万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1146)ー奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(106)―万葉集 巻十四 三五〇八

●歌は、「芝付の御宇良崎なるねつこ草相見ずあらずば我れ恋ひめやも」である。

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奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(106)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)


 

●歌碑(プレート)は、奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園(106)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆芝付乃 御宇良佐伎奈流 根都古具佐 安比見受安良婆 安礼古非米夜母

               (作者未詳 巻十四 三五〇八)

 

≪書き下し≫芝付(しばつき)の御宇良崎(みうらさき)なるねつこ草(ぐさ)相見(あひみ)ずあらずば我(あ)れ恋ひめやも

 

(訳)芝付(しばつき)の御宇良崎(みうらさき)のねつこ草、あの一緒に寝た子とめぐり会いさえしなかったら、俺はこんなにも恋い焦がれることはなかったはずだ(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)。

(注)ねつこぐさ【ねつこ草】〘名〙: オキナグサ、また、シバクサとされるが未詳。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典精選版 )

(注の注)ねつこ草は女性の譬え。「寝つ子」を懸ける。

(注)あひみる【相見る・逢ひ見る】自動詞:①対面する。②契りを結ぶ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒なりたち 推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 

 春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板によると、「万葉集に『ねつこぐさ』と詠まれているのは一首のみで『翁草(オキナグサ)』説が有力であるが、少数意見として『捩花(ネジバナ)』説がある。『翁草(オキナグサ)』は『猫草(ネコグサ)』・『ネコバナ』とも呼ばれ、日当たりの良い山野に生える多年草で、3月頃に新芽を出す。万葉名の由来は『猫草(ネコグサ)』がなまり『ねつこぐさ』となる。『翁草(オキナグサ)』の名の由来は、花の咲き終わった後の種子に絹糸のような光沢のある長い毛を伸ばし、その様子が『白髪の老人【翁(オキナ)】を思わせる事からである。(後略)』と書かれている。

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1102)」でも紹介している。この時は、植物解説板には、少数意見としての「ネジバナ」が書かれていた。

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オキナグサ」(「みんなの趣味の園芸」 NHK出版HPより引用させていただきました。)

 

 この歌は、巻十四「東歌」の、未勘国歌の部立「相聞」の一首である。

 未勘国歌というのは、歌の国名が編纂者にとって判明していなかったものをいう。

 巻十四の巻末に「以前歌詞未得勘知國土山川名也」<以前(さき)の歌詞は、未(いまだ)国土山川の名を勘(かむが)へ知ること得ず>によっている。

 

 このうち三四九一から三五〇八歌は、植物に寄せた歌が収録されている。

 三五〇八歌では、「ねつこ草」に「寝つ子」をかけているが、植物に寄せた東歌らしい「寝」を詠んだ歌をみてみよう。

 

 

◆兒毛知夜麻 和可加敝流弖能 毛美都麻弖 宿毛等和波毛布 汝波安杼可毛布

                  (作者未詳 巻十四 三四九四)

 

≪書き下し≫児毛知山(こもちやま)若(わか)かへるでのもみつまで寝(ね)もと我(わ)は思(も)ふ汝(な)はあどか思ふ

 

(訳)児毛知山、この山の楓(かえで)の若葉がもみじするまで、ずっと寝たいと俺は思う。お前さんはどう思うかね。(同上)

 

(注)児毛知山:一般に、奈良時代の『万葉集』に掲載されたこの東歌(巻14、3494)は、上野国群馬県)の子持山のことを詠んだものとされてきた。ただし、平安時代末期の『五代集歌枕』や『和歌色葉』(1198年頃)といった歌学書では、この和歌の主題がどこの土地のものであるかは言及していない。また、同時期の藤原清輔による『奥義抄』ではこの歌を陸奥国で詠まれたものとして解説している。(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

(注)寝も:「寝む」の東国形

(注)あど 副詞:どのように。どうして。 ※「など」の上代の東国方言か。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)もふ【思ふ】他動詞:思う。 ※「おもふ」の変化した語。(学研)

 

 「もみつまで寝もと我は思ふ」とストレートに自分の思いを打ち明け、「汝はあどか思ふ」と問いかけているのは、「嬥歌」の中で詠われたものと思われる。真っ向勝負であるので、逆に周りがおおらかにそのエネルギーを包んでしまったのではないかと考えられるのである。

(注)かがひ【嬥歌】名詞:「歌垣(うたがき)」の東国での呼び名。(学研)

(注の注)歌垣 分類文芸:古代、春か秋かに特定の地に男女が集まり、歌を詠み交わしたり踊ったりした交歓の行事。若い男女の求愛・求婚の機会ともなった。もとは豊作を祈願する宗教的行事の一面もあったが、のちには、風流な遊びとして宮廷行事にも取り入れられた。「うたがき」は筑紫(つくし)(=九州の古名)地方の言葉で、東国では「かがい(嬥歌)」といわれ、筑波(つくば)山のものが名高い。(学研)

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その468)」で紹介している。

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◆可波加美能 祢自路多可我夜 安也尓阿夜尓 左宿佐寐弖許曽 己登尓弖尓思可

                   (作者未詳 巻十四 三四九七)

 

≪書き下し≫川上(かはかみ)の根白(ねじろ)高萱(たかがや)あやにあやにさ寝(ね)さ寝(ね)てこそ言(こと)に出(で)にしか

 

(訳)川上に茂る根白高萱、その萱ではないが、あやにあやに、そう、むやみやたらにあの子と寝て寝て寝ぬいたからこそ、こんなに噂が立ってしまったんだろうなあ。(同上)

(注)上二句は序。「あや」を起こす。萱(かや)の類音によるものか。

(注)あやに【奇に】副詞:①なんとも不思議に。言い表しようがなく。②むやみに。ひどく。(学研)

(注)ねじろ【根白】:流水に洗われるなどして草木の根の白いこと。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)しか 分類連語:…か。…か、いや…でない。▽疑問・反語の意を強める。 ⇒なりたち 副助詞「し」+係助詞「か」(学研)

 

 

◆乎可尓与西 和我可流加夜能 佐祢加夜能 麻許等奈其夜波 祢呂等敝奈香母

                   (作者未詳 巻十四 三四九九)

 

≪書き下し≫岡に寄せ我(わ)が刈る萱(かや)のさね萱(かや)のまことなごやは寝(ね)ろとへなかも

 

(訳)陸の方に寄せかけ寄せかけして私が刈り進める萱、この刈り敷いたさね萱の、ほんにふかふかしているのは、さあ寝ろとでも言っているのかなあ。(同上)

(注)さねかや【さ根萱】名詞:根の付いたままのかや。 ※「さ」は接頭語。(学研)

(注)なごや【和や】名詞:やわらかいこと。和やかな状態。 ※「や」は接尾語。(学研)

(注)寝ろとへなかも:寝ろと言えるかも

(注)かも 終助詞:《接続》体言や活用語の連体形などに付く。①〔感動・詠嘆〕…ことよ。…だなあ。②〔詠嘆を含んだ疑問〕…かなあ。③〔詠嘆を含んだ反語〕…だろうか、いや…ではない。▽形式名詞「もの」に付いた「ものかも」、助動詞「む」の已然形「め」に付いた「めかも」の形で。④〔助動詞「ず」の連体形「ぬ」に付いた「ぬかも」の形で、願望〕…てほしいなあ。…ないかなあ。 ⇒参考 上代に用いられ、中古以降は「かな」。(学研)

 

 さわやかな、まるでベッドのコマーシャルのような響きの微笑ましい歌である。今様に言えば、「まことなごやは寝ろとへなかや」であるかも。

 

 

◆牟良佐伎波 根乎可母乎布流 比等乃兒能 宇良我奈之家乎 祢乎遠敝奈久尓

                   (作者未詳 巻十四 三五〇〇)

 

≪書き下し≫紫草(むらさき)は根をかも終(を)ふる人の子のうら愛(がな)しけを寝(ね)

を終へなくに

 

(訳)紫草は根を終えることがあるのかなあ。この俺は、あの女子(おなご)のいとしくってならない奴、あいつとの寝を終えてもいないのにさ。(同上)

(注)寝を終へなくに:あいつとの共寝を存分に尽くしていないのに。「根」と「寝」との語呂合わせに興じた歌。

 

 歌全体のしみじみさに、東歌っぽく詠った都人の歌のように感じてしまう。

 

 

◆波流敝左久 布治能宇良葉乃 宇良夜須尓 左奴流夜曽奈伎 兒呂乎之毛倍婆

                  (作者未詳 巻十四 三五〇四)

 

≪書き下し≫春へ咲く藤(ふぢ)の末葉(うらば)のうら安(やす)にさ寝(ぬ)る夜(よ)ぞなき子ろをし思(も)へば

 

(訳)春の盛りの今しきりに咲き誇る藤、その藤を覆う末葉ではないが、心(うら)安らかに寝る夜など一夜とてない。あの子のことばかりを思うと。(同上)

(注)上二句は序。同音で「うら安に」を起こす。

(注)さぬ【さ寝】自動詞:①寝る。②男女が共寝をする。 ※「さ」は接頭語。(学研)

 

 この歌の「さ寝る」について、伊藤 博氏は脚注で、「独り寝に用いた東歌唯一の例」と書かれている。

 

 この歌も、前歌同様表現のスマートさに東歌かと疑ってしまう。

 

 

◆宇知比佐都 美夜能瀬河泊能 可保婆奈能 孤悲天香眠良武 伎曽母許余比毛

                  (作者未詳 巻十四 三五〇五)

 

≪書き下し≫うちひさつ美夜能瀬川(みやのせがは)のかほ花(ばな)の恋(こ)ひてか寝(ね)らむ昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も

 

(訳)美夜能瀬(みやのせ)川の川辺に咲くかお花のように、あの子は私に恋い焦がれてひとりさびしく寝ていることであろう。夕べも今夜も。(同上)

(注)上三句は序。「恋ひ寝」を起こす。

(注)きそ>きぞ【昨・昨夜】名詞:昨日。昨夜。 ※東国方言は「きそ」とも。上代語。(学研)

 

 「美夜能瀬川」は東国の川の名であると思われ(未勘国歌)、「きそ」と東国方言を使っているので、「東歌」ではあるが、歌のトーンは都人の作のように思えてしまう。

 

 三三七六、三四二二、三四五五、三四七五、三四七七、三五六六、三五六八歌のように東歌では「恋」は、万葉仮名で「古非」と書かれている。

 ところが、三五〇七歌の「恋」にあたる万葉仮名は「孤悲」と書かれている。まさに「ひとり悲しむ」心境に感じ入った書き手の遊び心かもしれない。

 こういったところににも潜んでいる万葉集の魅力、探り当てた単なる自己満足ではあるが、ささやかなご褒美を与えてくれる万葉集であるので日々続けられるのであろう。感謝、感謝、感謝である。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「春日大社神苑萬葉植物園・植物解説板」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典精選版」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「みんなの趣味の園芸」 (NHK出版HP)

★「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」