万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その715,716,717)―和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園―万葉集 巻七 一二五七、巻十二 三〇六二、巻二十 四四九三

―その715―

●歌は、「道の辺の草深百合の花笑みに笑みしがからに妻と言ふべしや」である。

 

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紀伊風土記の丘万葉植物園万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(19)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆道邊之 草深由利乃 花咲尓 咲之柄二 妻常可云也

                (作者未詳 巻七 一二五七)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)の草深百合(くさふかゆり)の花(はな)笑(ゑ)みに笑みしがからに妻と言ふべしや

 

(訳)道端の草むらに咲く百合、その蕾(つぼみ)がほころびるように、私がちらっとほほ笑んだからといって、それだけでもうあなたの妻と決まったようにおっしゃってよいものでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)くさぶかゆり【草深百合】:草深い所に生えている百合。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)ゑむ【笑む】自動詞:①ほほえむ。にっこりとする。微笑する。②(花が)咲く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上三句「道邊之 草深由利乃 花咲尓」は「笑みし」の譬喩

(注)からに 接続助詞《接続》活用語の連体形に付く。:①〔原因・理由〕…ために。ばかりに。②〔即時〕…と同時に。…とすぐに。③〔逆接の仮定条件〕…だからといって。たとえ…だとしても。…たところで。▽多く「…むからに」の形で。参考➡格助詞「から」に格助詞「に」が付いて一語化したもの。上代には「のからに」「がからに」の形が見られるが、これらは名詞「故(から)」+格助詞「に」と考える。

 

「ゆり」が詠まれた歌は、万葉集では、十一首にのぼる。この内大伴坂上郎女の歌(巻八 一五〇〇)は、「姫百合」であり、濃赤色の花を咲かせる。他十首は、「草深百合」が二首、「さ百合」が八首である。「草深」は百合がさいている場所を示し、「さ」は接頭語である。万葉の時代を考えると、「ささゆり」ないしは「やまゆり」と考えられる。「ささゆり」は、近畿以西に分布しており、繊細で楚々とした感じがする。この十首のうち、巻二十 四三六九歌は「筑波嶺のさ百合の花の夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹そ昼も愛(かな)しけ(訳:筑波の嶺に咲き匂うさ百合の花というではないが、その夜の床でもかわいくてならぬ子は、昼間でもかわいくってたまらない)」であるが、分布上からも、官能的な歌の響きからしても「やまゆり」と考えられる。確かに「やまゆり」は、ささゆりと違い、大きく、黄色の縦筋があり、赤みがかった斑点があり、肉感的で咲くにつれ甘い香りを周りに漂わしているのである。

 

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ヤマユリの花

 

 

―その716―

●歌は、「忘れ草垣もしみみに植ゑたれど醜の醜草なほ恋ひにけり」である。

 

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紀伊風土記の丘万葉植物園万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(20)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆萱草 垣毛繁森 雖殖有 鬼乃志許草 猶戀尓家利

               (作者未詳 巻十二 三〇六二)

 

≪書き下し≫忘れ草垣もしみみに植ゑたれど醜(しこ)の醜草(しこくさ)なほ恋ひにけり

 

(訳)忘れ草、憂いを払うというその草を垣根も溢れるほどに植えたけれど、なんというろくでなし草だ、やっぱり恋い焦がれてしまうではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)しみみに【繁みみに・茂みみに】副詞:すきまなくびっしりと。「しみに」とも。※「しみしみに」の変化した語。

 

忘れようとしている恋情が忘れられないからといって、七二七歌や三〇六二歌のように「醜(しこ)の醜草(しこくさ)」とまで八つ当たりされた忘れ草、きっとこのことを忘れてしまいたいだろう。このようなユーモアたっぷりの歌が収録されているところに、娯楽性を感じて思わず微笑んでしまう。

 

「忘れ草」を詠った歌は、万葉集では五首収録されている。五首すべては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その334)」で紹介している。

 ➡ こちら334

 

 

―その717―

●歌は、「初春の初子の今日の玉箒手に取るからに揺らく玉の緒」である。

 

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紀伊風土記の丘万葉植物園万葉歌碑(大伴家持

●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(21)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆始春乃 波都祢乃家布能 多麻婆波伎 手尓等流可良尓 由良久多麻能乎

                (大伴家持 巻二十 四四九三)

 

≪書き下し≫初春(はつはる)の初子(はつね)の今けふ)の玉箒(たまばはき)手に取るからに揺(ゆ)らく玉の緒

 

(訳)春先駆けての、この初春の初子の今日の玉箒、ああ手に取るやいなやゆらゆらと音をたてる、この玉の緒よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆらく【揺らく】自動詞:(玉や鈴が)揺れて触れ合って、音を立てる。 ※後に「ゆらぐ」とも。(学研) ※※「揺らく」は、動きと音の両方をいう。

 

天平宝字二年(758年)正月三日に饗宴が開かれ集まった諸王候らは、詩や歌を詠ったが、右中弁であった家持は、四四九三歌をあらかじめ作っておいたが、奏上していない。この間の件は、題詞や左注に記されている。これについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その649)」で紹介している。 ➡ こちら649

 

 この1年前、天平勝宝九歳(757年)正月に大伴氏が頼りにしていた橘諸兄が世を去っている。藤原仲麻呂の台頭により、大伴氏ら旧守派は仲麻呂の攻勢を受け、家持は、「族(やから)に喩(さと)す歌<巻二十 四四六五~四四六七歌>」を作り、一族に自重を促すが、時の流れに抗しきれないのである。しかし家持は、この渦中にあって、圏外にあり、ひとり身を守ったのである。孤独の道を進むも、万葉集の編纂が家持を守ったのかもしれない。

 四四九三歌の年の六月、家持は因幡守として転出するのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「別冊國文學 万葉集必携 稲岡耕二 編 (學燈社

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」