●歌は、「三国山木末に棲まふむささびの鳥待つごとく我れ待ち痩せむ」である。
●歌をみていこう。
題詞は、「寄獣」<獣に寄す>である。
◆三國山 木末尓住歴 武佐左妣乃 此待鳥如 吾俟将痩
(作者未詳 巻七 一三六七)
≪書き下し≫三国山(みくにやま)木末(こぬれ)に棲まふむささびの鳥待つごとく我(あ)れ待ち痩(や)せむ
(訳)三国山の梢(こずえ)に棲(す)んでいるむささびが鳥を待つように、私はあの人を待ってやつれてしまうことであろう。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
万葉集に「むささび」が詠われているので、その名の由来を調べてみた。
「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」に次のような記載があったので引用させていただく。
「文献記述としては、『万葉集』ですでにみられ、267番の歌では『牟佐々婢』、1028番では『牟射佐毗』、1367番では『武佐左妣』などと表記される。ムササビという語源については、中村浩の著『動物名の由来』(東京書籍)において、小ささから「身細(むささ)び」と呼んだとする(身を「ム」と読むのは「ムクロ」と同じであり、小さいを「ササ」と呼ぶのは竹やさざ波と同じ)。特に『万葉集』1367番の内容は、「ムササビが鳥を待つように私も(あなたを)待って痩せてしまう」といったもので、身細=ムササとかけている。」
上記にあった二六七、一〇二八歌をみてみよう。
◆牟佐ゝ婢波 木末求跡 足日木乃 山能佐都雄尓 相尓来鴨
(志貴皇子 巻三 二六七)
≪書き下し≫むささびは木末(こぬれ)求(もと)むとあしひきの山のさつ男(を)にあひにけるかも
(訳)巣から追い出されたむささびは、梢(こずえ)を求めて幹を駆け登ろうとして、あしひきの山の猟師に捕えられてしまった。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)さつを【猟夫】名詞:猟師(りようし)。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その29改)」で紹介している。(元の原稿を書いたのが2019年4月1日であり、この日、新元号「令和」が発表されたのであった。初期のブログであったのでタイトル写真には朝食の写真が掲載されていますが、「改」では、朝食の写真ならびに関連記事を削除し、一部改訂しております。)
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次は、一〇二八歌である。
題詞は、「十一年己卯 天皇遊獦高圓野之時小獣泄走都里之中 於是適値勇士生而見獲即以此獣獻上御在所副歌一首<獣名俗曰牟射佐妣>」<十一年己卯(つちのとう)に、天皇(すめらみこと)、高円(たかまと)の野に遊猟(みかり)したまふ時に、小さき獣(けもの)都里(みやこ)の中に泄走(せつそう)す。ここにたまさかに勇士に逢ひ、生きながらにして獲(と)らえぬ。すなはち、この獣をもちて御在所(いましところ)に献上(たてまつ)るに副(そ)ふる歌一首<獣の名は、俗には「むざさび」といふ>
(注)高円の野:奈良市東南部の丘陵地帯。春日山の南。聖武天皇の離宮があった。
(注)泄走:囲みから逃走する意。「泄」は去る。
(注)むざさび:むささび
◆大夫之 高圓山尓 迫有者 里尓下来流 牟射佐毗曽此
(大伴坂上郎女 巻六 一〇二八)
≪書き下し≫ますらをの高円山(たかまとやま)に迫(せ)めたれば里に下(お)り来(け)るむざさびぞこれ
(訳)お手許(てもと)のますらお方(かた)が高円山で追いつめましたので、この里に下りて来たむささびでございます、これは。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
左注は、「右一首大伴坂上郎女作之也 但未逕奏而小獣死斃 因此獻歌停之」<右の一首は、大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)作る。 ただし、いまだ奏(そう)を経(へ)ずして小さき獣死斃(し)ぬ。 これによりて歌を献(たてまつ)ること停(や)む。>である。
むささび一匹で大騒ぎとなったようであるが、なんともほほえましい光景であろう。歌を奉ることを止めたとまで万葉集に記載されているところにも万葉集の魅力が隠されているように思える。
方違(ほうちがい)神社については、同神社HPの「由緒」に次のように書かれている。
「当神社奉斎地は「三国山こずえに住まふむささびの鳥まつがごとわれ待ち痩せむ」と『万葉集』にも歌われているごとく、摂津、河内、和泉の三国の境界なるが故に、“三国山”また“三国丘”とも称され、この三国の境(ちなみに“堺”の地名はこれに由来する)で何処の国にも属さない方位の無い清地であるという考え方に依り、その境内の御土と菰の葉にて作られた粽は悪い方位を祓うという信仰を以て、古きより方災除の神として御神徳を仰ぐ参詣者が全国より訪れます。」
事前に調べておいた通り、鳥居をくぐるとすぐ駐車場である。
歌碑を探しながら境内をぶらつく。社殿の裏側も探すも見つからず。結局、社務所に行き、飛沫防止の透明軟質ビニールカーテン越しに巫女さんに尋ねる。なんと鳥居の外、道路際にある。「方違神社」名碑の側面に歌は刻されていた。神社の歌碑は境内と思い込んでいたが、方違ならぬ、まったくお門違いであった。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」
★「方違神社HP」