万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1760~1763)―坂出市沙弥島 万葉樹木園(34)~(37)―万葉集巻十六 三八三二、巻十六 三八七二、巻十六 三八八六

 

―その1760―

●歌は、「からたちの茨刈り除け倉建てむ尿遠くまれ櫛造る刀自」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(34)万葉歌碑(忌部黒麻呂

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(34)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「忌部首詠數種物歌一首 名忘失也」<忌部首(いむべのおびと)、数種の物を詠む歌一首 名は、忘失(まうしつ)せり>である。

 

◆枳 棘原苅除曽氣 倉将立 尿遠麻礼 櫛造刀自

       (忌部黒麻呂 巻十六 三八三二)

 

≪書き下し≫からたちの茨(うばら)刈り除(そ)け倉(くら)建てむ屎遠くまれ櫛(くし)造る刀自(とじ)

 

(訳)枳(からたち)の痛い茨(いばら)、そいつをきれいに刈り取って米倉を建てようと思う。屎は遠くでやってくれよ。櫛作りのおばさんよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)まる【放る】他動詞:(大小便を)する。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌ならびに万葉時代のトイレについてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1227)」で紹介している。

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 前々から気になっていたのは、子供用簡易トイレを「おまる」というのかということである。「言語由来事典HP」によると、「おまるの『お』は接頭語の『御』、『まる』は大小便をする意味の動詞『まる(放る)』である。古くは、単に『まる』と呼んでいた。漢字に『御虎子』が当てられるのは、その形状が虎の子のようであることからと思われる。おまるが『まる』と呼ばれた時代から、『虎子』の漢字は用いられている。

稀に『御丸』と表記されることもあるが、『御丸』は女房詞で『腰』や『団子』など丸い形状のものを指す言葉なので、便器のおまるに当てる漢字としてはふさわしくない。」と書かれている。

 

 なんかすっきりした感じである。

 

 

―その1761―

●歌は、「我が門の榎の実もり食む百千鳥千鳥は来れど君ぞ来まさぬ」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(35)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(35)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾門之 榎實毛利喫 百千鳥 ゝゝ者雖来 君曽不来座

       (作者未詳 巻十六 三八七二)

 

≪書き下し≫我(わ)が門(かど)の榎(え)の実(み)もり食(は)む百千鳥(ももちとり)千鳥(ちとり)は来(く)れど君ぞ来(き)まさぬ

 

(訳)我が家の門口の榎(えのき)の実を、もぐように食べつくす群鳥(むらどり)、群鳥はいっぱいやって来るけれど、肝心な君はいっこうにおいでにならぬ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)もり食む:もいでついばむ意か。(伊藤脚注)

(注)ももちどり 【百千鳥】名詞①数多くの鳥。いろいろな鳥。②ちどりの別名。▽①を「たくさんの(=百)千鳥(ちどり)」と解していう。③「稲負鳥(いなおほせどり)」「呼子鳥(よぶこどり)」とともに「古今伝授」の「三鳥」の一つ。うぐいすのことという。(学研)

 

 この歌は、一夜だけ床を共にした行きずりの男(一夜夫)を待つ歌であるが、その男を送り出す歌が三八七三歌である。この両歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1045)」で紹介している。

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(注)ひとよづま【一夜妻/一夜夫】:①(一夜妻)㋐一晩だけ関係を結んだ相手の女性。また転じて、遊女・娼婦。いちやづま。㋑織女星。 ②(一夜夫)一晩だけ関係を結んだ相手の男性。(goo辞書)

 

  國學院大學万葉神事語事典によると、「一夜妻」について、「一夜のみの結婚。折口信夫によれば、常世から『まれびと』が来訪し、その村に祝福を与えて帰るとされ、その折に、神の妻となるのが、この『一夜妻』であったという(「古代生活に見えた恋愛」『全集1』)。東歌に見える『にほどりの葛飾早稲をにへすともそのかなしきを外に立てめやも』(14-3386)は、まれびとが訪れ、家の主婦がそれを迎える歌としてとらえるならば、万葉びとの世界に、ひろく『一夜妻』の観念が存在したといえる。その観念は恋歌のなかでの男女の出会いへと展開したことが知られる。」と書かれている。

(注)まれびと:来客あるいは客神をあらわす語として古くからあるが(〈まろうと〉とも)、折口信夫が古代の来訪神の存在を説明するためにこれを用いたことから、〈貴種流離譚(きしゆりゆうりたん)〉などとともに、日本文化・文学の基層を解明するうえでの重要な術語として定着した。〈まれびと〉とは簡単にいえば神であって、海のかなたの〈常世(とこよ)〉から時を定めて訪れて来る霊的存在である、というのが折口の考えたその原像である。(コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版)

 万葉集では、「夫」も「妻」も「つま」と読むが、改めて「つま」を調べてみた。

つま 【夫・妻】名詞:①夫。▽妻から夫を呼ぶときに用いる語。第三者が用いることもある。②妻。▽夫から妻を呼ぶときに用いる語。第三者が用いることもある。③動物のつがいの一方をいう語。 ⇒参考:「つま(端)」から出た語。妻問い婚の時代、女の家の端(つま)に妻屋(つまや)を建てて、夫がそこに通ったことから、「端の人」の意でいったとされる。ふつう、夫婦の間で互いに呼び合う語。中古以降は、②の用法で固定した。(学研)

 

 

 

―その1762―

●歌は、「おしてるや難波の小江に・・・もむ楡を五百枝剥き垂れ天照るや・・・」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(36)万葉歌碑(乞食者の歌)



●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(37)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 三八八五、三八八六歌の題詞は、「乞食者詠二首」<乞食者(ほかひひと)が詠(うた)ふ歌二首>である。

(注)ほかひびと【乞児・乞食者】名詞:物もらい。こじき。家の戸口で、祝いの言葉などを唱えて物ごいをする人。「ほかひひと」とも。(学研)

 

◆忍照八 難波乃小江尓 廬作 難麻理弖居 葦河尓乎 王召跡 何為牟尓 吾乎召良米夜 明久 若知事乎 歌人跡 和乎召良米夜 笛吹跡 和乎召良米夜 琴引跡 和乎召良米夜 彼此毛 命受牟跡 今日ゝゝ跡 飛鳥尓到 雖置 ゝ勿尓到 雖不策 都久怒尓到   東 中門由 参納来弖 命受例婆 馬尓己曽 布毛太志可久物 牛尓己曽 鼻縄波久例 足引乃 此片山乃 毛武尓礼乎 五百枝波伎垂 天光夜 日乃異尓干 佐比豆留夜 辛碓尓舂 庭立 手碓子尓舂 忍光八 難波乃小江乃 始垂乎 辛久垂来弖 陶人乃 所作▼乎 今日徃 明日取持来 吾目良尓 塩柒給 腊賞毛 腊賞毛

     ▼は、「瓦+缶」で「かめ)である。

       (乞食者の詠 巻十六 三八八六)

 

≪書き下し≫おしてるや 難波(なにわ)の小江(をえ)に 廬(いほ)作り 隠(なま)りて居(を)る 葦蟹(あしがに)を 大君召すと 何せむに 我(わ)を召すらめや 明(あきら)けく 我が知ることを 歌人(うたひと)と 我(わ)を召すらめや 笛吹(ふえふ)きと 我を召すらめや 琴弾(ことひき)きと 我を召すらめや かもかくも 命(みこと)受(う)けむと 今日今日と 飛鳥(あすか)に至り 立つれども 置勿(おくな)に至り つかねども 都久野(つくの)に至り 東(ひむがし)の 中の御門(みかど)ゆ 参入(まゐ)り来て 命(みこと)受くれば 馬にこそ ふもだし懸(か)くもの 牛にこそ 鼻(はな)縄(づな)はくれ あしひきの この片山の もむ楡(にれ)を 五百枝(いほえ)剥(は)き垂(た)れ 天照るや 日の異(け)に干(ほ)し さひづるや 韓臼(からうす)に搗(つ)き 庭に立つ 手臼(てうす)に搗き おしてるや 難波の小江(をえ)の 初垂(はつたり)を からく垂り来て 陶人(すゑひと)の 作れる瓶(かめ)を 今日(けふ)行きて 明日(あす)取り持ち来(き) 我が目らに 塩(しほ)塗(ぬ)りたまひ 腊(きた)ひはやすも 腊ひはやすも

 

(訳)おしてるや難波(なにわ)入江(いりえ)の葦原に、廬(いおり)を作って潜んでいる、この葦蟹めをば大君がお召しとのこと、どうして私なんかをお召しになるのか、そんなはずはないと私にははっきりわかっていることなんだけど・・・、ひょっとして、歌人(うたひと)にとお召しになるものか、笛吹きにとお召しになるものか、琴弾きにお召しになるものか、そのどれでもなかろうが、でもまあ、お召しは受けようと、今日か明日かの飛鳥に着き、立てても横には置くなの置勿(おくな)に辿(たど)り着き、杖(つえ)をつかねど辿りつくの津久野(つくの)にやって来、さて東の中の御門から参上して仰せを承ると、何と、馬になら絆(ほだし)を懸けて当たり前、牛なら鼻綱(はなづな)つけて当たり前、なのに蟹の私を紐で縛りつけたからに、傍(そば)の端山(はやま)の楡(にれ)の皮を五百枚も剥いで吊(つる)し、日増しにこってりお天道(てんと)様で干し上げ、韓渡りの臼で荒搗(づ)きし、庭の手臼(てうす)で粉々の搗き、片や、事もあろうに、我が故郷(ふるさと)難波入江の塩の初垂(はつた)り、その辛い辛いやつを溜めて来て、陶部(すえべ)の人が焼いた瓶を、今日一走(ひとつばし)りして明日には早くも持ち帰り、そいつに入れた辛塩を私の目にまで塗りこんで下さって、乾物に仕上げて舌鼓なさるよ、舌鼓なさるよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)おしてるや【押し照るや】分類枕詞:地名「難波(なには)」にかかる。かかる理由未詳。(学研)

(注)かもかくも 副詞:ああもこうも。どのようにも。とにもかくにも。(学研)

(注)ふもだし【絆】名詞:馬をつないでおくための綱。ほだし。(学研)

(注)さいずるや〔さひづる‐〕【囀るや】[枕]:外国の言葉は聞き取りにくく、鳥がさえずるように聞こえるところから、外国の意味の「唐(から)」、または、それと同音の「から」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)はつたり【初垂り】:製塩のとき最初に垂れた塩の汁。一説に、塩を焼く直前の濃い塩水。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)すえひと〔すゑ‐〕【陶人】:陶工。すえつくり。(weblio辞書 デジタル大辞泉) 堺市南部にいた須恵器の工人。

(注)腊(読み方 キタイ):まるごと干した肉。(weblio辞書 歴史民俗用語辞典)

 

左注は、「右歌一首為蟹述痛作之也」<右の歌一首は、蟹(かに)のために痛みを述べて作る>である。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1087)」で紹介している。

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―その1763―

●歌は、「おしてるや難波の小江に・・・もむ楡を五百枝剥き垂れ天照るや・・・」である。

坂出市沙弥島 万葉樹木園(36)万葉歌碑(乞食者の歌)

●歌碑は、坂出市沙弥島 万葉樹木園(38)にある。

 

●歌は、前稿(その1762)と同じである。歌碑の写真の掲載にとどめる。

 

 詠いだしの枕詞「おしてるや」について前述のように「『難波(なには)」にかかる。かかる理由未詳。(学研)』とあるが、朴炳植氏の考え方を、著「万葉集の発見」(学研)に求めてみよう。次の様に書かれている。

 「まずこの歌語の分析をすると、『オシ』『テル』の二つに分けることが出来る。『テル=照る』の語源は何だろうか。それは『(日がサス)の変形で「サ行→タ行変化」をしたもので、韓国語の『(ビ)チャリ』(註:現代語では、これは未来形<日さすだろう>と解されている)の『チャ』なのである。『ビ』は勿論『ヒ(日)』の濁音化したもの。すると、『サス=チャリ=テル』は異形同意の言葉であることが明らかになる。さて、次は『オシ』だが、これは『大いに』という意味で『オオイニ=オオヒニ』だから、『オヒ→オシ(ハ行→サ行変化)』と変わったことを知りうる。つまり『オシテル』は『大いに日の照る』ということなのである。これが『難波』にかかるのは、『宮・都』に『尊い日のさす』・『輝かしい日の照りさす』がかかるのと同じ理由、つまり、難波が都だから『大いに日の照りそそぐ』というふうになるのである。』

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集の発見」 朴炳植 著 (学習研究社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 歴史民俗用語辞典」

★「コトバンク 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版」

★「goo辞書」

★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタルミュージアムHP)

★「言語由来事典HP」