万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1899~1901)―松山市御幸町 護国神社・万葉苑(64~66)―万葉集 巻八 八一八、巻十九 四二〇四、巻三 三七九

―その1899―

●歌は、「春さればまづ咲くやどの梅の花ひとつ見つつや春日暮らさむ」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(64)万葉歌碑<プレート>(山上憶良

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(64)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆波流佐礼婆 麻豆佐久耶登能 烏梅能波奈 比等利美都々夜 波流比久良佐武  [筑前守山上大夫]

       (山上憶良 巻八 八一八)

 

≪書き下し≫春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日(はるひ)暮らさむ [筑前守(つくしのみちのくちのかみ)山上大夫(やまのうへのまへつきみ)]

 

(訳)春が来るとまっ先に咲く庭前の梅の花、この花を、ただひとり見ながら長い春の一日を暮らすことであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ひとり見つつや以下:恋歌の発想(伊藤脚注)

 

 この歌は、「梅花の歌三十二首」の一首である。

 この宴会について、辰巳正明氏は、その著「山上憶良」(笠間書院)の中で、「・・・主人旅人による特別な趣向が凝らされていた。それはこの宴の共通テーマを『落梅(らくばい)』(散る梅の花)として、その主旨により歌を詠むことであった。落梅という詩は、中国の学府詩(がふし)にある『梅花落(ばいからく)』(梅の花散る)を意味し、辺境防備の兵士が、梅の花の咲いたのを見て、また一年の巡り来たことを知り、遠い故郷への思いや家族を思うという春正月の歌である。」と書かれている。また、憶良の歌について、「春が来たので庭の梅の花は咲いたが、辺境の地で独り梅の花を見て、春の日を過ごすのだろうかという悲しみを詠む。・・・ただ、これは憶良の個人の思いではなく、この会の主旨が『異郷の梅』を詠むことにあり、会に参加した全員の心を代弁したものである。ここにも家族へと思いを寄せる、憶良の姿が見られる。」とも書かれている。

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その954)」で紹介している。

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―その1900―

●歌は、「我が背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(65)万葉歌碑<プレート>(僧恵行)



●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(65)にある。

 

●歌をみていこう。

 

四二〇四、四二〇五歌の題詞は、「見攀折保寳葉歌二首」<攀(よ)ぢ折(を)れる保宝葉(ほほがしは)を見る歌二首>である。

 

◆吾勢故我 捧而持流 保寶我之婆 安多可毛似加 青盖

        (講師僧恵行 巻十九 四二〇四)

 

≪書き下し≫我が背子(せこ)が捧(ささ)げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋(きぬがさ)

 

(訳)あなたさまが、捧げて持っておいでのほおがしわ、このほおがしわは、まことにもってそっくりですね、青い蓋(きぬがさ)に。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)我が背子:ここでは大伴家持をさす。(伊藤脚注)

(注)あたかも似るか:漢文訓読的表現。万葉集ではこの一例のみ。(伊藤脚注)

(注)きぬがさ【衣笠・蓋】名詞:①絹で張った長い柄(え)の傘。貴人が外出の際、従者が背後からさしかざした。②仏像などの頭上につるす絹張りの傘。天蓋(てんがい)。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 四二〇五は大伴家持の歌である。

 

 この歌ならびに家持の歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その486)」で紹介している。

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―その1901―

●歌は、「ひさかたの天の原より生れ来たる神の命奥山の賢木の枝に白香付け木綿取り付けて・・・」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(66)万葉歌碑<プレート>(大伴坂上郎女

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(66)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 三七九、三八〇歌の題詞は、「大伴坂上郎女祭神歌一首并短歌」<大伴坂上郎女、神を祭る歌一首并せて短歌>である。 

 

◆久堅之 天原従 生来 神之命 奥山乃 賢木之枝尓 白香付 木綿取付而 齊戸乎 忌穿居 竹玉乎 繁尓貫垂 十六自物 膝析伏 手弱女之 押日取懸 如此谷裳 吾者祈奈牟 君尓不相可聞

       (大伴坂上郎女 巻三 三七九)

 

≪書き下し≫ひさかたの 天(あま)の原(はら)より 生(あ)れ来(き)たる 神の命(みこと) 奥山の 賢木(さかき)の枝(えだ)に 白香(しらか)付け 木綿(ゆふ)取り付けて 斎瓮(いはひへ)を 斎(いは)ひ掘り据(す)ゑ 竹玉(たかたま)を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)れ 鹿(しし)じもの 膝(膝)折り伏して たわや女(め)の 襲(おすひ)取り懸(か)け かくだにも 我(わ)れは祈(こ)ひなむ 君に逢はじかも

 

(訳)高天原の神のみ代から現われて生を継いで来た先祖の神よ。奥山の賢木の枝に、白香(しらか)を付け木綿(ゆう)を取り付けて、斎瓮(いわいべ)をいみ清めて堀り据え、竹玉を緒(お)にいっぱい貫き垂らし、鹿のように膝を折り曲げて神の前にひれ伏し、たおやめである私が襲(おすい)を肩に掛け、こんなにまでして私は懸命にお祈りをしましょう。それなのに、我が君にお逢いできないものなのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)しらか【白香】名詞:麻や楮(こうぞ)などの繊維を細かく裂き、さらして白髪のようにして束ねたもの。神事に使った。(学研)

(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。(学研)

(注)いはひべ【斎ひ瓮】名詞:神にささげる酒を入れる神聖な甕(かめ)。土を掘って設置したらしい。(学研)

(注)たかだま【竹玉・竹珠】名詞:細い竹を短く輪切りにして、ひもを通したもの。神事に用いる。(学研)

(注)しじに【繁に】副詞:数多く。ぎっしりと。びっしりと。(学研)

(注)ししじもの【鹿じもの・猪じもの】分類枕詞:鹿(しか)や猪(いのしし)のようにの意から「い這(は)ふ」「膝(ひざ)折り伏す」などにかかる。(学研)

(注)おすひ【襲】名詞:上代上着の一種。長い布を頭からかぶり、全身をおおうように裾(すそ)まで長く垂らしたもの。主に神事の折の、女性の祭服。(学研)

(注)だにも 分類連語:①…だけでも。②…さえも。 ※なりたち副助詞「だに」+係助詞「も」

(注)君に逢はじかも:祖神の中に、亡夫宿奈麻呂を封じ込めた表現

 

この歌ならびに反歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1079)」で紹介している。

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 大伴坂上郎女についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1059)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「山上憶良」 辰巳正明 著 (笠間書院

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」