万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1845~1847)―松山市御幸町 護国神社・万葉苑(10~12)―万葉集 巻七 一三五九、巻十 一八九五、巻二十 四四七六

―その1845―

●歌は、「向つ峰の若桂の木下枝取り花待つい間に嘆きつるかも」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(10)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(10)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆向岳之 若楓木 下枝取 花待伊間尓 嘆鶴鴨

       (作者未詳 巻七 一三五九)

 

≪書き下し≫向つ峰(むかつを)の若楓(わかかつら)の木下枝(しづえ)とり花待つい間に嘆きつるかも 

 

(訳)向かいの高みの若桂の木、その下枝を払って花の咲くのを待っている間にも、待ち遠しさに思わず溜息がでてしまう。((伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)むかつを【向かつ峰・向かつ丘】名詞:向かいの丘・山。 ※「つ」は「の」の意の上代の格助詞。上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上二句、少女の譬え。(伊藤脚注)

(注)下枝(しづえ)とり:下枝を払う。何かと世話をする意。(伊藤脚注)

(注)花待つい間に:成長するのを待っている間にも。(伊藤脚注)

 

万葉集には、桂を詠んだ歌は三首収録されている。実際の桂を詠ったのは、一三五九歌であり、次の二首は想像上の月の桂を詠っているのである。

桂を詠んだ歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1089)」で紹介している。

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―その1846―

●歌は、「春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(11)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(11)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹

      (柿本人麻呂歌集 巻十  一八九五)

 

≪書き下し≫春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)

 

(訳)春になると、まっさきに咲くさいぐさの名のように、命さえさいわいであるならば、せめてのちにでも逢うことができよう。そんなに恋い焦がれないでおくれ、お前さん。(同上)

(注)上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造になっている。

(注)そ 終助詞:《接続》動詞および助動詞「る」「らる」「す」「さす」「しむ」の連用形に付く。ただし、カ変・サ変動詞には未然形に付く。:①〔穏やかな禁止〕(どうか)…してくれるな。しないでくれ。▽副詞「な」と呼応した「な…そ」の形で。②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。 ⇒参考:(1)禁止の終助詞「な」を用いた禁止表現よりも、禁止の副詞「な」と呼応した「な…そ」の方がやわらかく穏やかなニュアンスがある。(2)上代では「な…そね」という形も併存したが、中古では「な…そ」が多用される。(学研)

 

 一八九五歌の上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造、「二重の序」になっている。

 

 この歌ならびに「二重の序」についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1053)」で紹介している。

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―その1847―

●歌は、「奥山のしきみが花の名のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(12)万葉歌碑<プレート>(大原真人今城)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(12)にある。

 

●歌をみていこう。

 

四四七五、四四七六歌の題詞は、「廿三日集於式部少丞大伴宿祢池主之宅飲宴歌二首」<二十三日に、式部少丞(しきぶのせうじよう)大伴宿禰池主が宅(いへ)に集(つど)ひ飲宴(うたげ)する歌二首>である。

 

◆於久夜麻能 之伎美我波奈能 奈能其等也 之久之久伎美尓 故非和多利奈無

        (大原真人今城 巻二十 四四七六)

 

≪書き下し≫奥山のしきみが花の名のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ 

 

(訳)奥山に咲くしきみの花のその名のように、次から次へとしきりに我が君のお顔が見たいと思いつづけることでしょう、私は。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)しきみ【樒】名詞:木の名。全体に香気があり、葉のついた枝を仏前に供える。また、葉や樹皮から抹香(まつこう)を作る。(学研)

(注)しくしく(と・に)【頻く頻く(と・に)】副詞:うち続いて。しきりに。(学研)

 

四四七五歌もみてみよう。

 

◆波都由伎波 知敝尓布里之家 故非之久能 於保加流和礼波 美都ゝ之努波牟

       (大原真人今城 巻二十 四四七五)

 

≪書き下し≫初雪(はつゆき)は千重(ちへ)に降りしけ恋ひしくの多かる我れは見つつ偲はむ

 

(訳)初雪よ、幾重にも幾重にも降り積もれ。何かにつけて人恋しさのしきりな私は、よくよく見ながらあの人を偲ぼう。(同上)

(注)主人池主に言寄せている。(伊藤脚注)

 

この集いに誰が参加したのかは不明である。家持が「族(やから)を喩す歌」(四四六五歌)を詠んだのが同年六月一七日であるから、藤原氏一族との対峙の緊張感はピークに達している頃である。この時期、宴にあって反仲麻呂の話題が出ないはずはない。しかし、家持の歌どころか池主の歌も収録されていないのである。ただ大原真人今城の歌二首のみである。

 そして家持の幼馴染で、歌のやり取りも頻繁に行い万葉集にも数多く収録されている大伴池主の名前はこれ以降万葉集から消える。

さらに池主は奈良麻呂の変に連座し歴史からも名を消したのである。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1078)」で紹介している。

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池主の歌31首+漢詩については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1798)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」