万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1819)―愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(31)―万葉集 巻十 一九五三

●歌は、「五月山卯の花月夜ほととぎす聞けども飽かずまた鳴かぬかも」である。

愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(31)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(31)にある。

 

●歌をみてみよう。

 

五月山 宇能花月夜 霍公鳥 雖聞不飽 又鳴鴨

       (作者未詳 巻十 一九五三)

 

≪書き下し≫五月山(さつきやま)卯(う)の花月夜(づくよ)ほととぎす聞けども飽かずまた鳴くぬかも

 

(訳)五月の山に卯の花が咲いている月の美しい夜、こんな夜の時鳥は、いくら聞いても聞き飽きることがない。もう一度鳴いてくれないものか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)うのはなづくよ【卯の花月夜】:卯の花の白く咲いている月夜。うのはなづきよ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その528)」で紹介している。

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 五月といえば、卯の花、ほととぎす、花橘、あやめぐさ、玉に貫く等が定番である。これらの言葉を並べるだけでもうきうきしてくる。五月を詠った歌をみてみよう。

 

■四二三歌■

題詞は、「同石田王卒之時山前王哀傷作歌一首」<同じく石田王(いはたのおほきみ)が卒(みまか)りし時に、山前王(やまさきのおほきみ)が哀傷(かな)しびて作る歌一首>である。

 

◆角障経 石村之道乎 朝不離 将歸人乃 念乍 通計萬口波 霍公鳥 鳴五月者 菖蒲花橘乎 玉尓貫<一云貫交> 蘰尓将為登 九月能 四具礼能時者 黄葉乎 析挿頭跡 延葛乃 弥遠永<一云田葛根乃 弥遠長尓> 萬世尓 不絶等念而<一云大舟之念憑而> 将通 君乎婆明日従<一云君乎従明日者> 外尓可聞見牟

         (山前王 巻三 四二三)

 

≪書き下し≫つのさはふ 磐余(いはれ)の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは ほととぎす 鳴く五月(さつき)には あやめぐさ 花橘(はなたちばな)を 玉に貫(ぬ)き<一には「貫(ぬ)き交(か)へ」といふ> かづらにせむと 九月(ながつき)の しぐれの時は 黄葉(もみぢは)を 折りかざさむと 延(は)ふ葛(くず)の いや遠長く<一には「葛(くず)の根のいや遠長に」といふ> 万代(よろづよ)に 絶えじと思ひて<一には「大船の思ひたのみて」といふ> 通ひけむ 君をば明日(あす)ゆ<一には「君を明日ゆは」といふ> 外(よそ)にかも見む

 

(訳)あの磐余の道を毎朝帰って行かれたお方が、道すがらさぞや思ったであろうことは、ほととぎすの鳴く五月には、ともにあやめ草や花橘を玉のように糸に通して<貫き交えて>髪飾りにしようと、九月の時雨の頃には、ともに黄葉を手折って髪に挿そうと、そして、這う葛のようにますます末長く<葛の根のようにいよいよ末長く>いついつまでも仲睦(むつ)まじくしようと、こう思って<大船に乗ったように頼みにしきって>通ったことであろう、その君を事もあろうに明日からはこの世ならぬ外の人として見るというのか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

左注は、「右一首或云柿本朝臣人麻呂作」<右の一首は、或いは「柿本朝臣人麻呂が作」といふ>である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その286)」で紹介している。

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■一四六五歌■

題詞は、「藤原夫人歌一首  明日香清御原宮御宇天皇之夫人也 字曰大原大刀自 即新田部皇子之母也」<藤原夫人(ふぢはらのぶにん)が歌一首  明日香の清御原の宮に天の下知らしめす天皇の夫人。 字を大原大刀自といふ。すなはち新田部皇子の母なり>である。

(注)藤原夫人:藤原鎌足の娘、五百重娘。(伊藤脚注)

(注)天皇は四〇代天武天皇。(伊藤脚注)

 

◆霍公鳥 痛莫鳴 汝音乎 五月玉尓 相貫左右二

       (藤原夫人 巻八 一四六五)

 

≪書き下し≫ほととぎすいたくな鳴きそ汝(な)が声を五月(さつき)の玉にあへ貫(ぬ)くまでに

 

(訳)時鳥よ、そんなにひどく鳴かないでおくれ。お前の声を五月の玉に交ぜて糸に通すことができるその日までは。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

■一五〇二歌■

五月之 花橘乎 為君 珠尓社貫 零巻惜美

      (大伴坂上郎女 巻八 一五〇二)

 

≪書き下し≫五月(さつき)の花橘(はなたちばな)を君がため玉にこそ貫(ぬ)け散らまく惜(お)しみ

 

(訳)五月の橘の花、その花を、あなたのために糸を通して薬玉にこしらえました。散ってしまうのが惜しいので。(同上)

 

 

■一五〇七歌■

題詞は、「大伴家持橘花坂上大嬢歌一首 并短歌」<大伴家持、橘(たちばな)の花を攀(よ)ぢて、坂上大嬢に贈る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)よづ【捩づ・攀づ】他動詞:つかんで引き寄せる。よじる。(学研)

 

◆伊加登伊可等 有吾屋前尓 百枝刺 於布流橘 玉尓貫 五月乎近美 安要奴我尓 花咲尓家里 朝尓食尓 出見毎 氣緒尓 吾念妹尓 銅鏡 清月夜尓 直一眼 令覩麻而尓波 落許須奈 由米登云管 幾許 吾守物乎 宇礼多伎也 志許霍公鳥 暁之 裏悲尓 雖追雖追 尚来鳴而 徒 地尓令散者 為便乎奈美 攀而手折都 見末世吾妹兒

       (大伴家持 巻八 一五〇七)

 

≪書き下し≫いかといかと ある我が宿に 百枝(ももえ)さし 生(お)ふる橘 玉(たま)に貫(ぬ)く 五月(さつき)を近み あえぬがに 花咲きにけり 朝(あさ)に日(け)に 出(い)で見るごとに 息(いき)の緒(を)に 我(あ)が思ふ妹(いも)に まそ鏡 清き月夜(つくよ)に ただ一目(ひとめ) 見(み)するまでには 散りこすな ゆめと言ひつつ ここだくも 我が守(も)るものを うれたきや 醜(しこ)ほととぎす 暁(あかとき)の うら悲(がな)しきに 追へど追へど なほし来鳴きて いたづらに 地(つち)に散らせば すべをなみ 攀(よ)ぢて手折(たを)りつ 見ませ我妹子(わぎもこ

 

(訳)どうなったかどうなったかと、いつも心にかけている我が家の庭に、枝をいっぱい広げて生い茂っている橘、この橘は、薬玉に貫く五月もま近なので、こぼれるばかりに花が咲きました。朝となく昼となく庭に出て見るたびに、命がけで私の恋い焦がれているあなたに、清らかな月の照る晩にはただ一目なりと見せてあげるまでは、けっして散らないでおくれと言いながら、こんなにも私が気をつけて見守っているのに、何とまあいまいましいことか、時鳥のやつが、明け方のもの悲しい時に、追っても追ってもしつこく来て鳴いて、むやみに花を散らすので、しかたなく引き寄せて手折ったのです。ご覧になって下さい、あなた。(同上)

(注)いかといかと:どうなっているかと心にかける意か。(伊藤脚注)

(注)あへず【敢へず】分類連語:①堪えられない。こらえきれない。②〔動詞の連用形の下に付いて、「…もあへず」の形で〕(ア)…しようとしてできない。最後まで…できない。(イ)…し終わらないうちに。…するや否や。 ◇(イ)は鎌倉時代以降の用法。 ⇒注意:①は活用がないが、②は「ず」が活用する。 ⇒なりたち:下二段動詞「あ(敢)ふ」の未然形+打消の助動詞「ず」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)がに 接続助詞《接続》:①動詞の終止形および完了の助動詞「ぬ」の終止形に付く。

②動詞の連体形に付く。①〔程度・状態〕…そうに。…ほどに。 ⇒参考:②は用法からみて、上代の接続助詞「がね」の東国方言とも考えられる。中古以降は和歌に、また東国地方以外でも用いられた。「終助詞」とする説もある。(学研)

(注の注)あえぬがに:堪えられないばかりに。(伊藤脚注)

(注)まそかがみ【真澄鏡】分類枕詞:鏡の性質・使い方などから、「見る」「清し」「照る」「磨(と)ぐ」「掛く」「向かふ」「蓋(ふた)」「床(とこ)」「面影(おもかげ)」「影」などに、「見る」ことから「み」を含む地名「敏馬(みぬめ)」「南淵山(みなぶちやま)」にかかる。(学研)

(注)こす 助動詞 《接続》動詞の連用形に付く。:〔希望〕…してほしい。…してくれ。⇒語法:未然形の「こせ」と終止形の「こす」は次の形で用いられる。 ⇒参考:(1)主に上代に用いられ、時に中古の和歌に見られる。(2)相手に望む願望の終助詞「こそ」を、この「こす」の命令形とする説がある。⇒こせぬかも(学研)

(注)うれたし 形容詞:①しゃくだ。いまいましい。②つれない。自分にはつらい。 ※「うら(心)いた(痛)し」の変化した語。(学研)

(注)しこ【醜】名詞:頑強なもの。醜悪なもの。▽多く、憎みののしっていう。 ⇒参考「しこ女(め)」「しこ男(お)」「しこほととぎす」などのように直接体言に付いたり、「しこつ翁(おきな)」「しこの御楯(みたて)」などのように格助詞「つ」「の」を添えた形で体言を修飾するだけなので、接頭語にきわめて近い。(学研)

 

 

■一九三九歌■

◆霍公鳥 汝始音者 於吾欲得 五月之珠尓 交而将貫

       (作者未詳 巻十 一九三九)

 

≪書き下し≫ほととぎす汝(な)が初声(はつこゑ)は我(わ)れにもが五月の玉に交(まじ)へて貫(ぬ)かむ

 

(訳)時鳥よ、お前の初声は、この私にくれたらな。そしたら、五月の薬玉(くすだま)に一緒に通そうに。(同上)

(注)もが 終助詞《接続》体言、形容詞・助動詞の連用形、副詞、助詞などに付く。〔願望〕…があったらなあ。…があればなあ。 ⇒参考:上代語。上代には、多く「もがも」の形で用いられ、中古以降は「もがな」の形で用いられた。⇒もがな・もがも(学研)

 

 

■一九七五歌■

◆不時 玉乎曽連有 宇能花乃 五月乎待者 可久有

       (作者未詳 巻十 一九七五)

 

≪書き下し≫時ならず玉をぞ貫(ぬ)ける卯(う)の花の五月(さつき)を待たば久しくあるべみ

 

(訳)まだその時期でもないのに、薬玉を貫いたように花が咲いている。卯の花が、薬玉を作る五月を待ったら、待ち遠しくて仕方がないので。(同上)

(注)べみ:…しそうなので。…に違いないので。 ※派生語。 ⇒参考:上代に、多く「ぬべみ」の形で使われ、中古にも和歌に用いられた。 ⇒なりたち:推量の助動詞「べし」の語形変化しない部分「べ」+原因・理由を表す接尾語「み」(学研)

 

 

■一九八〇歌■

五月山 花橘尓 霍公鳥 隠合時尓 逢有公鴨

       (作者未詳 巻十 一九八〇)

 

≪書き下し≫五月山(さつきやま)花橘(はなたちばな)にほととぎす隠(こも)らふ時に逢へる君かも

 

(訳)五月の山に咲く橘の花の蔭(かげ)に時鳥だ隠(こも)っているように、私が家の中に引き籠(こも)っている時に、ひょっこり、あなたは私に逢いに来て下さいました。(同上)

(注)隠(こも)らふ時に:一人家に隠っている時に。以下、家でふさいでいる時に逢いえた女の喜び。(伊藤脚注)

 

 

◆霍公鳥 来鳴五月之 短夜毛 獨宿者 明不得毛

       (作者未詳 巻十 一九八一)

 

≪書き下し≫ほととぎす来鳴く五月(さつき)の短夜(みじかよ)もひとりし寝(ぬ)れば明かしかねつも

 

(訳)時鳥が来て鳴き立てる五月の短夜も、ただ独りで寝ると、朝が来るのが遅く感じられてならない。(同上)

(注)短夜:夏の夜。遅く暮れて早く明ける。(伊藤脚注)

 

 

■三八八五歌■

◆・・・八重疊 平群乃山尓 四月 与五月間尓 藥獦 仕流時尓・・・

      (乞食者の歌 巻十六 三八八五)

 

≪書き下し>・・・八重(やへ)畳(たたみ) 平群(へぐり)の山に 四月(うづき)と 五月(さつき)との間(ま)に 薬猟(くすりがり) 仕(つか)ふる時に ・・・

 

(訳)・・・八重の畳を隔てて繰り寄せ編むとは平群(へぐり)のあのお山で、四月、五月の頃合、畏(かしこ)の薬猟(かり)に仕えた時に、・・・(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1499)」で紹介している。

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■三九九六歌■

三九九五~三九九八歌の題詞は、「四月廿六日掾大伴宿祢池主之舘餞税帳使守大伴宿祢家持宴歌并古歌四首」<四月の二十六日に、掾大伴宿祢池主が館(たち)にして、税帳使(せいちやうし)、守(かみ)大伴宿禰家持を餞(せん)する宴(うたげ)の歌 幷(あは)せて古歌四首>である。

 

◆和我勢古我 久尓敝麻之奈婆 保等登藝須 奈可牟佐都奇波 佐夫之家牟可母

       (内蔵忌寸縄麻呂 巻十七 三九九六)

 

≪書き下し≫我が背子(せこ)が国へましなばほととぎす鳴かむ五月(さつき)は寂(さぶ)しけむかも

 

(訳)あなたが大和の国へいらっしゃってしまったならば、時鳥がこの里まで来て鳴く五月は、さぞさびしくてならないことでしょう。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ます【坐す・座す】自動詞:①いらっしゃる。おいでである。おありである。▽「あり」の尊敬語。②いらっしゃる。おいでになる。▽「行く」「来(く)」の尊敬語。(学研)

 

左注は、「右の一首は、介内蔵忌寸縄麻呂作之」<右一首介(すけ)内蔵忌寸縄麻呂(くらのいみきtなまろ)作る>である。

 

■三九九七歌■

◆安礼奈之等 奈和備和我勢故 保登等藝須 奈可牟佐都奇波 多麻乎奴香佐祢

       (大伴家持 巻十七 三九九七)

 

≪書き下し≫我(あ)れなしとなわび我が背子(せこ)ほととぎす鳴かむ五月は玉を貫(ぬ)かさね

 

(訳)私がいないからといって気落ちしないで下さい、あなた。時鳥が里に来て鳴く五月には、薬玉を作って祝って下さいね。(同上)

(注)わぶ【侘ぶ】自動詞:①気落ちする。悲観する。嘆く。悩む。②困る。困惑する。当惑する。③つらく思う。せつなく思う。寂しく思う。④落ちぶれる。貧乏になる。まずしくなる。⑤わびる。謝る。⑥静かな境地を楽しむ。わび住まいをする。閑寂な情趣を感じとる。(学研)ここでは①の意

 

 左注は、「右一首守大伴宿祢家持和」<右の一首は、守大伴宿禰家持和(こた)ふ>である。

 

 

■四一〇一歌■

 題詞は、「為贈京家願真珠歌一首并短歌」<京の家に贈るために、真珠(しらたま)を願ふ歌一首并せて短歌>である。

◆・・・心奈具佐尓 保登等藝須 伎奈久五月能 安夜女具佐 波奈多知波奈尓 奴吉麻自倍 可頭良尓世餘等 都追美氐夜良牟

      (大伴家持 巻十八 四一〇一)

 

≪書き下し≫・・・心(こころ)なぐさに ほととぎす 来鳴く五月(さつき)の あやめぐさ 花橘(はなたちばな)に 貫(ぬ)き交(まじ)へ かづらにせよと 包(つつ)みて(や)遣らむ

 

(訳)・・・そんな心のせめてもの慰めに、時鳥の来て鳴く五月の菖蒲草や橘の花に緒を通して蘰にしなさいと、その真珠をたいせつに包んで送ってやりたい。(同上)

 

 この歌については前出の四二三歌と同じくブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その286)」で紹介している。

 

 

■四一一一歌■

題詞は、「橘歌一首 幷短歌」<橘(たちばな)の歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

 

◆・・・保登等藝須 奈久五月尓波 波都波奈乎 延太尓多乎理弖 乎登女良尓 都刀尓母夜里美 之路多倍能 蘇泥尓毛古伎礼 香具播之美 於枳弖可良之美 安由流實波 多麻尓奴伎都追・・・

       (大伴家持 巻十八 四一一一)

 

≪書き下し≫・・・ほととぎす 鳴く五月(さつき)には 初花(はつはな)を 枝(えだ)に手折(たを)りて 娘子(をとめ)らに つとにも遣(や)りみ 白栲(しろたへ)の 袖(そで)にも扱(こき)入れ かぐはしみ 置きて枯らしみ あゆる実(み)は 玉に貫(ぬ)きつつ・・・

 

(訳)・・・時鳥の鳴く五月には、その初花を枝ごと手折って、包んで娘子(おとめ)に贈り物としたり、枝からしごいて着物の袖にも入れたり、あまりの気高さに枝に置いたまま枯らしてしまったりもし、熟(う)れて落ちる実は薬玉(くすだま)として緒に通して、・・・(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1072)」で紹介している。

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■四一一六歌■

◆・・・保止ゝ支須 支奈久五月能 安夜女具佐 余母疑可豆良伎 左加美都伎 安蘇比奈具礼止・・・

       (大伴家持 巻十八 四一一六)

 

≪書き下し≫・・・ほととぎす 来鳴く五月(さつき)の あやめぐさ 蓬(よもぎ)かづらき 酒(さか)みづき 遊びなぐれど・・・

 

(訳)時鳥の来て鳴く五月の菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を蘰(かづら)にし、酒盛りなどして遊んでは心を慰めたけれど、・・・(同上)

 

この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その658)」で紹介している。

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■四一六九歌■

◆霍公鳥 来喧五月尓 咲尓保布 花橘乃 香吉 於夜能御言 朝暮尓 不聞日麻祢久 安麻射可流 夷尓之居者・・・

      (大伴家持 巻二十 四一六九)

 

≪書き下し≫ほととぎす 来鳴く五月(さつき)に 咲きにほふ 花橘(はなたちばな)の かぐはしき 親の御言(みこと) 朝夕(あさよひ)に 聞かぬ日まねく 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にし居(を)れば ・・・

 

(訳)時鳥が来て鳴く五月に咲き薫(かお)る花橘のように、かぐわしい母上様のお言葉、そのお声を朝に夕に聞かぬ日が積もるばかりで、都遠く離れたこんな鄙の地に住んでいるので、・・・(同上)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1123)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「三滝自然公園 万葉の道」 (せいよ城川観光協会