万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1893~1895)―松山市御幸町 護国神社・万葉苑(58,59,60)―万葉集 巻十四 三四四四、巻十六 三八二九、巻十六 三八三四

―その1893―

●歌は、「伎波都久の岡の茎韮我れ摘めど籠にも満たなふ背なと摘まさね」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(58)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(58)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆伎波都久乃 乎加能久君美良 和礼都賣杼 故尓毛美多奈布 西奈等都麻佐祢

        (作者未詳 巻十四 三四四四)

 

≪書き下し≫伎波都久(きはつく)の岡(おか)の茎韮(くくみら)我(わ)れ摘めど籠(こ)にも満(み)たなふ背(せ)なと摘まさね

 

(訳)伎波都久(きわつく)の岡(おか)の茎韮(くくみら)、この韮(にら)を私はせっせと摘むんだけれど、ちっとも籠(かご)にいっぱいにならないわ。それじゃあ、あんたのいい人とお摘みなさいな。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)茎韮(くくみら):ユリ科のニラの古名。コミラ、フタモジの異名もある。中国の南西部が原産地。昔から滋養分の多い強精食品として知られる。(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

(注)なふ 助動詞特殊型:《接続》動詞の未然形に付く。〔打消〕…ない。…ぬ。 ※上代の東国方言。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

上四句と結句が二人の女が唱和する形になっている。韮摘みの歌と思われる。

 

 「茎韮(くくみら)」は、万葉集ではこの1首のみに詠われている。

 

伎波都久の岡は、常陸国真壁(まかべ)郡のどこかにあったといわれている。

 島根県益田市西平原町 鎌手公民館にこの歌碑が立てられている。歌碑の解説案内板にあるように、「鎌手山あたりは、人麿の時代には伎波都久の岡と呼ばれていたという。」そして「人麿にあやかって」この歌碑を立てた旨が書かれている。

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1182)」で紹介している。

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―その1894―

●歌は、「醤酢に蒜搗き合てて鯛願ふ我にな見えそ水葱の羹は」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(59)万葉歌碑<プレート>(長忌寸意吉麻呂))



●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(59)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿所見 水葱乃▼物

        (長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二九)

 ※▼は、「者」の下が「灬」でなく「火」である。「▼+物」で「あつもの」

 

≪書き下し≫醤酢(ひしほす)に蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて鯛願ふ我(われ)にな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)は

 

(訳)醤(ひしお)に酢を加え蒜(ひる)をつき混ぜたたれを作って、鯛(たい)がほしいと思っているこの私の目に、見えてくれるなよ。水葱(なぎ)の吸物なんかは。(同上)

 

「長忌寸意吉麻呂歌八首」<長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が歌八首>の中の一首で、題詞は、「詠酢醤蒜鯛水葱歌」<酢(す)、醤(ひしほ)、蒜(ひる)、鯛(たひ)、水葱(なぎ)を詠む歌>である。

 

この歌には、「蒜」と「水葱」の二つの植物名が出ている。万葉集では、いずれもこの一首でのみ詠われている。

 

長忌寸意吉麻呂の歌は、十四首が収録されている。全歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その987)」で紹介している。

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―その1895―

●歌は、「梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢はむと葵花咲く」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(60)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(60)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆成棗 寸三二粟嗣 延田葛乃 後毛将相跡 葵花咲

       (作者未詳 巻十六 三八三四)

 

≪書き下し≫梨(なし)棗(なつめ)黍(きみ)に粟(あは)つぎ延(は)ふ葛(くず)の後(のち)も逢(あ)はむと葵(あふひ)花咲く

 

(訳)梨、棗、黍(きび)、それに粟(あわ)と次々に実っても、早々に離れた君と今は逢えないけれど、延び続ける葛のようにのちにでも逢うことができようと、葵(逢ふ日)の花が咲いている。(同上)

(注)はふくずの「延(は)ふ葛(くず)の」枕詞:延びていく葛が今は別れていても先で逢うことがあるように、の意で「後も逢はむ」の枕詞になっている。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1138)」で紹介している。

宴席の戯れ歌、物名歌である。この歌に詠われている、「梨(なし)・棗(なつめ)・黍(きみ)・粟(あは)・葛(くず)・葵(あふひ)」について万葉集で何首位収録されているかも見ている。

 

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 巻十六の歌が、その1894、1895と続いたが、このように、いろいろな物を詠み込む古今集で言われる「物名歌」の源流をなすものがいくつか収録されている。

 巻十七から巻二十は、大伴家持の歌を中心に歌日記的に配列して構成されている。明らかに、巻一から巻十六との断層がある。

 万葉集における巻十六の位置づけをみてみよう。

 

 巻十五と十六は、いわば特殊な歌を集めたもので、巻一から巻十六を第一部と称すれば、第一部の附属部的性格を有しているといえるのである。

 巻十五は、遣新羅使に関する歌群(三五七八~三七二二歌)と中臣宅守・狭野弟上娘子の贈答歌群(三七二三~三七八五歌)のドキュメンタリータッチの二歌群から構成され、巻十六は、「異常な因縁に支えられたおもしろおかしい短編歌物語を数々収めた歌巻である」(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫

「巻十五には、これまでのどの巻にもあった部立がない。第一部は巻十五に至ってはじめて部立を設けなかったわけで、これは、巻十五が特殊な歌巻として待遇された証拠である。もっとも、巻十六には、『由縁有る雑歌』という部立が冠されている。しかしこれは、巻十五本当時、それが付録であることを示す外題であったものが、万葉集の一巻として昇格した時に内題化したことによるものと見られる。巻十五・十六は、万葉集第一部において、あくまで附属的な特殊歌巻であると認めてよい。」(同上)

 巻十六には、三八二九・三八三四歌のような、ある意味「おもしろおかしい短編歌」が収録され、第一部のトリをなしているのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」