万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1071)―奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(31)―万葉集 巻十四 三四三四

●歌は、「上つ毛野安蘇山つづら野を広み延ひにしものをあぜか絶えせむ」である。

 

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(31)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(31)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆可美都家野 安蘇夜麻都豆良 野乎比呂美 波比尓思物能乎 安是加多延世武

                (作者未詳 巻十四 三四三四)

 

≪書き下し≫上つ毛(かみつけ)の安蘇山(あそやま)つづら野(の)を広み延(は)ひにしものをあぜか絶えせむ

 

(訳)上野の安蘇(あそ)のお山のつづら、このつづらは野が広いので一面に延び連なっているではないか。この延び連なったものが、何でいまさら絶えてしまうことがあろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)つづら 名詞:①【葛・黒葛】つる草の総称。②【葛籠】つる草または竹で編んだ櫃(ひつ)。主に衣類を入れる

(注)あぜ【何】副詞:なぜ。どのように。※上代の東国方言。

(注)上二句は自分の譬え

 

 「つづら」については、春日大社神苑萬葉植物園の植物解説板によると、「『つづら』の語は『綴る(ツヅル)』の意味と、又『蔓(ツル)』の意味で『蔓藤(ツヅラフジ)』の説が最も有力。『蔓藤(ツヅラフジ)』は原野に多い木質のつる性の落葉低木。蔓で編んだカゴは『葛籠(ツヅラコ)』というが、これも略されて『つづら』と呼んでいる。(中略)『蔓藤(ツヅラフジ)』は、林などで他の木にからみついたり、地を這って長く延びたりしている、つづらの蔓のごとく曲がった坂道を九十九折り(ツヅラオリ)と言う。」と書かれている。

 

三四三四歌は、相手への思いを、「つづら」が這い延びている様に喩えて、作者自身の思いを詠っている。

 「上野(かみつけ)の国の歌」であり、部立「譬喩」には三首が収録されている。

 また、万葉集には、「つづら」を詠った歌は二首収録されている。

 これらはすべてブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その337)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 部立「相聞」には、「上野(かみつけ)の国の歌」は、二十二首、三四〇五歌の「或る本の歌」をカウントすると二十三首もの歌が収録されている。

 巻十四には、編纂者が国名を特定した「勘国歌」と特定しえなかった「未勘国歌」に分かれている。「未勘国歌」というのは、巻十四の巻末の左注に「以前歌詞未得勘知國土山川之名也」<以前(さき)の歌詞は、いまだ国土山川の名を勘(かむが)へ知ることを得ず>」とあることに依っている。

 「勘国歌」「未勘国歌」別・部立別歌数についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その322)」で紹介している。

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二十二首(二十三首)の中で二首とりあげてみてみよう。

 

◆比能具礼尓 宇須比乃夜麻乎 古由流日波 勢奈能我素▼母 佐夜尓布良思都

                   (作者未詳 巻十四 三四〇二)

  •  ▼は「ニンベンに弖」である。「素▼」=「そで(袖)」

 

 

≪書き下し≫日の暮(ぐ)れに碓氷(うすひ)の山を越ゆる日は背(せ)なのが袖(そで)もさやに振らしつ

 

(訳)日暮れ時に、碓氷の山を越えて行かれたあの日には、あの方のお振りになる袖までが、はっきり見えた。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)日の暮(ぐ)れに:日暮れなのに。結句「さやに振らしつ」に続く。

(注)「背なのが」の「の」:親愛の接尾語

 

 加藤静雄氏は、その著「万葉集東歌論」(桜楓社)の中で「日の暮(ぐ)れに」について、東歌独特の枕詞であるというユニークな論を述べておられる。

 <ひのぐれに>は、「集中における唯一の例である。これは実景ととれなくもないが、日の暮に山を越える、特に碓氷峠を越えるなどと考えることはむつかしく、薄日から碓氷にかかるようになったと考えるのが穏やかであろう。とするとこの孤語的枕詞は、東国において成立した枕詞であるといえよう。」と書かれている。

 「日の暮(ぐ)れに碓氷(うすひ)の山を越ゆる日は」ととらえて、別れの日であるので「さやに振らしつ」と詠ったとの考えでの解釈であろう。

 これに対し、結句にある「さやに」という言い回しを考えると、「日の暮に」「振らしつ」と、「日の暮れに(も関わらず)袖振らしつ(の様子が)「さやに」見えた)」と解釈した方が「さやに」がより強烈なインパクトを与えるように思えるのである。

 

 

◆可美都氣努 安蘇能麻素武良 可伎武太伎 奴礼杼安加奴乎 安杼加安我世牟

                  (作者未詳 巻十四 三四〇四)

 

≪書き下し≫上つ毛野(かみつけの)安蘇(あそ)のま麻群(そむら)かき抱(むだ)き寝(ぬ)れど飽(あ)かぬをあどか我(あ)がせむ

 

(訳)上野の安蘇の群れ立つ麻、その麻の群れを抱きかかえて引き抜くように、しっかと抱いて寝るけれど、それでも満ち足りない。ああ、俺はどうしたらいいのか。(同上)

(注)上野 分類地名:旧国名東山道十三か国の一つ。今の群馬県。古くは「下野(しもつけ)」と共に毛野(けの)の国に属していたが、大化改新のとき分かれて「上毛野」となった。上州(じようしゆう)。 ※「かみつけの(上毛野)」↓「かみつけ」↓「かうづけ」と変化した語。(学研)

(注)安蘇:安蘇は麻緒(アサオ)の略かもしれません。麻を産するため、この名前があると和名抄は解しています。下野国志にも安蘇の名前は麻より出でしとあり、現に馬門に麻田明神があります。(佐野市HP)

(注)あど 副詞:どのように。どうして。 ※「など」の上代の東国方言か。(学研)

 

 

 麻の産地安蘇の労働作業歌であろう。

 「安蘇のま麻群(そむら)」「かき抱(むだ)き」「寝(ぬ)れど飽(あ)かぬをあどか我(あ)がせむ」のこのリズム感が心地良い。

 歌の内容は、麻の大きな束をしっかりと抱きかかえているように、いとしい子を抱きしめて寝ても、寝ても、寝ても寝たりない、わたしゃどうしたらいいのかね、と詠っている。実際の体験そのものをある意味素直に詠っているのである。露骨と言えばそれまでであるが、生き生きとして、それでいて下品さをみじんも感じさせない。

 都人の手を経ない、東歌の典型といってもよいだろう。

 編纂者の収録する際に、かすかににやりとした表情が目に浮かぶのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「万葉集東歌論」 加藤静雄 著 (桜楓社)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「佐野市HP」