万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その286)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(27)―万葉集 巻八 一四九〇

●歌は、「ほととぎす待てど来鳴かずあやめぐさ玉に貫く日をいまだ遠みか」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(27)(大伴家持)(

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(27)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆霍公鳥 雖待不来喧 菖蒲草 玉尓貫日乎 未遠美香

                (大伴家持 巻八 一四九〇)

 

≪書き下し≫ほととぎす待てど来鳴かずあやめぐさ玉に貫(ぬ)く日をいまだ遠みか

 

(訳)時鳥は、待っているけれどいっこうに来て鳴こうとはしないのか。あやめ草を薬玉(くすだま)にさし通す日が、まだ遠い先の日のせいであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)たまにぬく【玉爾貫、珠爾貫、玉貫、球貫】:真珠などの宝玉や特別な石・植物を玉にして緒(糸・紐)に貫き通す。玉と霊・魂のタマとは語源を同じくする。タマはすべての生命・存在の根源にかかわって畏怖と信仰の対象となり、玉はタマの寄り籠る器として観想され、呪術や神事に用いられる。この古代相を基層とした語。①万葉集には、生命力旺盛な呪物竹を玉に用いた例がある。「斎瓮(いはひべ)を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を しじに貫き垂れ」(3-379)、「枕辺に 斎瓮を据ゑ 竹玉を 間なく貫き垂れ」(3-420)。②植物の花や実を緒に貫いて環状に結び、手や頸に巻いたり頭に載せて鬘(かづら)にする。万葉集では橘、菖蒲(あやめぐさ)(現在のしょうぶ)、楝(あふち)(せんだん)。このうち「たまにぬく」の用例は橘と菖蒲に集中し、それぞれが単独であったり「あやめぐさ 花橘を 玉に貫き」(3-423)、「あやめ草 花橘に 貫き交じへ」(18-4101)、「あやめ草 花橘に 合へも貫く」(18-4102)のように2種を交えて貫く形で詠まれる。さらに霍公鳥(ほととぎす)の声を重ねて「ほととぎす 鳴く五月には あやめぐさ 花橘を 玉に貫き」(3-423)、「あやめぐさ 花橘を 娘子らが 玉貫くまでに…(中略)…鳴きとよむれど なにか飽き足らむ」(19-4166)と歌う(この例延約40)。古今集以降には見られない取り合わせで、万葉独特の表現世界を持つ。菖蒲と橘の玉を、平安朝以降盛んになる中国渡来の、5月5日端午の節句の薬玉と見る説(『拾穂抄』以降最も多い)もあるが、『荊楚歳時記』の浴蘭節やいわゆる薬玉の様式は希薄である。歌は万葉後期大伴家持周辺にほぼ限られており、節句を契機として、4・5月の季節を古代に回帰する発想で賛美し、風流を極めて歌を楽しんだと考えられる。「たまにぬく」はむしろ記紀神話の「玉の御統(みすまる)」(多くの玉を緒に貫き統べる)が発想の基底にあるか。「玉の御統」は玲瓏と音を発する。霍公鳥の声が玉に合え貫くとは、その音に擬えた神秘な声という神話的発想があったか。(「万葉神事語辞典」國學院大學デジタル・ミュージアム

 

 「あやめ草」は、現在のショウブと同じものである。サトイモ科の多年草で、香気が強い。この強い香りから、邪気払い、疫病除けに効くと古くから考えられていた。

 

 上記の國學院大學デジタル・ミュージアム「万葉神事語辞典」に挙げられている「あやめ草」を詠みこんだ歌(四二三、四一〇一、四一〇二歌)をみてみよう。

 

※四二三歌

 

題詞は、「同石田王卒之時山前王哀傷作歌一首」<同じく石田王(いはたのおほきみ)が卒(みまか)りし時に、山前王(やまさきのおほきみ)が哀傷(かな)しびて作る歌一首>である。

 

◆角障経 石村之道乎 朝不離 将歸人乃 念乍 通計萬口波 霍公鳥 鳴五月者 菖蒲花橘乎 玉尓貫<一云貫交> 蘰尓将為登 九月能 四具礼能時者 黄葉乎 析挿頭跡 延葛乃 弥遠永<一云田葛根乃 弥遠長尓> 萬世尓 不絶等念而<一云大舟之念憑而> 将通 君乎婆明日従<一云君乎従明日者> 外尓可聞見牟

               (山前王 巻三 四二三)

 

≪書き下し≫つのさはふ 磐余(いはれ)の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは ほととぎす 鳴く五月(さつき)には あやめぐさ 花橘(はなたちばな)を 玉に貫(ぬ)き<一には「貫(ぬ)き交(か)へ」といふ> かづらにせむと 九月(ながつき)の しぐれの時は 黄葉(もみぢは)を 折りかざさむと 延(は)ふ葛(くず)の いや遠長く<一には「葛(くず)の根のいや遠長に」といふ> 万代(よろづよ)に 絶えじと思ひて<一には「大船の思ひたのみて」といふ> 通ひけむ 君をば明日(あす)ゆ<一には「君を明日ゆは」といふ> 外(よそ)にかも見む

 

(訳)あの磐余の道を毎朝帰って行かれたお方が、道すがらさぞや思ったであろうことは、ほととぎすの鳴く五月には、ともにあやめ草や花橘を玉のように糸に通して<貫き交えて>髪飾りにしようと、九月の時雨の頃には、ともに黄葉を手折って髪に挿そうと、そして、這う葛のようにますます末長く<葛の根のようにいよいよ末長く>いついつまでも仲睦(むつ)まじくしようと、こう思って<大船に乗ったように頼みにしきって>通ったことであろう、その君を事もあろうに明日からはこの世ならぬ外の人として見るというのか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

左注は、「右一首或云柿本朝臣人麻呂作」<右の一首は、或いは「柿本朝臣人麻呂が作」といふ>である。

 

 

※四一〇一歌

 

題詞は、「為贈京家願真珠歌一首并短歌」<京の家に贈るために、真珠(しらたま)を願ふ歌一首并せて短歌>である。

 

珠洲乃安麻能 於伎都美可未尓 伊和多利弖 可都伎等流登伊布 安波妣多麻 伊保知毛我母 波之吉餘之 都麻乃美許等能 許呂毛泥乃 和可礼之等吉欲 奴婆玉乃 夜床加多古左里 安佐祢我美 可伎母氣頭良受 伊泥氐許之 月日余美都追 奈氣久良牟 心奈具佐尓 保登等藝須 伎奈久五月能 安夜女具佐 波奈多知波奈尓 奴吉麻自倍 可頭良尓世餘等 都追美氐夜良牟

              (大伴家持 巻十八 四一〇一)

 

≪書き下し≫珠洲(すす)の海人(あま)の 沖つ御神(みかみ)に い渡りて 潜(かづ)き取るといふ 鰒玉(あはびたま) 五百箇(いほち)もがも はしきよし 妻の命(みこと)の 衣手(ころもで)の 別れし時よ ぬばたまの 夜(よ)床(とこ)片(かた)さり 朝寝髪 掻(か)きも梳(けづ)らず 出(い)でて来(こ)し 月日数(よ)みつつ 嘆くらむ 心(こころ)なぐさに ほととぎす 来鳴く五月(さつき)の あやめぐさ 花橘(はなたちばな)に 貫(ぬ)き交(まじ)へ かづらにせよと 包(つつ)みて(や)遣らむ

 

(訳)珠洲の海人たちが、沖辺はるかに浮かぶ神の島まで渡って、水底にもぐって採るという真珠、その真珠がどっさり五百の余もほしいものだ。ああ、今頃、あのいとしい妻なるお方が、二人で交わした寝た袖(そで)を分かって別れたあの時から、夜床の片方をあけて休み、朝の乱れ髪を梳りもしないで、私が都を出て来てからの月日を指折り数えて嘆いているにちがいない。そんな心のせめてもの慰めに、時鳥の来て鳴く五月の菖蒲草や橘の花に緒を通して蘰にしなさいと、その真珠をたいせつに包んで送ってやりたい。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

※四一〇二歌

 

◆白玉乎 都ゝ美氐夜良婆 安夜女具佐 波奈多知婆奈尓 安倍母奴久我祢

               (大伴家持 巻十八 四一〇二)

 

≪書き下し≫白玉を包みて遣らばあやめぐさ花橘にあへも貫くがね

 

(訳)神の島の真珠を、大切に包んで送ってやったなら、あの子は、それをそのまま菖蒲草や橘の花に交えて通しもするだろうに。(同上)

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉神事語辞典」 (國學院大學デジタル・ミュージアム