万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1839~1841)―松山市御幸町 護国神社・万葉苑(4,5,6)―万葉集 巻六 九二五、巻十九 四一六四、巻十 一八七二

―その1839―

●歌は、「ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(4)万葉歌碑<プレート>(山部赤人

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(4)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆烏玉之 夜乃深去者 久木生留 清河原尓 知鳥數鳴

       (山部赤人 巻六 九二五)

 

≪書き下し≫ぬばたまの夜(よ)の更けゆけば久木(ひさぎ)生(お)ふる清き川原(かはら)に千鳥(ちどり)しば鳴く

 

(訳)ぬばたまの夜が更けていくにつれて、久木の生い茂る清らかなこの川原で、千鳥がちち、ちちと鳴き立てている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ぬばたま:黒い玉の意で、ヒオウギの花が結実した黒い実をいう。ヒオウギはアヤメ科の多年草で、アヤメのように、刀形の葉が根元から扇状に広がっている。この姿が、昔の檜扇に似ているのでこの名がつけられたという。

(注)ひさぎ:植物の名。キササゲ、またはアカメガシワというが未詳。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 この歌は、題詞「山部宿祢赤人作歌二首幷短歌」のなかの前群の反歌二首のうちの一首である。前群は吉野の宮を讃える長歌(九二三歌)と反歌二首(九二四・九二五歌)であり、後群は天皇を讃える長歌(九二六歌)と反歌一首(九二七歌)という構成をなしている。

 九二三~九二七歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その125改)」で紹介している。

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 前群の反歌(九二四歌)についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その776)」で、吉野町喜佐谷 桜木神社の歌碑を紹介している。

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―その1840―

●歌は、「ちちの実の父の命ははそ葉の母の命おほろかに心尽くして思ふらむ・・・」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(5)万葉歌碑<プレート>(大伴家持

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(5)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「慕振勇士之名歌一首 并短歌」<勇士の名を振(ふる)はむことを慕(ねが)ふ歌一首 幷(あは)せて短歌」である。

 

◆知智乃實乃 父能美許等 波播蘇葉乃 母能美己等 於保呂可尓 情盡而 念良牟 其子奈礼夜母 大夫夜 無奈之久可在 梓弓 須恵布理於許之 投矢毛知 千尋射和多之 劔刀 許思尓等理波伎 安之比奇能 八峯布美越 左之麻久流 情不障 後代乃 可多利都具倍久 名乎多都倍志母

      (大伴家持 巻十九 四一六四)

 

≪書き下し≫ちちの実の 父の命(みこと) ははそ葉(ば)の 母の命(みこと) おほろかに 心尽(つく)して 思ふらむ その子なれやも ますらをや 空(むな)しくあるべき 梓弓(あづさゆみ) 末(すゑ)振り起し 投矢(なげや)持ち 千尋(ちひろ)射(い)わたし 剣(つるぎ)大刀(たち) 腰に取り佩(は)き あしひきの 八(や)つ峰(を)踏(ふ)み越え さしまくる 心障(さや)らず 後(のち)の世(よ)の 語り継ぐべく 名を立つべしも

 

(訳)ちちの実の父の命も、ははそ葉の母の命も、通り一遍にお心を傾けて思って下さった、そんな子であるはずがあろうか。されば、われらますらおたる者、空しく世を過ごしてよいものか。梓弓の弓末を振り起こしもし、投げ矢を持って千尋の先を射わたしもし、剣太刀、その太刀を腰にしっかと帯びて、あしひきの峰から峰へと踏み越え、ご任命下さった大御心のままに働き、のちの世の語りぐさとなるよう、名を立てるべきである。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ちちのみの【ちちの実の】分類枕詞:同音の繰り返しで「父(ちち)」にかかる。(学研)

(注)ははそばの【柞葉の】分類枕詞:「ははそば」は「柞(ははそ)」の葉。語頭の「はは」から、同音の「母(はは)」にかかる。「ははそはの」とも。(学研)

(注)おほろかなり【凡ろかなり】形容動詞:いいかげんだ。なおざりだ。「おぼろかなり」とも。(学研)

(注)や 係助詞《接続》種々の語に付く。活用語には連用形・連体形(上代には已然形にも)に付く。文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。 ※ここでは、文中にある場合。(受ける文末の活用語は連体形で結ぶ。):①〔疑問〕…か。②〔問いかけ〕…か。③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。(学研) ここでは、③の意

(注)空しくあるべき:無為に過ごしてよいものであろうか。ここまで前段、次句以下後段。(伊藤脚注)

(注)さしまくる心障(さや)らず:御任命下さった大御心に背くことなく。「さし」は指命する意か。「まくる」は「任く」の連体形。(伊藤脚注)

(注の注)まく【任く】他動詞:①任命する。任命して派遣する。遣わす。②命令によって退出させる。しりぞける。(学研) ここでは①の意

(注の注)さやる【障る】自動詞:①触れる。ひっかかる。②差し支える。妨げられる。(学研)

 

四一五九歌から四一六五歌までの歌群の総題は、「季春三月九日擬出擧之政行於舊江村道上属目物花之詠并興中所作之歌」<季春三月の九日に、出擧(すいこ)の政(まつりごと)に擬(あた)りて、古江の村(ふるえのむら)に行く道の上にして、物花(ぶつくわ)を属目(しょくもく)する詠(うた)、并(あは)せて興(きよう)の中(うち)に作る歌>である。

 

 四一五九歌から四一六五歌までの歌群についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その867)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 「ちちの実」については諸説があるが「イヌビワ」が有力説とされている。

イヌビワ



―その1841―

●歌は、「見わたせば春日の野辺に霞立ち咲きにほへるは桜花かも」である。

松山市御幸町 護国神社・万葉苑(6)万葉歌碑<プレート>(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、松山市御幸町 護国神社・万葉苑(6)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆見渡者 春日之野邊尓 霞立 開艶者 櫻花鴨

      (作者未詳 巻十 一八七二)

 

≪書き下し≫見わたせば春日(かすが)の野辺(のへ)に霞(かすみ)たち咲きにほえるは桜花かも

 

(訳)遠く見わたすと、春日の野辺の一帯には霞が立ちこめ、花が美しく咲きほこっている、あれは桜花であろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より))

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(学研)ここでは①の意

 

 この歌ならびに「春日」を「かすが」と読むことについてブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1753)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

■■11月11日岡山■■

倉敷市内ホテル→岡山市南区西紅陽台干拓記念碑→マービーふれあいセンター→自宅

 

倉敷市内ホテル→岡山市南区西紅陽台干拓記念碑■

 ホテルで岡山県の万葉歌碑を検索していると、今までノーチェックであった「万葉歌碑 岡山県の記念公園」がヒットした。

 マービーふれあいセンターの歌碑を確認してから帰宅する予定にしていたが、これは行くべしとホテルで朝食をすませ早々出かけた。

 児島湾の干拓記念公園である。干拓記念碑に並んで万葉歌碑が立てられている。

干拓記念碑」

 

児島湾開墾第一区の樋門郡説明案内板

 歌碑には、大伴旅人の歌と西行の歌が刻されている。

 

岡山市南区西紅陽台干拓記念碑→マービーふれあいセンター■

 マービーふれあいセンターは、2018年7月の西日本豪雨で被災2021年6月に3年ぶりに再開となった。

 

マービーふれあいセンター

ふれあいセンター万葉歌碑

 ふれあいセンターとともに万葉歌碑も輝いて存在感を見せつけていた。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉