のならぬ妻(逢えない妻)の意もこもるか。

 

 大君の命とはいえ、なぜにこのようなあまざかる鄙の越中に飛ばされ、五年も辛抱せねばならないのか、というやるせない気持ちが、そして、今でいう単身赴任であるから、「敷栲の手枕もまかず」と妻への悲痛な思いを、「一日もあるべくもあれや」と、ぶちまけているのである。

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その810)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 「花妻」は美しいイメージの言葉であるが、言葉と裏腹に「共寝できない」うっぷん的な気持ちが込められているのである。

 自然と共に生き、「にこ草」や「花妻」と表現しつつ、「共寝」をにおわす万葉びとのおおらかさが感じられる。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「みんなの趣味の園芸NHK出版)HP」