<大阪府南部>
■大阪府柏原市上市 大和川治水記念公園万葉歌碑(巻九 一七四二・一七四三)
●歌をみていこう。
題詞は、「見河内大橋獨去娘子歌一首并短歌」<河内(かふち)の大橋を独り行く娘子(をとめ)を見る歌一首并(あは)せて短歌>である。
◆級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従 紅 赤裳數十引 山藍用 摺衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久
(高橋虫麻呂 巻九 一七四二)
≪書き下し≫しなでる 片足羽川(かたしはがは)の さ丹(に)塗(ぬ)りの 大橋の上(うへ)ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 山藍(やまあゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただひとり い渡らす子は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の ひとりか寝(ぬ)らむ 問(と)はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)が 家の知らなく
(訳)ここ片足羽川のさ丹塗りの大橋、この橋の上を、紅に染めた美しい裳裾を長く引いて、山藍染めの薄青い着物を着てただ一人渡って行かれる子、あの子は若々しい夫がいる身なのか、それとも、橿の実のように独り夜を過ごす身なのか。妻どいに行きたいかわいい子だけども、どこのお人なのかその家がわからない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)「しなでる」は片足羽川の「片」にかかる枕詞とされ、どのような意味かは不明です。(「歌の解説と万葉集」柏原市HP)
(注)「片足羽川」は「カタアスハガハ」とも読み、ここでは「カタシハガハ」と読んでいます。これを石川と考える説もありますが、通説通りに大和川のことで間違いないようです。(同上)
(注)さにぬり【さ丹塗り】名詞:赤色に塗ること。また、赤く塗ったもの。※「さ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)くれなゐの【紅の】分類枕詞:紅色が鮮やかなことから「いろ」に、紅色が浅い(=薄い)ことから「あさ」に、紅色は花の汁を移し染めたり、振り出して染めることから「うつし」「ふりいづ」などにかかる。(学研)
(注)やまあい【山藍】:トウダイグサ科の多年草。山中の林内に生える。茎は四稜あり、高さ約40センチメートル。葉は対生し、卵状長楕円形。雌雄異株。春から夏、葉腋ようえきに長い花穂をつける。古くは葉を藍染めの染料とした。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)
(注)わかくさの【若草の】分類枕詞:若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などにかかる。(学研)
(注)かしのみの【橿の実の】の解説:[枕]樫の実、すなわちどんぐりは一つずつなるところから、「ひとり」「ひとつ」にかかる。(goo辞書)
短歌もみてみよう。
◆大橋之 頭尓家有者 心悲久 獨去兒尓 屋戸借申尾
(高橋虫麻呂 巻九 一七四三)
≪書き下し≫大橋の頭(つめ)にあらば悲しくひとり行く子に宿貸さましを
(訳)大橋のたもとに私の家があったらわびしげに一人行くあの子に宿を貸してあげたいのだが・・・。(同上)
(注)頭>つめ【詰め】名詞:端(はし)。きわ。橋のたもと。(学研)
(注)ま悲しく:見た目にも悲しそうに。「ま愛(かな)し」の意もこもるか。(伊藤脚注)
山藍は、青といっても色は薄く野生の藍をいったもので、中国等から渡来した藍染用の藍とは異なる。歌の「さ丹(に)塗(ぬ)りの 大橋の上(うへ)ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 山藍(やまあゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て」の箇所は、さながら色鮮やかな絵画である。
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1033)」で紹介している。
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■大阪府藤井寺市市岡 藤井寺市役所万葉歌碑(巻六 一〇一二)■
●歌をみていこう。
◆春去者 乎呼理尓乎呼理 鸎之 鳴吾嶋曽 不息通為
(作者未詳 巻六 一〇一二)
≪書き下し≫春さればををりにををりうぐひすの鳴く我が山斎ぞやまず通はせ
(訳)春ともなれば、枝も撓むばかりに梅の花が咲き乱れ、鶯が来て鳴く我が家の庭園です。その時になったら、欠かさずに通ってください。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)ををり【撓り】名詞:花がたくさん咲くなどして、枝がたわみ曲がること(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)しま【島】名詞:①周りを水で囲まれた陸地。②(水上にいて眺めた)水辺の土地。
③庭の泉水の中にある築山(つきやま)。また、泉水・築山のある庭園。 ※「山斎」とも書く。(学研) ここでは③の意
題詞は、「冬十二月十二日歌儛所之諸王臣子等集葛井連廣成家宴歌二首<冬の十二月の十二日に、歌儛所(うたまひどころ)の諸王(おほきみたち)・臣子等(おみこのたち)、葛井連廣成(ふぢゐのむらじひろなり)が家に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌二首>」である。
(注)うたまひどころ【歌舞所】:奈良時代ごろの歌舞をつかさどった役所。大宝令にある雅楽寮の一部か、別の役所かは不明。日本固有の歌舞を扱ったらしい。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
『前文』比来古儛盛興 古歳漸晩 理宜共盡古情同唱古歌 故擬此趣輙獻古曲二節 風流意氣之士儻有此集之中 争發念心ゝ和古體
<前文の書き下し>比来(このころ)、古儛(こぶ)盛(さかり)に興(おこ)りて、古歳(こさい)漸(やくやく)に晩(く)れぬ。理(ことはり)に、ともに古情(こじやう)を尽(つく)し、同じく古歌を唱(うた)ふべし。故(ゆゑ)に、この趣(おもぶき)に擬(なずら)へて、すなはち古曲(こきょく)二節を獻(たてまつ)る。風流(ふうりう)意気(いき)の士、たまさかにこの集(つど)ひの中にあらば、争(いそ)ひて念(おもひ)を発(おこ)し、心々(こころこころ)に古体(こたい)に和(わ)せよ。>である。
(注)古儛:日本古来の舞。倭舞、筑紫舞等。(伊藤脚注)
(注)ことわりなり【理なり】形容動詞:もっともだ。道理だ。当然だ。(学研)
(注)この趣(おもぶき)に擬(なずら)へて:この趣旨に準じて。(伊藤脚注)
(注)古曲(こきょく)二節:一〇一一・一〇一二歌のこと。
(注)風流(ふうりう)意気(いき)の士:みやびを解する心ばえ高き人。(伊藤脚注)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その452)」で紹介している。
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■大阪府富田林市 彼方小学校万葉歌碑(巻十一 二六八三)■
●歌をみていこう。
◆彼方之 赤土少屋尓 ▼霂零 床共所沾 於身副我妹
(作者未詳 巻十一 二六八三)
▼:「雨かんむりの下に泳+霂」=「こさめ」
≪書き下し≫彼方(をちかた)の埴生(はにふ)の小屋(をや)に小雨(こさめ)降り床(とこ)さへ濡れぬ身に添(そ)へ我妹(わぎも)
(訳)人里離れたこの埴生(はにゅう)の野小屋に、小雨が降り注いで寝床までも濡れてしまった。この身にぴったり寄り添うのだぞ、お前。((伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)をちかた【彼方・遠方】名詞:遠くの方。向こうの方。あちら。(学研)
(注)埴生(はにふ)の小屋(をや):土間の土の上に筵(むしろ)などを敷いただけの小さい家。また、土で塗っただけの小さい家。転じて、みすぼらしい粗末な家。また、自分の家をへりくだっていうのにも用いる。埴生の宿。埴生。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その462)」で紹介している。
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■大阪府羽曳野市飛鳥 近鉄南大阪線の上ノ太子駅前万葉歌碑(巻十 二二一〇)■
●歌をみていこう。
◆明日香河 黄葉流 葛木 山之木葉者 今之落疑
(作者未詳 巻十 二二一〇)
≪書き下し≫明日香川(あすかがは)黄葉(もみちば)流る葛城(かづらぎ)の山の木(こ)の葉は今し散るらし
(訳)明日香川にもみじが流れている。この分では、葛城(かつらぎ)の山の木の葉は、今頃しきりに散っていることであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)明日香川>飛鳥川:太子町大字山田の神山付近を水源とし、ほぼ全域が国道166号(竹内街道)に沿って北西方向へ流れ、途中の羽曳野市飛鳥では集落の中を国道に張り付くように流れる。羽曳野市川向で石川に合流する。飛鳥川沿岸の地域は通称「河内飛鳥(近つ飛鳥)」とよばれる。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その456)」で紹介している。
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この歌の歌碑は太子町役場にもある。
■大阪府堺市大仙町 仁徳陵西側遊歩道(1)万葉歌碑(巻二 八七)■
●歌をみていこう。
◆在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪尓 霜乃置萬代日
(磐姫皇后 巻二 八七)
≪書き下し≫ありつつも君をば待たむうち靡(なび)く我が黒髪(くろかみ)に霜の置くまでに
(訳)やはりこのままいつまでもあの方をお待ちすることにしよう。長々と靡くこの黒髪が白髪に変わるまでも。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)在りつつも(読み)アリツツモ[連語]:いつも変わらず。このままでずっと。(コトバンク デジタル大辞泉)
(注)霜を置く(読み)しもをおく:白髪になる。霜をいただく。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1034~1037)」で紹介している。
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仁徳陵西側遊歩道には、この八七歌の碑を中心に5つの歌碑が並んでいる。
■大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町 方違神社万葉歌碑(巻七 一三六七)■
●歌をみていこう
題詞は、「寄獣」<獣に寄す>である。
◆三國山 木末尓住歴 武佐左妣乃 此待鳥如 吾俟将痩
(作者未詳 巻七 一三六七)
≪書き下し≫三国山(みくにやま)木末(こぬれ)に棲まふむささびの鳥待つごとく我(あ)
れ待ち痩(や)せむ
(訳)三国山の梢(こずえ)に棲(す)んでいるむささびが鳥を待つように、私はあの人を待ってやつれてしまうことであろう。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)男を待つ女心を詠っている。(伊藤脚注)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1039)」で紹介している。
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この歌の歌碑は、福井県坂井市 三国神社裏桜谷公園にもある。こちらは、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1378)」で紹介している。
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■大阪府堺市中区上之 陶荒田神社万葉歌碑(巻十一 二六三八)■
●歌をみていこう。
◆梓弓 末之腹野尓 鷹田為 君之弓食之 将絶跡念甕屋
(作者未詳 巻十一 二六三八)
≪書き下し≫梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)のはら野(の)に鳥猟(とがり)する君が弓絃(ゆづる)の絶えむと思へや
(訳)末の原野で鷹狩をする我が君の弓の弦が切れることなどないように、二人の仲が切れようなどとはとても思えない。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)あづさゆみ【梓弓】分類枕詞:①弓を引き、矢を射るときの動作・状態から「ひく」「はる」「い」「いる」にかかる。②射ると音が出るところから「音」にかかる。③弓の部分の名から「すゑ」「つる」にかかる。(学研)
(注)上四句は序。「絶えむと思へや」に対する譬喩。(伊藤脚注)
(注)末(すゑ):和泉(大阪府南部)の陶邑か。(伊藤脚注)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1040)」で紹介している。
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■大阪府泉南郡岬町 深日漁港北万葉歌碑(巻十二 三二〇一)■
●歌をみていこう。
◆時風 吹飯乃濱尓 出居乍 贖命者 妹之為社
(作者未詳 巻十二 三二〇一)
≪書き下し≫時つ風吹飯(ふけひ)の浜に出(い)で居(ゐ)つつ贖(あか)ふ命は妹がためこそ
(訳)時つ風が吹くという名の吹飯の浜に出ては、海の神に幣帛(ぬさ)を捧げて無事を一心に祈るこの命は、誰のためでもない、いとしいあの子のためなのだ。(同上)
(注)ときつかぜ【時つ風】名詞:①潮が満ちて来るときなど、定まったときに吹く風。
②その季節や時季にふさわしい風。順風。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。
(注)ときつかぜ【時つ風】分類枕詞:定まったときに吹く風の意から「吹く」と同音を含む地名「吹飯(ふけひ)」にかかる。(学研)
(注)吹飯の浜:大阪府の南端、泉南郡岬町深日の海岸。淡路に渡るのに近い所。(学研)
(注)あかふ>あがふ【贖ふ】他動詞:①金品を代償にして罪をつぐなう。贖罪(しよくざい)する。②買い求める。 ※上代・中古には「あかふ」。後に「あがなふ」とも。(学研)
(注の注)ここは、神に幣帛(ぬさ)を捧げて、加護を祈る意。
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1202)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 上・中・下」 犬養 孝 著 (平凡社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」