万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その29改)―奈良県ヘリポートの東側―万葉集 巻三 二六七 <本日新元号『令和』が発表された>

●今日は、新元号が発表された。「令和」である。うれしいことに、出典は万葉集であった。

 

●歌は、「鼯鼠(むささび)は木末(こぬれ)求むとあしひきの 山の獵夫 (さつお)にあひにけるかも」である。

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田原春日野 奈良県ヘリポート東 万葉歌碑(志貴皇子

●歌碑は、奈良県ヘリポートの東側の池の端にある。 

 

●歌をみていこう。

 

◆牟佐ゝ婢波 木末求跡 足日木乃 山能佐都雄尓 相尓来鴨

                  (志貴皇子 巻三 二六七)

 

≪書き下し≫むささびは木末(こぬれ)求(もと)むとあしひきの山のさつ男(を)にあひにけるかも

 

(訳)巣から追い出されたむささびは、梢(こずえ)を求めて幹を駆け登ろうとして、あしひきの山の猟師に捕えられてしまった。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)さつを(猟夫):猟師

 

 何か童話か童謡の世界の歌の感じがする。しかし、このムササビは誰で、木末(こぬれ)は誰で、山の猟師は誰かと考えると、重大な歴史的なことを言っているのかもしれないとも思える。

 

 志貴皇子の歌は万葉集には六首収録されている。前日のブログ<万葉歌碑を訪ねて―その28―(志貴皇子)>で、三首(五一、六四 一四一八歌)を紹介したので、歌碑の歌(二六七歌)の他二首を紹介する。

 

◆大原之 此市柴乃 何時鹿跡 吾念妹尓 今夜相有香裳

              (志貴皇子 巻四 五一三)

 

≪書き下し≫大原のこのいち柴のいつしかと我(あ)が思ふ妹に今夜(こよひ)逢へるかも

 

(訳)大原のこの茂りに茂ったいち柴ではないが、いつ逢えるか何とか早くと思いつづけていたあなたに、今夜という今夜はとうとう逢うことができました。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)大原:奈良県高市郡明日香村

(注)上二句は序。類音で「いつしかと」を起こす。 

 

◆神名火乃 磐瀬乃杜之 霍公鳥 毛無乃岳尓 何時来将鳴

                  (志貴皇子 巻八 一四六六)

 

≪書き下し≫神(かむ)なびの石瀬(いはせ)の社(もり)のほととぎす毛無(けなし)の岡にいつか来鳴かむ

 

(訳)神なびの石瀬の森の時鳥(ほととぎす)よ、この時鳥は、毛無(けなし)の岡にはいつ来て鳴いてくれるのであろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)かむなび【神奈備】名詞:神が天から降りてきてよりつく場所。山や森など。「かみなび」「かんなび」ともいう。(学研)

 この歌も、何かを例えているようには思えるが定かではない。

 

 

⦿⦿⦿今日、新元号が「令和」に決まった。出典は、萬葉集とある⦿⦿⦿

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元号「令和」

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出典は万葉集とある

 

 万葉集、巻五 八一五~八四六までの三二種の、題詞は、「梅花歌卅二首幷序」である。この序文が」出典となったようである。

 

 これに関しては、拙稿「万葉の小径シリーズ-その21 さくら ヤマザクラ」に紹介している。また、序文の略訳は、同じく拙稿の「190225万葉時代区分・第三期<その2>」に出ているので、一部再記載する。

 

■■拙稿「万葉の小径シリーズ-その21 さくら ヤマザクラ」 (再掲載)■■

 

梅の花 咲きて散りなば 桜花(さくらばな)継ぎて咲くべく なりにてあらずや

               (張氏福子<ちょうじのふくし> 巻五 八二九)

 

烏梅能波奈 佐企弖知理奈波 佐久良婆那 都伎弖佐久倍久 奈利尓弖阿良受也

                          薬師 張氏福子

 

(略訳)待ちに待った梅の花が満開になった。この梅が散る頃、桜の花は咲こうとして準備しているではないか。

 

 「(前略)この歌は、咲き揃った梅を見つつの宴、それも都遠く離れた大宰府の師(そち)宅の宴で歌われたもので、一座の人たちが、ひとしきり梅を愛でたのを受けて、いやいや梅だけでなく、梅の後には桜が咲くから、その時には再び楽しい宴を持ちましょうと歌ったものだ。さらに、桜が終わると藤、続いて卯の花と次から次への想像を許す楽しい歌である。

 張氏福子は、薬師(くすりし:大宰府の医師)であるから、あるいは、梅や桜に薬師としての興味も抱いていたかとも思われる。」   (万葉の小径 さくらの歌碑)

 

■■ 190225万葉時代区分・第三期<その2>■■

 

 題詞は、「梅花歌卅二首幷序」とあり、八一五~八四六の三二首が収録されている。

序は次の通りである。

天平二年正月一三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲松掛羅而傾盖 夕岫結霧 鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故雁 於是盖天坐地 促膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異牟 宜賦園梅聊成短詠」

 

( 略訳)天平二年正月一三日、旅人の邸宅に集まって宴を催した。時は初春の良き日、空気はすみ、風も穏やか、梅は鏡の前で(化粧の折に舞う)白粉のように、蘭は身に着けた香りのように、その上、明け方の峯には雲が流れ、松は雲を貫き、天蓋を傾け、夕べには、霧が立ち込め、鳥は霧に閉じ込められ林の中で迷っている。庭には新しい蝶が舞い、空には雁が帰っていく。ここに天を天蓋とし、地を座として、人々は膝交え酒酌み交わしている。一同言葉を忘れ胸襟を開いて、それぞれが淡々と心のままにふるまい満ち足りている。もし筆に記すのでなければどうやって言い表すことができよう。詩経にも落梅の詩篇が記されているが、古今異なるはずもなく、庭の梅を読んで、いささかの短歌を作ろう

 

(注)れいげつ(令月): ①何事をするのにもよい月。めでたい月。良い月。

             ②陰暦二月の異名

(注)帥老=大伴卿=大伴宿祢旅人

この序文の「于時初春令月 氣淑風和(初春の令月にしてきよく風和らぎ)」が出典となっている。

 

(参考文献

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「万葉ゆかりの地を訪ねて~万葉歌碑めぐり」(奈良市HP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

 

※20210518朝食関連記事削除、一部改訂

※20210718志貴皇子歌補足