万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1107)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(67)―万葉集 巻十四 三四一七

●歌は、「上つ毛野伊奈良の沼の大藺草外に見しよは今こそまされ」である。

 

f:id:tom101010:20210721153822j:plain

奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(67)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(67)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆可美都氣努 伊奈良能奴麻乃 於保為具左 与曽尓見之欲波 伊麻波曽麻左礼  柿本朝臣人麻呂歌集出也

              (作者未詳 巻十四 三四一七)

 

≪書き下し≫上(かみ)つ毛(け)野(の)伊奈良(いなら)の沼の大藺草(おほゐぐさ)外(よそ)に見しよは今こそまされ

 

(訳)上野の伊奈良(いなら)の沼に生い茂る大藺草(おほゐぐさ)ではないけど、ただよそながら見ていた時よりは、我がものとした今の方が思いがつのるとは・・・。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。下二句の譬喩。

 

 大藺草を遠くから眺め愛しい人に喩えているのである。

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板には、「『大藺草(オホイグサ)』は大群落をなして生える『太藺(フトイ)』のことで、別名『オオイ』とも言う。『藺草(イグサ)』に似て太いことから、太い藺草で『フトイ』の名が付くが、イグサの仲間ではない。(中略)古代の畳は、菅(スガ)・動物の皮・太糸の絹布などが用いられた。(後略)」と書かれている。

 

大藺草が詠まれた歌は、万葉集ではこの一首だけである。

 

左注に、「右廿二首上野國歌」<右の二十二首(三四〇二~三四二三歌)は上野(かみつけの)の国の歌>とあり、そのうちの一首である。(部立は「相聞」)

 

この歌ならびに上野の国の歌の他の二十一首は、原文と書き下しの形ですべてをブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その287)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

三四〇二と三四〇四歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1071)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 この歌を含め三四一五から三四一七歌の三首は、上野の国の沼が詠まれているので他の二首もみてみよう。

 

 

◆可美都氣努 伊可保乃奴麻尓 宇恵古奈宜 可久古非牟等夜 多祢物得米家武

                  (作者未詳 巻十四 三四一五)

 

≪書き下し≫上つ毛野伊香保(いかほ)の沼(ぬま)に植(う)ゑ小水葱(こなぎ)かく恋ひむとや種(たね)求めけむ 

 

 

(訳)上野の伊香保の沼に植えられたかわいい小水葱(こなぎ)、そんな子にこんなにも悩まされようってなわけで、俺はわざわざ種を求めたのだったけなあ。(同上)

(注)伊香保の沼:榛名山麓地帯の湿地。

(注)こなぎ【小水葱】名詞:「水葱(なぎ)」の別名。水生の食用植物の一つ。今のみずあおい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)植ゑ小水葱:植え付けられた水あおい。女の譬え。

 

 

 「植ゑ小水葱」を童女に喩えた歌があるので、こちらもみてみよう。

 

題詞は、「大伴宿祢駿河麻呂娉同坂上家之二嬢歌一首」<大伴宿禰駿河麻呂、同じき坂上家の二嬢(おといらつめ)を娉(つまど)ふ歌一首>である。

(注)坂上家之二嬢:宿奈麻呂と坂上郎女との二女

 

◆春霞 春日里之 殖子水葱 苗有跡云師 柄者指尓家牟

                (大伴駿河麻呂 巻三 四〇七)

 

≪書き下し≫春霞(はるかすみ)春日(かすが)の里の植ゑ小水葱(こなぎ)苗(なへ)なりと言ひし枝(え)はさしにけむ

 

(訳)春日の里に植えられたかわいい水葱、あの水葱はまだ苗だと言っておられましたが、もう枝がさし伸びたのことでしょうね。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)植ゑ小水葱:栽培された小水葱の意

(注)枝(え)はさしにけむ:成長して大人びてきただろうの意。

 

 

 

◆可美都氣努 可保夜我奴麻能 伊波為都良 比可波奴礼都追 安乎奈多要曽祢

                  (作者未詳 巻十四 三四一六)

 

≪書き下し≫上つ毛野可保夜(かほや)が沼のいはゐつら引かばぬれつつ我(あ)をな絶えそね 

 

(訳)上野の可保夜(かほや)が沼のいわい葛(ずら)、そのかわいい葛のように、引き寄せたらすなおに寄り添うて寝て、俺との仲を絶やさないでおくれ。(同上)

(注)上三句は序。「ひかなばぬる」を起こす。

(注)いわゐづら:現在のスベリヒユ。赤みを帯びた茎は、地面をすべるように這い、枝分かれしてのびていく。(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 )

(注)ぬる:寝るの東国形

 

 この歌の類歌が「武蔵の国の歌」にある。こちらもみてみよう。

 

◆伊利麻治能 於保屋我波良能 伊波為都良 比可婆奴流ゝゝ 和尓奈多要曽祢

                  (作者未詳 巻十四 三三七八)

 

≪書き下し≫入間道(いりまぢ)の於保屋が原(はら)のいはゐつら引かばぬるぬる我(わ)にな絶(た)えそね 

 

(訳)入間の地の於保屋(おおや)が原(はら)のいわい葛(ずら)のように、引き寄せたならそのまま滑らかに寄り添って寝て、私との仲を絶やさないようにしておくれ。(同上)

(注)於保屋(おおや)が原:入間郡越生町大谷あたりか。

 

  

f:id:tom101010:20210721155119p:plain

スベリヒユ(狛江市HPから引用させていただきました。)

 

 

 

 植物の性質を良く観察し、その特徴を自分の心情に重ねあわせて巧みな歌を詠いあげる万葉の人びとの繊細さには改めて感動させられる。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」