万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1751~1753)―坂出市沙弥島 万葉樹木園(25)~(27)―万葉集巻九 一七七七、巻十 一八四八、巻十 一八七二

―その1751―

●歌は、「君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊の小枝も取らむとも思はず」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(25)万葉歌碑(播磨娘子)

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(25)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆君無者 奈何身将装餝 匣有 黄楊之小梳毛 将取跡毛不念

       (播磨娘子 巻九 一七七七)

 

≪書き下し≫君なくはなぞ身(み)装(よそ)はむ櫛笥(くしげ)なる黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)も取らむとも思はず

 

(訳)あなた様がいらっしゃらなくては、何でこの身を飾りましょうか。櫛笥(くしげ)の中の黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)さえ手に取ろうとは思いません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)くしげ【櫛笥】名詞:櫛箱。櫛などの化粧用具や髪飾りなどを入れておく箱。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 題詞は、「石川大夫遷任上京時播磨娘子贈歌二首」<石川大夫(いしかはのまへつきみ)、遷任して京に上(のぼ)る時に、播磨娘子(はりまのをとめ)が贈る歌二首>である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その691)」で紹介している。

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 また遊行女婦と思われる歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1721)」で紹介している。

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 「君なくはなぞ身装はむ」、なんという切ない思いがあふれ出る表現であろうか。娘子にとって、「黄楊の小櫛」に代表される、これまでの夢のような石川大夫との時間、満たされた思い、しかし別れて後は、ある意味「無」の世界。石川大夫の方は、都に戻ることなり、表面上はともかく、播磨娘子の思いが足かせにならぬように一刻も早く都へ、の気持ちであろう。娘子はその気持ちも分かりつつ「君なくはなぞ身装はむ」と冷静に状況を分析しつつ、心の内のたぎる思いを込めている。

 思いの楔は、時間と共に石川大夫の心の中でどのように作用していったのであろうか。

 

 

 

―その1752―

●歌は、「山の際に雪は降りつつしかずがにこの川楊は萌えにけるかも」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(26)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(26)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆山際尓 雪者零管 然為我二 此河楊波 毛延尓家留可聞

        (作者未詳 巻十 一八四八)

 

≪書き下し≫山の際(ま)に雪は降りつつしかすがにこの川楊(かはやぎ)は萌えにけるかも

 

(訳)山あいに雪は降り続いている。それなのに、この川の楊(やなぎ)は、もう青々と芽を吹き出した。(同上)   

(注)しかすがに 【然すがに】副詞:そうはいうものの。そうではあるが、しかしながら。

(注)かはやなぎ【川柳・川楊】〘名〙: 川のほとりにあるやなぎ。ふつう、ネコヤナギをさし、その別名ともする。かわやぎ。かわばたやなぎ。《季・春》(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その203改)」で紹介している。

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「言語由来辞典HP」に「漢字の『柳』の右側は『卯』ではなく、『留』の原字である。

『楊』は、『易』に『上がる』『伸びる』という意味があり、長く上に伸びる木を表す。

日本ではシダレヤナギに『柳』を使い、ネコヤナギのように上に向かって立っているヤナギには『楊』を用いて区別することもある。」と書かれている。

 

 

 

―その1753―

●歌は、「見わたせば春日の野辺に霞立ち咲きにほへるは桜花かも」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(27)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(27)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆見渡者 春日之野邊尓 霞立 開艶者 櫻花鴨

      (作者未詳 巻十 一八七二)

 

≪書き下し≫見わたせば春日(かすが)の野辺(のへ)に霞(かすみ)たち咲きにほえるは桜花かも

 

(訳)遠く見わたすと、春日の野辺の一帯には霞が立ちこめ、花が美しく咲きほこっている、あれは桜花であろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より))

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(学研)ここでは①の意

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1029)」で紹介している。

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 「春日の野辺」の「春日」を「かすが」と読むことについて、「森岡浩の人名・地名おもしろ雑学」(日本実業出版社HP)に、「・・・春日神社はなぜ『かすが』と読むのかというと、これは枕詞がルーツである。枕詞とは、和歌を詠むときに特定の言葉につける修辞法(かざり言葉)で、このあたりの地名の「かすが」を詠む際には、『春日(はるひ)のかすが』といった。そのため、『春日』という漢字そのものを、『かすが』と読むようになったものだ。『飛鳥』とかいて『あすか』と読むのも、『あすか』の地の枕詞が『飛ぶ鳥の」だったことに由来している。

 さらに、「かすが」という地名そのものもルーツはなにか、というと、諸説あるようだが、「神(か)」の「住(す)」む「処(が)」という説が有力。ようするに、神の住んでいる場所で、神社のあるべき場所なのだろう。・・・」と書かれている。

 「春日(はるひ)のかすが」の歌をみてみよう。

 

 題詞は、「山部宿祢赤人登春日野作歌一首 幷短歌」<山部宿禰赤人、登春日野(かすがの)に登りて作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)春日野:春日大社を中心とする一帯。(伊藤脚注)

 

春日乎 春日山 高座之 御笠乃山尓 朝不離 雲居多奈引 容鳥能 間無數鳴 雲居奈須 心射左欲比 其鳥乃 片戀耳二 晝者毛 日之盡 夜者毛 夜之盡 立而居而 念曽吾為流 不相兒故荷

       (山部赤人 巻三 三七二)

 

≪書き下し≫春日(はるひ)を 春日(かすが)の山の 高座(たかくら)の 御笠(みかさ)の山に 朝さらず 雲居(くもゐ)たなびき 貌鳥(かほどり)の 間(ま)なくしば鳴く 雲居なす 心いさよひ その鳥の 片恋(かたこひ)のみに 昼(ひる)はも 日のことごと 夜(よる)はも 夜(よ)のことごと 立ちて居(ゐ)て 思ひぞ我(あ)がする 逢はぬ子故(ゆゑ)に

 

(訳)春日の山の御笠の山に朝ごとに雲がたなびき、貌鳥(かおどり)が絶え間なく鳴きしきっている。そのたなびく雲のように私の心はとどこって晴れやらず、その鳴きしきる鳥のように片思いばかりしながら、昼は昼で一日中、夜は夜で一晩中、そわそわと立ったり座ったりして、深い思いに私は沈んでいる。逢おうともしないあの子ゆえに。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)はるひを【春日を】分類枕詞:春の日がかすむ意から、同音の地名「春日(かすが)」にかかる。「はるひを春日の山」⇒はるひ(学研)

(注)たかくらの【高座の】[枕]:高座の上に御蓋(みかさ)がつるされるところから、「みかさ」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)あささらず【朝去らず】[連語]:朝ごとに。毎朝。⇔夕去らず。(goo辞書)

(注)かほとり【貌鳥・容鳥】:鳥の名。 未詳。 顔の美しい鳥とも、「かっこう」とも諸説ある。 「かほどり」とも。(学研)

(注)いさよふ【猶予ふ】自動詞:ためらう。たゆたう。 ※鎌倉時代ごろから「いざよふ」。(学研)

(注)ことごと【事事】名詞:一つ一つのこと。諸事。(学研)

 

 反歌(三七三歌)もみてみよう。

 

◆高按之 三笠乃山尓 鳴鳥之 止者継流 戀哭為鴨

       (山部赤人 巻三 三七三)

 

≪書き下し≫高座(たかくら)の御笠の山に鳴く鳥の止(や)めば継(つ)がるる恋もするかも

 

(訳)高座の御笠の山に鳴く鳥が鳴きやんだかと思うとすぐまた鳴き出すように、抑えたかと思ってもすぐまた燃え上がるせつない恋を私はしている。(同上)

(注)上三句は序。「止めば継がるる」を起こす。(伊藤脚注)

奈良市登大路町「県庁東交差点」北東角にある一八七二歌の歌碑

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「goo辞書」

★「森岡浩の人名・地名おもしろ雑学」 (日本実業出版社HP)