万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1842~1844)―松山市御幸町 護国神社・万葉苑(7~9)―万葉集 巻二十 四三五二、巻九 一七七七、巻一 二一

―その1842―

●歌は、「道の辺の茨のうれに延ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(7)万葉歌碑<プレート>(丈部鳥)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(7)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆美知乃倍乃 宇万良能宇礼尓 波保麻米乃 可良麻流伎美乎 波可礼加由加牟

        (丈部鳥 巻二十 四三五二)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)の茨(うまら)のうれに延(は)ほ豆(まめ)のからまる君をはかれか行かむ

 

(訳)道端の茨(いばら)の枝先まで延(は)う豆蔓(まめつる)のように、からまりつく君、そんな君を残して別れて行かねばならないのか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)うまら【茨・荊】名詞:「いばら」に同じ。※上代の東国方言。「うばら」の変化した語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)うれ【末】名詞:草木の枝や葉の先端。「うら」とも。

(注)「延(は)ほ」:「延(は)ふ」の東国系

 

左注は、「右一首天羽郡上丁丈部鳥」<右の一首は天羽(あまは)の郡(こほり)上丁(じやうちゃう)丈部鳥(はせつかべのとり)

(注)天羽郡:千葉県富津市南部一帯

 

 この歌ならびに、防人歌が「言立て」の歌というよりむしろ「わたくしごと」、さらには家族まで含めた歌であることについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1098)」で紹介している。

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―その1843―

●歌は、「君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊の小櫛も取らむとも思はず」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(8)万葉歌碑<プレート>(播磨娘子)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(8)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆君無者 奈何身将装餝 匣有 黄楊之小梳毛 将取跡毛不念

        (播磨娘子 巻九 一七七七)

 

≪書き下し≫君なくはなぞ身(み)装(よそ)はむ櫛笥(くしげ)なる黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)も取らむとも思はず

 

(訳)あなた様がいらっしゃらなくては、何でこの身を飾りましょうか。櫛笥(くしげ)の中の黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)さえ手に取ろうとは思いません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)くしげ【櫛笥】名詞:櫛箱。櫛などの化粧用具や髪飾りなどを入れておく箱。(学研)

 

 題詞は、「石川大夫遷任上京時播磨娘子贈歌二首」<石川大夫(いしかはのまへつきみ)、遷任して京に上(のぼ)る時に、播磨娘子(はりまのをとめ)が贈る歌二首>である。

 

 この歌ならびに一七七六歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その691)」で紹介している。

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 播磨娘子のような遊行女婦の歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1721)」で紹介している。

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―その1844―

●歌は、「紫草のにほえる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(9)万葉歌碑<プレート>(大海人皇子

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(9)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方

       (大海人皇子 巻一 二一)

 

≪書き下し≫紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎(にく)くあらば人妻(ひとづま)故(ゆゑ)に我(あ)れ恋(こ)ひめやも

 

(訳)紫草のように色美しくあでやかな妹(いも)よ、そなたが気に入らないのであったら、人妻と知りながら、私としてからがどうしてそなたに恋いこがれたりしようか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(学研)ここでは④の意

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒なりたち:推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

 この歌については、直近では、「妹背の里」の歌碑とともにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1703)」で、額田王の歌は、同(その1702)」で紹介している。

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鳥取・島根・山口・広島・岡山万葉歌碑巡り(続)■

11月8日から11日の歌碑巡りにおいて、島根県邑智郡邑南町岩屋の志都岩屋神社は、かなり山奥であったこともあり、何としてでも今回、行っておきたかった。


 朝は霧が濃く予定以上の時間がかかった。そのために後半の計画にしわ寄せがいき、山口県周南市周南緑地公園・西緑地「万葉の森」、熊毛郡平生町佐賀地域交流センター尾国文館隣、周防大島町塩釜神社、同大多麻根神社、岩国市柱野小学校、広島県内3カ所の歌碑を諦めたのである。

 全国旅行支援が行われているこの時期を逃す手はないと、次回高知県の歌碑巡りの時になんとかうまく周れないかと考え計画を立ててみた。広島県岡山県は旅行支援がもうすでに終わっていた。山口県はまだ行けそうであったので、宿を確保した。広島は通常での予約を取り、高知→山口→広島泊で計画をたてることにした。

 ここまで万葉歌碑に執着する自分がおかしかった。

 

 他にも防府市熊野神社裏山の人丸神社と畑人丸神社にも歌碑があるようである。しかし、検索してもヒットしない。防府観光協会に確認を入れた。

熊野神社については、「道が狭く普通車では通行しにくい。また、歌碑への道は藪になっており今は行く人もいない」そして畑人丸神社については、「265段ある石段を上りきると境内で、拝殿左手のやまももの木の下に歌碑がある」との返事を頂いた。

米子粟嶋神社の187段の石段が相当きつかったことが頭をよぎる。年齢や前後の予定を考えあわせると見送らざるを得ないとの結論にたっしたのである

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」