●歌は、「我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ(当麻真人麻呂妻1-43)」である。
本稿から三重県となります。
【名張の山】
「当麻麻呂妻(たぎのまろのめ)(巻一‐四三)(歌は省略)・・・この歌は、おそらく持統天皇の六年(六九二)三月の伊勢行幸のときのものであろうが、行幸にお伴した夫の当麻麻呂(たぎまのまろ)を思って、飛鳥の京に留まる妻のよんだ歌である。・・・古語で隠れることを『隠(なば)る』といったから、当時、大和からみて東方山奥にかくれこもった『隠(なばり)の山』として考えられたのであろう。『おきつもの』(奥の物)の枕詞もその気持ちを語っている。『隠の山』は特定の山名ではなくこんにちの名張市西方の山地か、あるいは広く周辺の山また山を指したものであろう。夫の身の上を思って、“いまごろどこを歩いているのだろう”と自ら問い、“今日あたりは、奥(おき)つもの隠(なばり)の山を越えているのだろうか”と自ら答えている趣で、この枕詞と地名にも、待ちかねる者の不安な思いが託されており、『らむ』の語をくりかえして、留守をわびる妻の、夫への思慕の情を二回の波でうちあげている。」(「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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巻一 四三歌をみていこう。
■巻一 四三歌■
題詞は、「當麻真人麻呂妻作歌」<当麻真人麻呂(たぎまのまひとまろ)が妻(め)の作る歌>である。
◆吾勢枯浪 何所行良武 己津物 隠乃山乎 今日香越等六
(当麻真人麻呂妻 巻一 四三)
≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)はいづく行くらむ沖つ藻の名張(なばり)の山を今日(けふ)か越ゆらむ
(訳)あの人はどのあたりを旅しておられるのであろうか。沖つ藻の隠(なば)るという名張(なばり)、あの名張の山を、今日あたり越えていることであろうか。(同上)
(注)おきつもの 【沖つ藻の】分類枕詞:沖の藻の状態から「なびく」「なばる(=隠れる)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)名張の山:伊勢・大和の国境の山。(伊藤脚注)
(注)なまる【隠る】[動]《「なばる」の音変化》隠れる。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その391)」で、三重県名張市 近鉄名張駅前万葉歌碑とともに紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」