万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1911~1913)―松山市御幸町 護国神社・万葉苑(76,77,78)―万葉集 巻七 一三五一、巻十四 三三七八、巻十九 四二七〇

―その1911

●歌は、「月草に衣ぞ染むる君がため斑の衣摺らむと思ひて」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(76)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(76)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆月草尓 衣者将揩 朝露尓 所沾而後者 徙去友

       (作者未詳 巻七 一三五一)

 

≪書き下し≫月草(つきくさ)に衣(ころも)は摺(す)らむ朝露(あさつゆ)に濡(ぬ)れての後(のち)はうつろひぬとも

 

(訳)露草でこの衣は摺染(すりぞ)めにしよう。朝露に濡れたそののちは、たたえ色が褪(あ)せてしまうことがあるとしても。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は、結婚を諸諾する意。(伊藤脚注)

(注)濡れての後は:結婚してのちは。(伊藤脚注)

 

 この歌ならびに「つきくさ」を詠んだ歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1207)」で紹介している。

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 この歌の様に、万葉集では、露草で摺染めといったように「染め」に用いられる植物を詠った歌が数多くある。

 万葉集の中で「染め」にふれている歌は120首ぐらい、「染め」の登場する歌は90首、うち植物が詠われているのは70首ほどである。

 また、「枕詞」に用いられている歌は25首である。

 

 「染め」に関する植物の代表的な歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1306)」で紹介している。

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 この稿では、「枕詞」(くれなゐの、むらさきの、あかねさす、つきくさの、はねずいろの)として用いられている植物に関する歌をいくつかみてみよう。

■■くれなゐの■■

 くれなゐの【紅の】分類枕詞:紅色が鮮やかなことから「いろ」に、紅色が浅い(=薄い)ことから「あさ」に、紅色は花の汁を移し染めたり、振り出して染めることから「うつし」「ふりいづ」などにかかる。(学研)

 

■巻四 六八三歌■

題詞は、「大伴坂上郎女歌七首」<大伴坂上郎女が歌七首>である。

 

◆謂言之 恐國曽 紅之 色莫出曽 念死友

       (大伴坂上郎女 巻四 六八三)

 

≪書き下し≫言(い)ふ言(こと)の畏(かしこ)き国ぞ紅(くれなゐ)の色にな出(い)でそ思ひ死ぬとも

 

(訳)他人(ひと)の噂のこわい国がらです。だから思う気持ちを顔色に出してはいけません、あなた。たとえ思い死にをすることがあっても。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)紅の:「色に出づ」の枕詞。(伊藤脚注)

 

■巻七 一三四三■

◆事痛者 左右将為乎 石代之 野邊之下草 吾之苅而者 <一云 紅之 寫心哉 於妹不相将有

       (作者未詳 巻七 一三四三)

 

≪書き下し≫言痛(こちた)くはかもかもせむを岩代(いはしろ)の野辺(のへ)の下草(したくさ)我(わ)れし刈りてば<一には「紅の現(うつ)し心や妹に逢はずあらむ」といふ

 

(訳)世間の口が気になるというのであれば、ああもこうもしよう。岩代の野辺の下草、その下草を私が刈ってしまったそのあとでなら。<正気のままであなたに逢わないでいられようか、とてもいられない>(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

■■むらさきの■■

むらさきの【紫の】( 枕詞 ):①植物のムラサキで染めた色のにおう(=美シクカガヤク)ことから、「にほふ」にかかる。②ムラサキは染料として名高いことから、地名「名高(なたか)」にかかる。 ③ムラサキは濃く染まることから、「こ」にかかる。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

■巻七 一三九六■

紫之 名高浦乃 名告藻之 於礒将靡 時待吾乎

      (作者未詳 巻七 一三九六)

 

≪書き下し≫紫(むらさき)の名高(なたか)の浦(うら)のなのりその礒に靡(なび)かむ時待つ我(わ)れを

 

(訳)名高の浦に生えるなのりその磯に靡く時、その時をひたすら待っている私なのだよ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)むらさきの【紫の】( 枕詞 ):①植物のムラサキで染めた色のにおう(=美シクカガヤク)ことから、「にほふ」にかかる。②ムラサキは染料として名高いことから、地名「名高(なたか)」にかかる。 ③ムラサキは濃く染まることから、「こ」にかかる。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)なのりそ 名詞:海藻のほんだわらの古名。正月の飾りや、食用・肥料とする。 ※和歌では「な告(の)りそ(=告げるな)」の意をかけて用い、また、「名(な)」を導く序詞(じよことば)の一部を構成する。(学研)

 

「名高」、「なのりそ」、「靡く」と「な」がリズミカルにひびく歌である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その765)」で紹介している。

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■■あかねさす■■

あかねさす【茜さす】分類枕詞:赤い色がさして、美しく照り輝くことから「日」「昼」「紫」「君」などにかかる。(学研)

 

安可祢佐須 比流波毛能母比 奴婆多麻乃 欲流波須我良尓 祢能未之奈加由

       (中臣宅守 巻十五 三七三二)

 

≪書き下し≫あかねさす昼は物思(ものも)ひぬばたまの夜(よる)はすがらに音(ね)のみし泣かゆ

 

(訳)明るい昼は昼で物思いに耽(ふけ)るばかり、暗い夜は夜で夜どおし声をあげて泣けてくることばかり。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)すがらに 副詞:途切れることなく、ずっと。 ⇒参考:ふつう「夜」について用いる。(学研) ちなみに、昼は「しみらに」という。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1647)」で紹介している。

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■■つきくさの■■

つきくさの【月草の】分類枕詞:月草(=つゆくさ)の花汁で染めた色がさめやすいところから「移ろふ」「移し心」「消(け)」などにかかる。(学研)

 

◆内日刺 宮庭有跡 鴨頭草之 移情 吾思名國

       (作者未詳 巻十二 三〇五八)

 

≪書き下し≫うちひさす宮にはあれど月草(つきくさ)のうつろふ心我(わ)が思はなくに

 

(訳)はなやかな宮廷に仕えている身ではあるけれど、色のさめやすい露草のように移り気な心、そんな心で私は思っているわけではないのに。(同上)

(注)うちひさす【打ち日さす】分類枕詞:日の光が輝く意から「宮」「都」にかかる。(学研)

 

 

■■はねずいろの■■

はねずいろの【はねず色の】分類枕詞:はねず(=植物の名)で染めた色がさめやすいところから「移ろひやすし」にかかる。(学研)

 

唐棣花色之 移安 情有者 年乎曽寸経 事者不絶而

        (作者未詳 巻十二 三〇七四)

 

≪書き下し≫はねず色のうつろひやすき心あれば年をぞ来(き)経(ふ)る言(こと)は絶えずて

 

(訳)変わりやすいはねずの花の色のような移り気な心をお持ちなので、お逢いできないまま年月を過ごしてきましたが。言伝てだけは絶やさずに。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)年をぞ来経る:相手が移り気なので結婚の決心もつかめぬまま年を過ごした。(伊藤脚注)

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1168)」で紹介している。

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―その1912―

●歌は、「入間道の於保屋が原のいはゐつら引かばぬるぬる我にな絶えそね」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(77右)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(77)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆伊利麻治能 於保屋我波良能 伊波為都良 比可婆奴流ゝゝ 和尓奈多要曽祢

      (作者未詳 巻十四 三三七八)

 

≪書き下し≫入間道(いりまぢ)の於保屋(おほや)が原(はら)のいはゐつら引かばぬるぬる我(わ)にな絶(た)えそね

 

(訳)入間の地の於保屋(おおや)が原のいわい葛(づら)のように、引き寄せたならそのまま滑らかに寄り添って寝て、私との仲を絶やさないようにしておくれ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)於保屋が原:入間郡越生町大谷あたりか。(伊藤脚注)

(注)上三句は序。「引かばぬるぬる」を起こす。(伊藤脚注)

(注)ぬる 自動詞:ほどける。ゆるむ。抜け落ちる。(学研) 「寝る」を懸ける。

                           

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1132)」で紹介している。

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―その1913-

●歌は、「葎延ふ賤しきやども大君の座さむと知らば玉敷かましを」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(78左)万葉歌碑<プレート>(橘諸兄

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(78)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「十一月八日在於左大臣朝臣宅肆宴歌四首」<十一月の八日に、左大臣朝臣(たちばなのあそみ)が宅(いへ)に在(いま)して肆宴(しえん)したまふ歌四首>である。(注)肆宴(しえん):宮中等の公的な宴のこと。

 

◆牟具良波布 伊也之伎屋戸母 大皇之 座牟等知者 玉之可麻思乎

                (橘諸兄 巻十九 四二七〇)

 

≪書き下し≫葎(むぐら)延(は)ふ賤(いや)しきやども大君(おほきみ)の座(ま)さむと知らば玉敷かまし

 

(訳)葎の生い茂るむさくるしい我が家、こんな所にも、大君がお出まし下さると存じましたなら、前もって玉を敷きつめておくのでしたのに。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

 左注は、「右一首左大臣橘卿」<右の一首は左大臣橘卿(たちばなのまへつきみ)>である。

 

 この歌については橘諸兄の所縁の地、京都府綴喜郡井手町の六角井戸の歌碑とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その190改)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集にあらわされた染め」 清水裕子・佐々木和也 稿 

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」