万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その287)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(28)―万葉集 巻十四 三四一七

●歌は、「上つ毛野伊奈良の沼の大藺草外に見しよは今こそまされ」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(28)(作者未詳)

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(28)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆可美都氣努 伊奈良能奴麻乃 於保為具左 与曽尓見之欲波 伊麻波曽麻左礼  柿本朝臣人麻呂歌集出也

          (作者未詳 巻十四 三四一七)

 

≪書き下し≫上(かみ)つ毛(け)野(の)伊奈良(いなら)の沼の大藺草(おほゐぐさ)外(よそ)に見しよは今こそまされ

 

(訳)上野の伊奈良(いなら)の沼に生い茂る大藺草(おほゐぐさ)ではないけど、ただよそながら見ていた時よりは、我がものとした今の方が思いがつのるとは・・・。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

「おほゐぐさ」は「藺草(いぐさ)」のことである。カヤツリグサ科の多年生植物。沼などの湿地に群生する。茎は丸く細長く、丈は、一メートル以上になる。敷物の材料。今日では、藺草は、畳表に使われているが、万葉の時代の畳には、菅(すが)や動物の皮、太糸の絹布などが使われていたようである。

藺草が詠まれた歌は、万葉集ではこの一首だけである。

 

左注に、「右廿二首上野國歌」<右の二十二首(三四〇二~三四二三歌)は上野(かみつけの)の国の歌>とあり、そのうちの一首である。

 

上野國に歌二十二首をみてみよう。いずれも作者未詳である。「東歌」の特徴の一つの方言的要素である「東国形」は(注)として記した。

 

◆(三四〇二歌)比能具礼尓 宇須比乃夜麻乎 古由流日波 勢奈能我素▼母 佐夜尓布良思都                 ▼:ニンベンに「弖」である。

≪書き下し≫日の暮(ぐ)れに碓氷(うすひ)の山を越ゆる日は背(せ)なのが袖もさやに振らしつ

 

◆(三四〇三歌)安我古非波 麻左香毛可奈思 久佐麻久良 多胡能伊利野乃 於久母可奈思母

≪書き下し≫我(あ)が恋(こひ)はまさかも愛(かな)し草枕(くさまくら)多胡(たご)の入野(いりの)の奥も愛(かな)しも 

 

◆(三四〇四歌)可美都氣努 安蘇能麻素武良 可伎武太伎 奴礼杼安加奴乎 安杼加安我世牟

≪書き下し≫上つ毛野(かみつけの)安蘇(あそ)のま麻(そ)群(むら)かき抱(むだ)き寝(ね)れど飽(あ)かぬをあどか我(あ)がせむ 

 

◆(三四〇五歌)可美都氣努 乎度能多杼里我 可波治尓毛 兒良波安波奈毛 比等理能未思弖

≪書き下し≫上つ毛野乎度(をど)の多杼里(たどり)が川道(かはぢ)にも子らは逢(あ)はなもひとりのみして  

   或本歌日 可美都氣乃 乎野乃多杼里我 安波治尓母 世奈波安波奈母

 美流比登奈思尓

  ≪書き下し≫上つ毛野小野(おの)の多杼里があはぢにも背(せ)なは逢はなも

 見る人なしに 

 

◆(三四〇六歌)可美都氣野 左野乃九久多知 乎里波夜志 安礼波麻多牟恵 許登之許受登母

≪書き下し≫上つ毛野佐野(さの)の茎立(くくたち)折りはやし我(あ)れは待たむゑ来(こ)とし来(こ)ずとも 

 

◆(三四〇七歌)可美都氣努 麻具波思麻度尓 安佐日左指 麻伎良波之母奈 安利都追見礼婆

≪書き下し≫上つ毛野まぐはしまとに朝日(あさひ)さしまきらはしもなありつつ見れば 

 

◆(三四〇八歌)尓比多夜麻 祢尓波都可奈那 和尓余曽利 波之奈流兒良師 安夜尓可奈思母

≪書き下し≫新田山(にひたやま)嶺(ね)にはつかなな我(わ)に寄(よ)そりはしなる子らしあやに愛(かな)しも

 

◆(三四〇九歌)伊香保呂尓 安麻久母伊都藝 可奴麻豆久 比等登於多波布 伊射祢志米刀羅

≪書き下し≫伊香保(いかほ)ろに天雲(あまくも)い継(つ)ぎかぬまづく人とおたはふ いざ寝(ね)しめ刀羅(とら)

 

◆(三四一〇歌)伊香保呂能 蘇比乃波里波良 祢毛己呂尓 於久乎奈加祢曽 麻左可思余加婆

≪書き下し≫伊香保ろの沿(そ)ひの榛原(はりはら)ねもころに奥(おく)をなかねそまさかしよかば 

 

◆(三四一一歌)多胡能祢尓 与西都奈波倍弖 与須礼騰毛 阿尓久夜斯豆之 曽能可抱与吉尓

≪書き下し≫多胡(たご)の嶺(ね)に寄せ綱(づな)延(は)へて寄すれどもあにくやしづしその顔よきに 

 

◆(三四一二歌)賀美都家野 久路保乃祢呂乃 久受葉我多 可奈師家兒良尓 伊夜射可里久母

 ≪書き下し≫上つ毛野久路保(くろほ)の嶺(ね)ろの葛葉(くずは)がた愛(かな)しけ子(こ)らにいや離(あか)り来(く)も

 

◆(三四一三歌)刀祢河泊乃 可波世毛思良受 多太和多里 奈美尓安布能須 安敝流伎美可母

 ≪書き下し≫利根川(とねがは)の川瀬も知らず直(ただ)渡り波にあふのす逢へる君かも 

(注)「のす」は「なす」の東国形

 

◆(三四一四歌)伊香保呂能 夜左可能為提尓 多都努自能 安良波路萬代母 佐祢乎佐祢弖婆

≪書き下し≫伊香保ろの夜左可(やさか)のゐでに立つ虹(のじ)現(あら)はろまでも さ寝(ね)をさ寝(ね)てば 

(注)「のじ」は「にじ」の訛り

(注)「あらはろ」は「あらはるる」の東国形

 

◆(三四一五歌)可美都氣努 伊可保乃奴麻尓 宇恵古奈宜 可久古非牟等夜 多祢物得米家武

≪書き下し≫上つ毛野伊香保の沼に植ゑ小水葱(こなぎ)かく恋ひむとや種(たね)求めけむ 

 

◆(三四一六歌)可美都氣努 可保夜我奴麻能 伊波為都良 比可波奴礼都追 安乎奈多要曽祢

≪書き下し≫上つ毛野可保夜(かほや)が沼のいはゐつら引かばぬれつつ我(あ)をな絶えそね 

 

◆(三四一七歌)可美都氣努 伊奈良能奴麻乃 於保為具左 与曽尓見之欲波 伊麻許曽麻左礼    柿本朝臣人麻呂歌集出也

 ≪書き下し≫上つ毛野伊奈良(いなら)の沼の大藺草(おほゐぐさ)外(よそ)に見しよは今こそまされ   柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ

 

◆(三四一八歌)可美都氣努 佐野田能奈倍能 武良奈倍尓 許登波佐太米都 伊麻波伊可尓世母

 ≪書き下し≫上つ毛野佐野田(さのだ)の苗(なへ)の群(むら)苗(なへ)に事(こと)は定めつ今はいかにせも 

(注)「せも」は「せむ」の東国形

 

◆(三四一九歌)伊可保世欲 奈可中次下 於毛比度路 久麻許曽之都等 和須礼西奈布母

 ≪書き下し≫伊香保せよ奈可中次下思(おも)ひどろくまこそしつと忘れせなふも 

 

◆(三四二〇歌)可美都氣努 佐野乃布奈波之 登里波奈之 於也波左久礼騰 和波左可流賀倍

 ≪書き下し≫上つ毛野佐野の舟橋(ふなはし)取り離(はな)し親は放(さ)くれど我(わ)は離(さか)るがへ 

 

◆(三四二一歌)伊香保祢尓 可未奈那里曽祢 和我倍尓波 由恵波奈家杼母 兒良尓与里弖曽

 ≪書き下し≫伊香保嶺に雷(かみ)な鳴りそね我(わ)が上(へ)には故(ゆゑ)はなけども子らによりてぞ 

 

◆(三四二二歌)伊可保可是 布久日布加奴日 安里登伊倍杼 安我古非能未思 等伎奈可里家利

 ≪書き下し≫伊香保風(いかほかぜ)吹く日吹かぬ日ありと言へど我(あ)が恋(こひ)のみし時(とき)なかりけり 

 

◆(三四二三歌)可美都氣努 伊可抱乃祢呂尓 布路与伎能 遊吉須宜可提奴 伊毛賀伊敝乃安多里

 ≪書き下し≫上つ毛野伊香保の嶺(ね)ろに降(ふ)ろ雪(よき)の行き過ぎかてぬ妹が家のあたり 

(注)「降ろ」は「降る」の東国形

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)