―その718―
●歌は、「玉に貫く楝を家に植ゑたらば山ほととぎす離れず来むかも」である。
●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(22)にある。
「センダンの木」がテーマで、この歌が添えられ、植物の説明がされているタイプのプレートである。
●歌をみていこう。
◆珠尓奴久 安布知乎宅尓 宇恵多良婆 夜麻霍公鳥 可礼受許武可聞
(大伴書持 巻二十 三九一〇)
≪書き下し≫玉に貫(ぬ)く楝(あふち)を家に植ゑたらば山ほととぎす離(か)れず来(こ)むかも
(訳)薬玉(くすだま)として糸に貫く楝、その楝を我が家の庭に植えたならば、山に棲む時鳥がしげしげとやって来て鳴いてくれることだろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)くすだま【薬玉】名詞:種々の香料を錦(にしき)の袋に入れて、菖蒲(しようぶ)・蓬(よもぎ)の造花で飾って五色の糸を長く垂らしたもの。邪気をよけ、不浄を避けるものとして、五月五日の端午の節句に、柱・簾(すだれ)などに掛けたり身に着けたりした。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
題詞は、「詠霍公鳥歌二首」<霍公鳥(ほととぎす)を詠(よ)む歌二首>である。
左注は、「右四月二日大伴宿祢書持従奈良宅贈兄家持」<右は、四月の二日に、大伴宿禰書持(おほともすくねふみもち)、奈良(なら)の宅(いへ)より兄家持に贈る>である。
(注)奈良の家:奈良の佐保にあった大伴氏の邸。
もう一首のほうもみてみよう。
◆多知婆奈波 常花尓毛歟 保登等藝須 周無等来鳴者 伎可奴日奈家牟
(大伴書持 巻二十 三九〇九)
≪書き下し≫橘は常花(とこはな)にもがほととぎす棲(す)むと来鳴かば聞かぬ日なけむ
(訳)橘は、年中咲き盛りの花であったらなあ。そうすれば取り合わせの時鳥(ほととぎす)が橘に棲みつこうとしてやって来るはず、そうなったら、時鳥の声を聞かない日はないだろう。(同上)
当時、家持は、内舎人として恭仁京で勤務していたのである。弟書持の歌に対して三首の歌を贈っている。こちらもみてみよう。
題詞は、「橙橘初咲霍公鳥飜嚶 對此時候詎不暢志 因作三首短歌以散欝結之緒耳」<橙橘(たうきつ)初めて咲き、霍公鳥(ほととぎす)飜(かけ)り嚶(な)く。この時候に対(むか)ひ、あに志を暢(の)べざらめや。よりて三首の短歌を作り、もちて欝結(うつけつ)の緒(こころ)を散らまくのみ>である。
◆安之比奇能 山邊尓乎礼婆 保登等藝須 木際多知久吉 奈可奴日波奈之
(大伴家持 巻二十 三九一一)
≪書き下し≫あしひきの山辺(やまへ)に居(を)ればほととぎす木(こ)の間(ま)立ち潜(く)き鳴かぬ日はなし
(訳)山の麓(ふもと)で暮らしているので、こちらは、時鳥、仰せのその時鳥が木々のあいだをくぐって、鳴かない日は一日とてありません。(同上)
(注)たちくく【立ち潜く】自動詞:(間を)くぐって行く。 ※「たち」は接頭語。(学研)
◆保登等藝須 奈尓乃情曽 多知花乃 多麻奴久月之 来鳴登餘牟流
(大伴家持 巻二十 三九一二)
≪書き下し≫ほととぎす何(なに)の心ぞ橘の玉貫(ぬ)く月し来鳴き響(とよ)むる
(訳)そうはいっても、この時鳥はいったいどういうつもりなのか。橘の花を薬玉に通す月頃にばかりやって来て、声響かせて鳴きわたるとは。(同上)
◆保登等藝須 安不知能枝尓 由吉底居者 花波知良牟奈 珠登見流麻泥
(大伴家持 巻二十 三九一三)
≪書き下し≫ほととぎす楝(あふち)の枝に行きて居(ゐ)ば花は散らむな珠と見るまで
(訳)時鳥、この時鳥が、仰せの楝の枝に飛んで行って留ったなら、花は、さぞかしほろほろと散りこぼれることだろう。こぼれ落ちる玉のように。(同上)
左注は、「右四月三日内舎人大伴宿祢家持従久迩京報送弟書持」<右は、四月の三日に、内舎人(うどねり)大伴宿禰家持、久邇の京より弟(おとひと)書持に報(こた)へ送る>である。
―その719―
●歌は、「山越えて遠津の浜の岩つつじ我が来るまでふふみてあり待て」である。
●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(23)にある。
●歌をみていこう。
◆山超而 遠津之濱之 石管自 迄吾来 含流有待
(作者未詳 巻七 一一八八)
≪書き下し≫山越えて遠津(とほつ)の浜の岩つつじ我(わ)が来(く)るまでふふみてあり待て
(訳)山を越えて遠くへ行くというではないが、その遠津の浜に咲く岩つつじよ、われらが再びここに帰って来るまで蕾(つぼみ)のままでいておくれ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)やまこえて【山越えて】( 枕詞 ):山を越えて遠くの意で、地名「遠津」にかかる。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
(注)遠津の浜:所在地不明
(注)岩つつじ:岩間に咲くつつじ。土地の娘の譬えであろう。
(注)ふふむ【含む】自動詞:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。(学研)
この歌、ならびに、サツキとツツジなどについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その514)」で紹介している。 ➡ こちら514
―その720―
●歌は、「我妹子に棟の花は散り過ぎず今咲けるごとありこせぬかも」である。
●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(24)にある。
●歌をみていこう。
◆吾妹子尓 相市乃花波 落不過 今咲有如 有与奴香聞
(作者未詳 巻十 一九七三)
≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に棟(あふち)の花は散り過ぎず今咲けるごとありこせぬかも
(訳)いとしい子に逢うという名の楝(おうち)の花は、散り失せずに、今咲いているままにあり続けてくれないものか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)わぎもこに【吾 妹子に】( 枕詞 ):吾妹子に会うの意から「楝(あふち)」、地名「逢坂山」「近江」「淡路」などにかかる。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
(注)ありこす【有りこす】分類連語:(こちらに対して)あってくれる。 ※なりたちラ変動詞「あり」の連用形+上代の希望の助動詞「こす」(学研)
万葉集では、「楝(あふち)」を詠んだ歌は、四首収録されている。
上述の三首以外の七九八歌もみてみよう。
◆伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯 和何那久那美多 伊摩陀飛那久尓
(山上憶良 巻五 七九八)
≪書き下し≫妹(いも)が見し楝(あふち)の花は散りぬべし我(わ)が泣く涙(なみた)いまだ干(ひ)なくに
(訳)妻が好んで見た楝の花は、いくら奈良でももう散ってしまうにちがいない。妻を悲しんで泣く私の涙はまだ乾きもしないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
この七九八歌は、山上憶良の「日本挽歌」の反歌のひとつである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」