万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その322)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(63)―万葉集 巻十四 三四四四

●歌は、「伎波都久の岡の茎韮我れ摘めど籠にも満たなふ背なと摘まさね」である。

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万葉の森船岡山万葉歌碑(63)(作者未詳)


 

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(63)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆伎波都久乃 乎加能久君美良 和礼都賣杼 故尓毛美多奈布 西奈等都麻佐祢

               (作者未詳 巻十四 三四四四)

 

≪書き下し≫伎波都久(きはつく)の岡(おか)の茎韮(くくみら)我(わ)れ摘めど籠(こ)にも満(み)たなふ背(せ)なと摘まさね

 

(訳)伎波都久(きわつく)の岡(おか)の茎韮(くくみる)、この韮(にら)を私はせっせと摘むんだけれど、ちっとも籠(かご)にいっぱいにならないわ。それじゃあ、あんたのいい人とお摘みなさいな。((伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)茎韮(くくみら):ユリ科のニラの古名。コミラ、フタモジの異名もある。中国の南西部が原産地。昔から滋養分の多い強精食品として知られる。

(注)なふ 助動詞特殊型《接続》動詞の未然形に付く:〔打消〕…ない。…ぬ。

 

上四句と結句が二人の女が唱和する形になっている。韮摘みの歌と思われる。

 

 巻十四「東歌」は、構成として、「勘国歌」と「未勘国歌」に二分される。さらにそれぞれ、「雑歌」「相聞」「譬喩歌」に部立てが分かれている。なお、未勘国歌の部立てには「防人歌」と「挽歌」が万葉集編纂時に追補されたと考える説もある。

  歌番号は「旧国家大観」による。

 

勘国歌(三三四八~三四三七歌)   (90歌)

 (雑歌) 三三四八~三三五二歌    5歌

 (相聞) 三三五三~三四二八歌   76歌

 (譬喩歌)三四二九~三四三七歌    9歌

未勘国歌(三四三八~三五七七歌)  (140歌)

 (雑歌) 三四三八~三四五四歌    7歌

 (相聞) 三四五五~三五六六歌  112歌

 (防人歌)三五六七~三五七一歌    5歌

 (譬喩歌)三五七二~三五七六歌    5歌

 (挽歌) 三五七七歌         1歌

相聞歌は、188歌と全体の82%に及んでいる。このことは、「歌謡」を主体とした基盤があったからと言えるであろう。

 

三四四四歌は、未勘国歌、雑歌の一首である。三四四四から三四四六歌の三首が、植物に関する歌になっている。三四四五ならびに三四四六歌もみておこう。

 

◆美奈刀能 安之我奈可那流 多麻古須氣 可利己和我西古 等許乃敝太思尓

              (作者未詳 巻十四 三四四五)

 

≪書き下し≫港(みなと)の葦(あし)が中(なか)なる玉小菅(たまこすげ)刈(か)り来(こ)吾(わ)が背子床(とこ)の隔(へだ)しに

 

(訳)川口の葦たちに交じって生い茂る小菅、あのきれいな菅を刈って来てよ、あんた。寝床の目隠しのためにさ。((伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆伊毛奈呂我 都可布河泊豆乃 佐左良乎疑 安志等比等其等 加多理与良斯毛

 

≪書き下し≫妹なろが付(つ)かふ川津(かはづ)のささら荻(をぎ)葦と人(ひと)言(ごと)語(かた)りよらしも

 

(訳)あの子がいつも居ついている川の渡し場に茂る、気持ちのよいささら荻、そんなすばらしいささら萩(共寝の床)なのに、世間の連中は、それは葦・・・悪い草だと調子に乗って話し合っているんだよな。(同上)

(注)なろ:親愛の接尾語

(注)ささら【細ら】接頭語:〔名詞に付いて〕細かい。小さい。「さざら」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」